第8章「希望」

「吹雪の中の列」

廃病院から空間に入ったスミ子は

すぐにその場所の違和感に気付いた。


「…随分違うなあ。前に院長に連れてこられた時には

 砂漠だったのに、こっちは何でこんなに寒いんだよ。」


ユウキは両腕をさすり、

最初に来た場所とはまるで違う空間を見渡す。


…その空間はひどく無機質で

どことなく病院の廊下にも似た造りに見えた。


狭い通路の向こうでは、

先陣を切る老人のライトの明かりだけが

薄ぼんやりと道標になっており、

それ以外に特徴的なものは見当たらない。


奥の方から漂ってくる肌寒い空気に、

スミ子は急いで上着の襟元を締めた。


「空間は常に刻一刻と変化するものだからね。

 ただ問題は、天城院長がまだここにいた場合、

 細い通路から出た瞬間に一網打尽にされかねない

 ということだよ。」


曽根崎のそんな心配する声は、

白い息とともに消えていく。


天城院長はすでに故人にして

空間の残滓として生きている存在だ。


だが、愛用の八発の回転式拳銃を手に持ち、

今でも通路の先で銃を構えているであろう

姿を考えるとスミ子は嫌な気持ちになる。


…どうかそんなことになりませんように。


だがそんな期待は、

別の意味で裏切られた。


通路の外は吹雪の舞う広い空間だった。

明かりでもあるのか周囲は見えるようになったが、

何ぶん雪が多い。


凍てつく寒さに手はかじかみ、

出口で待っていた老人は困ったような顔で周囲を見渡す。


「一寸先も見えない。

 これはバラバラになるのを防ぐために

 互いをロープで縛ったほうがいいな。」


曽根崎もその提案に従いリュックを開け、

一行の体はロープによって一列に固定される。


荒れ狂う吹雪は視界を遮り、

耳には風の音しか聞こえない。


「とにかくまっすぐ進むんだ。

 空間の境目を見つけたら、そこから外に出よう。」


老人の叫ぶような声に一行は進むが、

その時、吹雪の向こうから自分たちと同じように

列になった人影が見えた。


だが、その姿がおぼろげながらも見えてくると、

スミ子はギョッとする。


…それは、長い髪を垂らした

赤い着物姿の牛。


牛の頭部をした、

女性たちの列のように見えた。


彼女らは縦列に並び、

綱で手をゆわえつけられ、

ひたすら歩き続ける。


先導する人間はいないものの、

互いが互いの手が縄で引かれ、

ゆっくりと囚人のように雪の上を歩いていく。


そんな列が、吹雪の中で口を開き、

寒さによる白い息を吐き出しながら、

鳴き声とも悲しむ声とも取れる声を上げ、

吹雪の向こうからやってくる。


「未来の牛」


スミ子はそれが彼女らだと確信する。


天城カズラの起こした信仰により誕生した子供。

予言をする「牛」の姿をした子供。


…これが、そうなのか。


スミ子は進みゆく列に対し、

恐怖よりも悲しみを覚えた。


彼女らは空間の中にいる。

この吹雪の中で未来永劫閉じ込められている。


「未来の牛」として生まれたがために、

あの「牛」を信仰する者たちのために。


彼女らは永遠にこの空間の中を

彷徨い続ける運命にある。


それに気づいた瞬間、

スミ子の体は動いていた。


ユウキがとっさに止めようとする中、

体がロープで結え付けられているにも関わらず、

走りながら吹雪に並ぶ着物の列に飛び込むと、

とっさに前から二番目と三番目のあいだにあたる縄をつかむ。


ジュッ


そんな音がしたかもしれない。


その瞬間、縄が切れた。

いや、縄だけではない。


三列目以降の女性たち。


牛の頭部を持っていた女性たちの姿が

跡形もなく消えた。


吹雪の中から消えた女性たち。


そして、スミ子が顔を上げた先、

二番目にあたる着物姿の牛がこちらを向き、

確かにこういうのが聞こえた。


『ありがとう。』


その時、スミ子は気づく。

その牛の顔がほんの一瞬だが女性の姿に戻ったことを。

自分より年下の整った顔立ちの美しい女性に変わったことを。


だが、その瞬間。


彼女と縄で繋がっていた

先頭の女性の動きが変わる。


足を早め、何かにひかれるようにして、

吹雪の中へと連れて行かれる。


みればその腕には細長い縄が伸びていて、

先端は吹雪の先に似つかわしくない

砂嵐の光景へと繋がっていた。


その奥には巨大な牛の頭部のようなものが見え、

大きく口を開けたそれは彼女らを

飲み込もうとしているようにも見えた。


スミ子はとっさにその二人へも手を伸ばす。


だが、届かない。

その手は空を掴む。


綱に引かれていく二人の女性。

彼女らはあっという間に砂嵐に引き込まれる。


その近くには誰かがいた。


スミ子と同じように手を伸ばす女性。

白衣を着た女性。


スミ子はその顔にどこか見覚えがあったが、

とっさに思い出すことができない。


そして彼女たちは巨大な頭部に飲み込まれるように

砂塵の彼方へと消えていき…


瞬間、幕が引かれるように周囲の景色が開けていく。


気がつくと、スミ子たちは薬品の匂いの漂う、

広い部屋の中へと転がり込んでいた。

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