「ユウキの過去」
「…そんなにしょげるなよ。
数日以内に空間委員会から補償金も入るし、
会社からも失業手当とかの諸々の書類も届くだろうしさ。
きっと何とかなるって。」
夕刻、海老の天ぷらをかじるユウキの言葉を聞きながらも、
スミ子の気持ちは沈んでいた。
何しろ、自分の会社が潰れた上に倒産してしまったのだ。
これで落ち込まない方がおかしい。
注文したなめこ蕎麦は、
ほとんど喉を通らない。
ホテルに近い、駅中の蕎麦屋。
小洒落た店はついたてで仕切られ、
天井からは和紙で作られた丸い照明が下げられている。
帰りの電車に乗る前に蕎麦をすするサラリーマンたちに、
着物姿の店員は忙しそうに走り回りながら注文を取り、
近くでは子供を連れた家族が楽しそうに談笑していた。
だが、その声を聞いている時でさえ、
スミ子は暗くなるのを抑えられなかった。
かすかに、かすかにだが期待を持っていた。
会社へ復帰する希望。
また仕事ができるかもしれないという淡い期待。
だがそれは、あっけなく打ち砕かれた。
たとえどんなにいじめられようとも、
自分が会社で働いていたことにはかわりない。
社会で働いていたことにはかわりない。
その期間が開けば開くほど、
自分が社会に戻ることは難しくなる。
苦しい就活の毎日。
自身の抱える病気を隠し続ける日々。
そんなことはわかりきっていたのに、
唐突に突きつけられた現実。
…もう、自分が働くのは無理なのかもしれない。
スミ子はどこか、
自分が投げやりになっていくことに気づく。
こんなに不器用なのだから。
こんなに上手くいかない人生なのだから。
そんな思いが頭をもたげ、
スミ子の気分はますます落ち込む。
そんなことを考えていると、
ユウキが会計をしながらスミ子に言った。
「なあ、スミ子さん。この後すぐにホテルに戻る?
もし、時間があるようだったら、
少し寄りたいところがあるんだけど。」
スミ子は本当はすぐにでもホテルで休みたかったが、
これまでのこともあり、ユウキの言葉に素直にうなずいていた。
そして、
「…よし、この辺でいいだろう。」
そう言って、ユウキが座った場所は
川沿いにある公園のベンチだった。
隣に座るスミ子は街灯の明かりに照らされながら、
ユウキからもらったお茶のボトルを持て余す。
「いや、それ飲んでよ。ハーブティーだから。
変なものは入っていないから。」
そう言うと、ユウキは同じロゴの入った
ペットボトルの蓋を開け、お茶を飲む。
スミ子も恐るおそる口をつけると、
カモミールの香りが口の中に広がった。
「カモミールには、気持ちを落ち着ける効果があるんだよ。
スミ子さんもいろいろあって辛いかもしれないけどさ、
こうして考え込んでばかりじゃなくて、
たまには抵当な雑談をするのも悪くないんじゃないのかな。」
そう言って、ユウキはペットボトルに口をつけ、
「アチッ」と口に出す。
「あーあ、猫舌なのに無理するもんじゃないな。
お茶の時間のたんびに師匠にもよく笑われたっけ。」
その言葉に、スミ子は少し顔を上げる。
「…ねえ、師匠って人のところに居たんだよね。
そこで仕事をしていたみたいだけど、なんでこっちに来て、
空間修理師を目指そうと思ったの?」
ユウキはスミ子の方をちらりと見たが、
その後、困ったように笑って見せた。
「…いや、実はね。曽根崎さんの前では決して言えないけどさ。
俺だってなりたくてなろうとしているわけじゃないんだよ。
それ以外の選択肢がないからしてる…いい加減なものだよ。」
そう言って、ユウキはペットボトルを手のひらで転がしながら、
夜の公園で自分の身の上を語り出した…
ユウキは子供の頃から、
見えないものが見えていた。
それは奇妙な穴。
大きいものから小さなものまで、
ユウキの見える世界には無数の穴が開いていた。
地面に開いた穴、壁に開いた穴。
そこから稀に顔を出す、奇妙な生き物。
だが、それらの穴に人は無関心なようで、
稀に巨大な穴に気づいても数日後にはその前を通り過ぎていく。
それを、両親に話すと決まって怪訝な顔をされた。
ある時など、田舎の親戚の集まった葬式の中で
遺体の中から白い着物を着て穴の中へと向かう曾祖父を見かけ、
それを両親に話したところ、こっぴどく叱られたこともあった。
…何を言っているの。
その人は死んだひいおじいちゃんじゃない。
気味の悪いことを言わないで!
ヒステリックに叫ぶ母親にショックを受けていると、
「まあまあ」と言って父方の叔母さんがなだめる。
…この子はちょっと変わっているのかもしれない。
私、そういうことに詳しい人を知っているから、
よかったらその人のもとにこの子を連れて行ってみない?
そして、小学校に上がる前にユウキは両親とともに車で山を上り、
隠れ家のような家に泊まるとあれよあれよという間に話がまとまり、
ユウキは師匠である澤口ミリのもとに預けられることとなった。
当時、和装姿の師匠は幼いユウキを見て
若い弟子が来たと微笑んでいたが、
ユウキの内心は複雑だった。
「正直、気分は最悪だった。預けられるとき、
俺は両親に捨てられたと理解したからな。
おふくろの腹の中には年の離れた弟もいたし、
ちょうどいい厄介払いになると思っていたんだな。
今まで一度として連絡をくれないのがその証拠だよ。」
どこか、皮肉げに笑うユウキ。
「それから10年以上。
俺は師匠のもとでいろいろな知識を叩き込まれた。
勉強から、空間から、今見ているものが何かまで。
師匠は将来的には俺を後継者にしたかったんじゃないのかな?
…ま、なれなかったし、ならないけど。」
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