「手術台に横たわるもの」

浅い呼吸音がする。


酸素吸入器のゴポゴポという音。

消毒液とかすかな血の匂い。


スミ子はゆっくりとその場で起き上がり、

ユウキと曽根崎が付いてきていることを確かめ、

腰のロープを外してから周囲を見渡し、気づく。


そこは病院の手術室だった。


強力なライトに心電図、

メスや手術用具を入れた台もある。


どこかの病院の手術室。

だが、どこであるかはなんとなく見当がつく。


スミ子はそこでようやく

マザー・ヴンダーの片腕と言われた老人が、

この場にいないことに気がついた。


…え、一体どこに。


そして、周囲を見渡していると、

真ん中にある手術台の上に誰かが

横たわっていることに気づく。


それは、どこか見覚えのある姿。

一人の牛の頭部を持った女性。


青色の手術着に酸素吸入器や輸血パックに繋がれ、

心電図は弱々しいながらも脈を打っている。


だがその体には深いものから浅いものまで、

無数の刺し傷が付いており動かないようにするためか、

何本かのベルトで体を手術台に固定されている。


麻酔でもかけられているのか、

その目は閉じられピクリとも動こうとしない。


女性の様子に息を飲んでいると

スミ子は不意に後ろから声をかけられた。


「…身内の詮索はしないで欲しいと言ったのに、

 とうとう、ここまで来てしまったのね。」


みれば、そこには総合病院の女医である

天城ハルカが立っていた。


「私の妹に触らないでくれます?

 彼女に延命治療をしているのだから、

 そっとしてくれないかしら。」


その言葉に曽根崎が反論する。


「お言葉ですが、この女性は体が傷だらけじゃないですか。

 妹さんと言いましたが、これはあなたからの虐待で受けた

 傷痕じゃないですか?」


すると、天城ハルカはそれに笑った。


「何を言っているのかしら。

 この子はこの子の役割をしているだけですよ。

 ほら、見なさい。彼女は常に何かと戦っているのだから。」


女医は台の上に固定された女性を指さす。

…すると、女性の体に変化が起きた。


「…!」


牛の目が…いや女性の目が開いた。


すると女性は苦悶の表情を浮かべ、身をよじり、苦しみ、

必死にその場から逃げ出そうとする仕草をする。


「…!」


途端に、その体に傷がつく。


腕に、足に、まるで見えない刃物に、

今しがた切られていくかのように、

女性の体から新たな傷が現れ、血が流れる。


「…!、…!…!」


女医は何もしていない。

ただ、この光景を見ているだけだ。


手術台に固定され、

体に無数の傷がついていく女性を、

ただ女医は静かに見守っている。


「…」


最後に、牛の頭部の女性は静かになった。


手術台の上には血が広がり、

暴れたために散った血が部屋のところどころを汚していた。


女医は終わったことを確認すると女性に近づき、

慣れたように消毒や傷の手当てを施していく。


「…かわいそうな妹。『未来の牛』として生まれ、

 子を持つこともなくこうして『鳥』に啄ばまれる日々。」


女医は、はずみで抜けた点滴を腕に戻すと、

暗い目で牛の頭部をした妹を見つめる。


「でも、あなたに死なれちゃ困るのよ。そうしなければ、

 次の代である私の娘が『未来の牛』を生むことになる。

 あなたにはもっと長生きをしてもらわないと困るの。」


そうして、スミ子たちを見てこう言った。


「ほら、あなたたちも早くここから離れないと。

 死んだ祖父に見つかったら面倒だわ。

 機嫌を損ねると後が厄介なのよ。」


その時、背後でユウキの呻くような声が聞こえた。


みれば、床に崩れ落ちていくユウキの背後に、

愛用の回転式拳銃を持った老人が立っていた。


老人は舌なめずりすると

スミ子たちの方を向き声を上げる。


「おやおや、儀式も終えていない子ネズミが三匹、

 どうして未来の牛の元にいる。

 儂の許可なく入るとは、やはりスパイか?」


それを見て、天城ハルカはため息をつく。


「ああ、もう来てしまったのね。おじいちゃん。

 どうしてこういう時に嗅ぎ付けるのが早いのかしら。」


それは、昨日スミ子たちと出会った故人。


坂下総合病院の天城院長で間違いなく、

スミ子たちはこの状況にただ戸惑うほかなかった。


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