「牛の文様」
そこは狭いが快適で、
どこか隠れ家的な雰囲気を持った場所だった。
街の大型ショッピングモールの一角。
カフェのスモーキングルームで
曽根崎はタバコを吸っていた。
ゆるゆると立ち上る煙は天井のファンに吸い込まれていき、
どこか古めかしいフィラメントの裸電球がオレンジの光を投げかけている。
スミ子はカフェモカ。
ユウキはクリームのたっぷりのったキャラメルラテ。
タバコを口から離し、
ブラックのコーヒーをすする曽根崎は、
半分ほど飲んだところで首をかしげて見せた。
「二人とも、こういうところは初めてかい?
落ち着かなかったら場所を変えてもいいが。」
曽根崎の言葉にスミ子もユウキも首を振る。
縦に長いスモーキングルームには4つのテーブルと
幾つかの椅子が並べられているがスミ子たち以外の客はいない。
「…なら良かった。ここは私のお気に入りの場所でね、
忙しくなると、ついついこうして避難しにきてしまうんだよ。
自分の考えをまとめたり内緒話をするにしてもね。」
そうして、曽根崎はコーヒーをすする。
「…ま、ざっとメールの内容を読ませてもらったけれどね。
確かに、あのマンションに戻ることは自殺行為だ。
あの場所はただでさえ空間が不安定になっているところだからね。
今後、数日間は二人とも気をつけるようにしてほしいな。」
そう忠告しつつも、
曽根崎はどこか楽しそうにユウキとスミ子を見つめる。
「だが、二人とも無事に帰ってこれたのは上出来だ。
空間に入ってしまった一般人が無事に戻れるケースは稀だからね。
しかも、ユウキくんの報告では時間のズレによって未来の時間軸へと
移動していたそうじゃないか…それで無事なら本当に君たちは運が強い。」
曽根崎はそう言うと、
スミ子に鍵を見せてくれないかと聞いてきた。
「鳥についての報告も興味深い。
一応、委員会の上層部にもこの件について報告はしているが、
そこまで巨大なら街全体にも変化を及ぼす可能性があるという見解のみで、
平行線の状態だ…何しろ他の情報があまりにも少なすぎるからね。」
そして、曽根崎はスミ子から鍵を受け取ると、
矯めつ眇めつ眺めまわす。
「マザー・ヴンダーは
私は会ったことはないが委員会に助言できる唯一の人間らしい。
ただ、今は老齢による衰弱で総合病院にいると聞いているがね。
彼女が君にこれを託し鳥を追うように言ったということは、
きっと意味があるのだろう…」
曽根崎はそう言うと金属の輪に通された
二枚のプレートに注目した。
「ふうん。片方は無地だが、片方には模様があるな。
二枚で一組といった印象だが…模様が気味悪いね。」
そうして、スミ子達にも見えるように
曽根崎はプレートを机の上に広げる。
みれば、確かにお互い重なり合って見にくいが、
プレートの一枚には模様があった。
…それは一頭の牛のように見えた。
だが、こんな気味の悪い牛がいるものだろうか。
まず電球を思い浮かべてほしい。
そのガラス部分をハンマーで叩き割り中のフィラメントを抜く。
代わりに目が一つしかない牛の首をくっつけてねじれたタオルで手足を作る。
それを象形化したものが細い線で削れたように描かれていた。
これが何かスミ子は見当もつかない。
だが、それを見つめる曽根崎は、
再びタバコを燻らせながらプレートを見つめた。
「…今から50年ほど前のことだ。
ここから数キロ先の山あいにある
大病院の老人病棟が大規模な地盤沈下に巻き込まれた。
中にいたのは年寄りばかりでね。
多くが地面の下敷きになって死んだと思われていた。」
タバコを片手にふうっと煙を吐き出す曽根崎。
だが、その目はプレートから離れない。
「…だが、それから10年以上が経った頃。
修理師のあいだで奇妙な噂が囁かれるようになった。
空間の中で奇妙な子供に出会うようになったと。
砂漠のような場所で異形の神を信仰する子供たちに出会うと。」
そう言うと、曽根崎はトントンとプレートの絵を指差した。
「その異形の神とやらが、
この絵にそっくりなんだよ。」
スミ子とユウキは顔を見合わせる。
異形の神?
こんな奇妙な生き物を神として崇める宗教が
本当にあるのだろうか。
すると、そんな気持ちを汲んでのことか、
曽根崎はタバコの灰を皿に落とすとこういった。
「修理師の中には件の子供に興味を持つ者もいてね、
噂の真相を確かめようと一部のチームが空間から
彼らを連れ出そうと試み、それは成功した。」
では、噂は噂ではなかったということ。
スミ子はそう理解するも、
話を続ける曽根崎は首を振る。
「まあ、証人となる子供はもうここにはいないがね、
…というか、空間にいるあいだ彼らは子供だが、
空間から出ると子供ではいられなくなるからね。」
スミ子はその言葉の意味がわからずに曽根崎に尋ねる。
「それって、どういう…」
曽根崎は短くなったタバコの最後の灰を灰皿に落とした。
「空間の中では子供でも、引き上げると大人に…
白骨化した爺さん婆さんになってしまうのさ。
地盤沈下の時の、そのままの行方不明になった姿でね。」
スミ子はその意味を咀嚼し、
たどり着いた答えにぐらぐらする。
では、ではそこにいる子供たちというのは…
「子供たちは皆一様にこう言うのさ。老人病棟にいた時、
坂下病院の天城院長に神様を信仰するように頼まれたと。
それが不老不死となる唯一の道だと教えられたと…
全く、気味の悪い話だとは思わないかい。」
そう言うと、曽根崎はタバコをぐしゃりと消し、
コーヒーをすする。
「確か、君たちがマンションで出会った青年はこう言っていたんだろう。
天城家の誰に探すように言われたか、と。これは奇妙な共通点だ。」
それを聞いた瞬間、
スミ子は自分の首筋が粟立つの感じた。
そうだ、確かにあの青年は言っていた。
スミ子を天城家の人間だと思い込み、
胸ぐらをつかみながら、こう答えていた。
…いくら金を積まれてもお前らのもとには二度と戻らない。
あんな化け物を生む手伝いなんか絶対に…!
それは、どういうことなのか。
青年は何のために天城家から逃げ出したのか。
わからない。
わからないが確かなことがある。
これは、文字どおり鍵なのだ。
天城家へとつながる鍵。
「どうやら答えはその病院か天城家にあるようだな。
一度、こちらでも調べてみるか。」
そう言うと曽根崎は立ち上がり、
残ったコーヒーを一気に飲み干す。
「ありがとう、今日のところはもういいよ。
明日には方針が固まるだろうし二人とも
その日十分な空間を移動したからね、
…ゆっくり休んでいてくれ。」
そうして、曽根崎はスミ子に
鍵を返しながらこう言った。
「あと、スミ子くん。君の会社のことなんだが…」
それを聞いてスミ子は思い出す。
そうだ、自分はまだ会社勤めの身であった。
会社自体は地盤沈下によって崩れてしまったものの、
方針によっては、まだ自分にも働くチャンスがあるかもしれない。
だが、その甘い考えは曽根崎の言葉によって、
あっという間に崩れた。
「最近は、経営不振で赤字続きだったそうでね。
保険を適用しても間に合わず自己破産を申告してきたんだ。
つまり、非常に言いにくいことだが、
…君の会社は潰れてしまったんだよ。」
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