第3章「虚」

「帰還と発言」

ジーンズを履いた足、

その柄にはどこか見覚えがあり…

途端にガタンと椅子が動く。


「うわあ!ちょっと、なんであんたが、

 スミ子さんがここにいるの!?」


そこには椅子から転げ落ちたユウキの姿があった。


見上げれば「修復課」の看板が下がっていて、

どうやらスミ子はユウキが仕事をしていた

机の下から出てきたようだ。


「トイレからこんな抜け道があったのか。」


感心したようにうなずく曽根崎。


「違う違う!」


思わずスミ子はブンブンと首を振り、

今、見てきたことを話そうとした。


しかし、口を開いたその瞬間、

パソコンを見ていたユウキが「あ…」と悲しげな声を上げる。


みれば、文章を入力する画面が

真っ白になっている。


どうやら先ほどの騒ぎで打ち込んでいた文章を

全選択し、うっかり消してしまったらしい。


スミ子はこういうことには慣れているので、

横からパソコンのキーへと手を伸ばし、

文章を戻せないかやってみる。


しかし、作業をしようと手を伸ばすと

その手をパシッとユウキが止めた。


「いいよ、俺がやるから。」


そうしてキーボードを触ろうとするも、

動きは見当違いの素人同然で、何度も上書き保存をした挙句に、

現状に諦めてしまったのか新たに文字を打ち込み始めた。


スミ子はそのじれったさに思わず口が出る。


「ねえ、ちょっと。

 私が戻せないかやってみるからマウス貸して。」


それに対し、ユウキは子供みたいに口を尖らせた。


「いやだよ、だってこれは俺の仕事だもん。

 ダメならまた打ち込み直すしかないだろう?

 当たり前のことじゃん。」


その言葉に、スミ子はカチンときた。


「そういう思い込みで仕事やっていいと思ってるの?

 効率のいいやり方と悪いやり方があるの。

 あんたのしていることって、

 完全にできの悪い人間のやり方なんだからね!」


と、そこまで言ったところでハッとする。

…しまった、言いすぎた。


みれば、ユウキが驚いた顔でスミ子を見ている。


そうだ、ユウキにとってはこれが初仕事なのだ。

ミスだってするし慣れていないのは当たり前。


それなのに自分はまるで…


…まるで、今まで自分が受けてきた仕打ちを

他人にしているみたい。


途端に、スミ子の視界がぐらりと歪む。


前の会社で浴びせられた言葉。

今の会社でも浴びせられる言葉。


度を超えた暴言、

人を見下すような言い方。


しかし、今、自分はそれを言った。

ユウキに対して確かに使った。


結局、自分はそういう人間だったのか?


ほぼ初対面の人間に、

とっさにそんな暴言を吐ける人間に、

知らず知らずのうちに自分はなってしまっていたのか?


ぐらぐらとする感覚、

足元がおぼつかなくなる感覚。


自分はそうであってはいけないと思い続けていたのに、

あんな人間にはなりたくないと思っていたのに…


「顔色が悪いね。大丈夫かい?」


曽根崎が、心配そうに顔を覗き込んでいた。


「疲れが出たようだね、早めに帰った方が良さそうだ。

 ユウキくんとは別に送っていこう、まだ仕事があるからね。」


「…ありがとうございます」


そう言おうとしたが、

スミ子の口から漏れたのは、

かすれたような「ひゅっ」という音だった…


それから10分後。


スミ子は曽根崎に指定された書類にサインをし、

空間委員会の公用車であるバンに乗っていた。


「…思ったんだがね、スミ子くん。

 君、本当はユウキくんのおばさんじゃないでしょう。」


ハンドルを切りつつ、

曽根崎はスミ子にそう聞いてくる。


…やはりというか、

いつかはバレるだろうとは思っていた。


「すみません。だますつもりはなかったんです。

 私も書類を出されて…とっさに頭が回らなくって…」


スミ子は舌を必死に動かしながら弁解する。

その言葉に曽根崎は「ふむ」と言った。


「じゃあ、その件は別にいい。ただ気にはなっていたんだが、

 …以前から医者にかかっている病気とかないかい?

 外部に話すことはないし、正直に言ってくれないか。」


その言葉に、スミ子はズンと重いものを感じる。


以前、同じ質問をスミ子はされたことがある。

それはもはや、トラウマともいうべき質問だった。

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