「潜入」

その話を聞くとユウキはため息をついた。


「じゃあ、総合病院の中に未来の牛はいるけれど

 正面切って行くことはできないってことなのかよ。」


その言葉に老人はうなずく。


「そうだね。先日君たちが病院の天城ハルカと接触した時には

 随分と警戒されていただろう。次に交渉の場を設けたとしても、

 未来の牛ごと逃げられる可能性もあるだろうし、

 マザー・ヴンダーにも危害が及ぶ可能性が高いのは確かだ。」


やはり、老人も天城ハルカが

反対派の人間だと睨んでいるようだとスミ子は気づく。


「…つまり、これだけ証拠を集めてみせたとしても

 正面突破は難しいということですね。」


そう言って腕を組む曽根崎に老人は肩をたたく。


「ま、過ぎてしまったことは仕方がない。

 そして、病院に行く方法もひとつじゃない。

 …そうだね、曽根崎くん。」


途端に曽根崎は目を白黒させる。


「え、どういうことでしょうか。」


老人はそれにニコリと笑う。


「空間は繋がりのある場所にできるものだ。

 古くから縁のあるところならなおさらね。

 君たちは、すでに病院に行く道を見つけている。

 私もその場所に連れて行って欲しいというだけさ。」


それに曽根崎は合点がいったようで、

それでも危ぶむように老人に尋ねる。


「…わかりました。

 でも、少し遠回りになりますよ。」


「そんなことは承知の上だよ。」


そうして老人は快活に笑って見せた。


…それから、一時間後。


スミ子たちは消滅集落の中にある

坂下総合病院の敷地にいた。


日はすでに沈み始めており、

灯りひとつない町は静かな虫の音と

ともに闇の中に沈んでいく。


「こんなに早くジムニーと再会するとはね。

 ま、結果的には置いていく車が二台になるだけだが。」


リュックを背負いつつ、

そんな皮肉を飛ばす曽根崎に対し、

老人は率先して廃病院の中へと進んで行く。


「曽根崎くん、立ち止まることは叶わんよ。

 我々には優先順位というものがある。

 今目の前あるものを追わねば、

 いつまでたっても終わりは来ないぞ。」


大型のライトで周囲を照らしつつ四人は長い廊下を進み

「院長室」と表記された場所で足を止める。


「…あれ、ドアがない。」


そこで、ユウキが首をかしげた。


先日訪れた時には確かにあった立派なドア。


しかし現在。

ドアがあった場所には長方形の穴があるのみで、

埃っぽい室内には、ほとんど物が残っていなかった。


「夜逃げしたには年数が経っているように見えるし、

 もしかして元からこういう場所だったのかな?」


壁に残った色のずいぶん抜け落ちた

牛の文様をライトで照らすユウキに、

スミ子は足元に落ちた二枚のプレートに気がつく。


それは、最初にこの病院に潜入した時に

空間の残滓として生きていた院長に銃で撃たれ、

鍵と分離してしまったプレートだった。


片方は無地で、

もう片方は牛の文様の入った

二枚で一組のプレート。


床のカーペットに落ちたはずのプレートは、

今はコンクリートの床の上で鈍い光を放っている。


「…空間の痕跡がわずかに残っているな。

 ほら、この壁の部分がそうだ。」


気がつけば、曽根崎がタバコに火をつけ

室内を歩き回っている。


先端から出た煙は部屋を漂い、

壁に描かれた文様の中へと吸い込まれていく。


「そういえば、天城院長が呪文を唱えた時、

 俺たちが座っていたソファもこの辺りにありましたね。」


ユウキの言葉に曽根崎はうなずく。


「確かに、空間の入り口はおそらくこの場所だろう。

 ユウキくん。中に入る準備をするぞ。」


そして、リュックをゴソゴソと探る二人に

老人はやれやれといった感じでスミ子の方へと

近寄るとさっと片方の腕を取る。


「スミ子くん。マザー・ヴンダーの言うことには、

 この方が手っ取り早いという話だったぞ。」


そう言うなり、老人はスミ子の手を壁につかせ、

ぐいっと横に動かす。


途端に壁がめくれるような感触がし、

暗く長い通路がその向こうに現れた。


「さ、善は急げだ。効率の良さは大事だぞ。」


そう言いつつ、老人はライトを持って先に進む。

後には呆然とするユウキと曽根崎だけが残っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る