「車の森」

気がつけば、薄暗かったトンネルが

次第に明るくなっていく。


みれば初老の男性と自分を繋ぐ手に

差し込んだ光が当たっていた。


見上げれば高い天井から小さな穴が見える。


その穴は次第しだいに増えていき、

数が増えるとともに光の量も増していく。


カリッ


足元で何かを踏んだ。

みれば、そこから植物の葉が芽吹いていた。


それは銀色の木へと成長し、

スミ子が数分も歩かないうちに

周囲は木漏れ日の当たる森へと変化していく。


「おそらく、空間に散らばる『虫食い穴』をここに集結させたんだろう。

 どれも小さいが光源を確保するには十分だからね。

 この程度の空間操作はにとっては手遊びみたいなものだよ。」


初老の男性はそう言うと、

森の少し開けた場所に目を向けた。


…そこにいたのは見事な銀髪の女性。


編み棒をせわしなく動かし、

古風な安楽椅子の上でマフラーを編んでいる。


下にはバスケットが置かれ、

見るも鮮やかな赤色の毛糸が

中にいくつも詰め込まれていた。


そして、彼女は顔を上げるとスミ子にこう聞いた。


「…編み物、お好きかしら?」


その顔にどこか見覚えがあった。

しかし、どこで見たかはわからない。


女性から聞かれた質問にスミ子は視線を泳がせる。


「えっと…嫌いではないです。」


銀髪の女性は編む手を止めずに優しく微笑む。


「そう、好きなことは好きでいい。

 嫌なことを無理にすることはないの。

 自分の気持ちに素直であることは、とても大切なことよ。」


その言葉を聞いて、

なぜか、スミ子の胸がじんわりと熱くなった。


理由はわからない。


ただ、彼女は自分のことを理解してくれた上で

優しい言葉をかけてくれた、そんな気がした。


そして、女性は再び編み物に目を移す。


「…ここにいることは、楽しい?」


その質問にスミ子は首をかしげる。


こことは…どこか。

曽根崎やこの男性の言う空間のことか?


スミ子の疑問に女性は答えない。

答えないが、彼女は続ける。


「…どれほど身近に感じても、

 人である以上、この場所とは距離を置かねばならない。

 特にあなたにはそれが必要よ…

 これから『鳥』を追う、あなたにはね。」


再び出た『鳥』という言葉。

女性は顔を上げるとニコリと微笑む。


「大変なことも、楽しいことも待っているわ。

 鳥を追いかけていけば、その答えは自ずと出る。

 …もう状況は変わり始めているのだから。」


その瞬間、彼女をどこで見たかを思い出した。


会社のロッカールームに現れた顔、

それは彼女ではなかったか。


泡のような場所から浮き上がった顔、

スミ子に「あと少しで状況が変わる」といった、

シワの寄った老婆の顔。


だが、スミ子がそこまで考えた時、

彼女は立ち上がると近くの木にそっと触れた。


「さ、あまり長居してはいけないわ。

 私もこの男性と古書店の子を送る必要がありますから、

 あなたの仕事はここまで。穴を通って戻りなさい。」


女性がカーテンを引くように手をずらすと、

そこに一つ、くぐれそうな穴が開いていた。


近づけば、木は金属でできていて、

ぱっと見は車の部品の寄せ集めのように見えた。


初老の男性はそれを眺めると、

困ったような顔をする。


「あ、これは孫から借りた私の車だねえ。

 今、私が借りてるマンションの駐車場から

 忽然と姿を消して困っていたんだが、

 まさかこんなところにあったとは…」


初老の男性の言葉に女性はクスリと笑みを漏らす。


みれば、どの木も車の部品の寄せ集めらしく、

スミ子は今朝大量に消えた車のことを思い出した。


「空間に取り込まれたものは飲食を行わなくても、

 年月を経て空間の物質として変化していくの。

 鳥の通った後はその変化も激しくなる。

 それだけの力をあの鳥は持っているのね。」


どこか楽しげな女性の言葉。


スミ子は周囲の木々のようになった車の群れを見つめる。

…よく探せば、スミ子の車もそこにあるのだろうか。


しかし、スミ子はそれ以上の詮索はせず、

素直に女性の開けた木の穴に入ることにした。


空間に長居すると空間の一部になってしまう。

その言葉がスミ子の足を早めさせた。


穴はそれほど深くはなく、

上にポツンと小さな出口が見えた。


膝をつくと冷たい感触がして、

あらためてこの穴が金属製の木からできたものだと感じさせる。


そして、数歩も進まぬところで、

背後から女性の声がした。


「ああ、言い忘れたわ。

 穴から出たところで少し面倒ごとがあるだろうけれど、

 あまり彼を責めないであげてね。お互い辛くなってしまうから…」


スミ子はその言葉に首をかしげる。

はて、彼とは一体…?


そして、穴をはい進み、

光の差し込む場所から外へと出る。


そこはもはや『空間』ではない。

スミ子は空気が変わるのを感じる。


…そして、スミ子の目の前に突然、

二本の足が現れた。

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