十九章 ほんとうのおわり

 彼らは闇を見ていた。

 コンクリート製の階段状のベンチに座るもの、鉄の取っ手につかまるもの……様々だ。

 年齢は子供から老人、国籍は日本人が多い。

 だが、彼らは『その時』を待っていた。

 近くのスピーカーから『その時』を注げるカウントダウンが流れる。

 一部で拍手が起こる。

 どうやら、今夜決行されるみたいだ。

 やがて遠くにオレンジ色の光が数キロ離れた彼らの場所まで強烈に届く。

 ほぼ、白に近い。

 その中に直立に立つ細長いロケットを見る。

 あるものは十字架を切る。

 あるものは手を合わせる。

 それぞれが、それぞれの思いで祈り、そして、別れを惜しむ。

 カウントがゼロになり、ロケットは爆音と光と共に上昇していく。

 彼らに僅かな笑顔はあっても歓声はない。

 何故なら、彼らは、愛する家族、友人たちなどと永遠の別れをしたからだ。


 ここはアメリカフロリダ州にあるケネディ宇宙センター。

 数年に一度、『宇宙葬』と言って遺骨を宇宙に飛ばすと言うものがある。

『宇宙帆船』と呼ばれる船で永遠と宇宙に彷徨う。

 その中に遺骨を納める。

 これを生前に予約し、莫大な出費をすれば荼毘に付した後、遺族たちの手で『宇宙帆船』に(遺骨の一部が入った)カプセルとして組み込まれる。

『宇宙帆船』には位置を知らせるレーダーなどはなく、シンプルな推進装置だけあり発射すれば永遠に宇宙空間を飛び続ける。

 発射見学会場から出た遺族をマスコミ数社が待っていた。

 ほぼ、日本のマスコミである。

 戸惑いながらも彼らに受け答えをする遺族たち。

 だが、一人だけ彼らを無視してセンターを後にする男がいた。

 スーツ姿で眼鏡をかけた男は、感傷に浸ることなく会場を後にする。

 外は暗闇であった。

 眼鏡を取り、今来た道を振り返る。

 その男は、彌神辰であった。

 そして、宇宙に旅立ったのも彌神辰である。

 本来、遺灰は入るカプセルには石動の命を助けたUSBメモリーの残骸が入っている。

 猪口たちが回収しようにも、遅い。

 カプセルは宇宙を永遠に彷徨う。

 実際、もう、カプセルは成層圏辺りを飛行しているだろう。

 彌神辰、本名・五十嵐辰徳いがらしたつのりは『ミッション117』が成功して内心、安堵していた。


 最奥の、本当の家族との思い出はほとんどない。

 ただ、テレビの幼児番組や絵本が嫌いであった。

 理由は簡単。

――面白くない

 この子供には、物事を分解して言語化する癖のようなものがあった。

――何故、嬉しいのか?

――何故、悲しいのか?

 頭がいいを通り越した、そんな子供を親ですら気味悪がっていた。

 やがて、子供は小学生になる。

 そこで大きな出会いがあった。

 学校の図書室と市立図書館との出会いである。

 同時に別れもあった。

 両親が事故で亡くなり彌神家の養子になったことだ。

『彌神辰』の誕生だ。

 彌神家は武道を教えていた。

 もっとも、実子もいた彌神家からすると世間体と雑用係兼やられ役が欲しかったに過ぎない。

 早い話、雑用係兼当て馬である。

 高齢出産で可愛い我が子に道場を引き継がせたいが怪我をされるのは嫌だ。

 そこで負の部分を全部養子にやらせようという魂胆だった。

 だが、皮肉な結果だが、なめるようにかわいがった結果、その実子は実力がなく親が亡くなると道場は目に見えて衰退するようになった。

 逆に、養子は虐められるように鍛えられ鍛え上げられた。

 養子自身からしても、本で見た武術を実践するにはちょうどよかった。

 学校での成績は常に上位であった。

 進学校に入った。

 そこでも、成績が落ちることはなかった。

 決して、いい環境ではなかった。

 それでも平然としていられたのは子供の頃の癖が役に立った。

 物事や事象を言語化するというものだ。

 そうすると、人の成功も自分の失敗も第三者的に考えるようになり感情の起伏が少なくて済んだ。

 成績はよかったがクラスでは浮いていた。

 周りも彼には近づかないようにしていた。

 養父の勧めで警察学校に入学する。

 ほぼ用済みになり早く家から追い出したかったらしい。

 警察学校は理不尽ではあったが人を観察するには最適な場所であった。

 そして、入庁。

 ここで自分が私生児であったこと。

――両親はキャバクラ嬢とただの客だったこと

――養父母はキャバクラ嬢の関係者で世間の見得をよくするため引き取ったこと

 などなどを知った。

 だが、彼は絶望しなかった。

 それどころか、『何もない自分は何者にもなれる』と思った。

 また、警視庁には様々な犯罪を知ることが出来る。

 それら全ては彼の知識欲を刺激した。

 武道は元から仕込まれていたので苦ではなかった。

 目立つ人間ではなかった。

 この頃の彼は非常に頭がよく人より抜きんでることを好まなかった。

 もしも目立てば、そのぶん、期待などをされ、周囲から虐められる。

 平均的の成績で彼は警視庁公安部に配属された。

『猪口直江』という男の部下として働いた。

 ある日の夜。

 その夜は珍しく定時で帰れた。

 他の同僚などが居酒屋に繰り出すのを彼は不思議そうに見ていた。

 あの勢いなら二日酔いになるのだろう。

 その状態で次の日からの仕事に支障が出ないとは思えない。

 彼は上手に断って我が家であるマンションに向かった。

 そこに二人の男が現れた。

 明らかに自分を待っていたような雰囲気だ。

――下手な抵抗はしないほうがいい

 彼の勘が囁く。

「私はツンドラ王国のドナン・パロット。彌神辰……いや、五十嵐辰徳君。君に用事がある。ついてきてくれまいか?」

 その言葉は変な外国人のイントネーションなどはなく、はっきりとしていた。

 彼は小さく頷いた。

 連れていかれたのは、ある有名ホテルのスイートルームだった。

 一泊十万以上はする。

 絨毯を踏むと『足が沈むのでは?』と思うぐらいだ。

 調度品も家具も全てが贅に贅を凝らしたものだ。

 本革や絹が潤沢に使われている。

 ローテーブルをはさみ二人はソファーに座る。

 部下が紅茶を淹れて彼と上官の元に置いた。

「単刀直入に言おう。君にツンドラ王国のスパイになってもらいたい」

 紅茶を飲み、ドナンは一息入れた。

 カップ一つとっても高級品だ。

「もっと単純に言うと、彼の代わりをしてほしい」

 そう言ってソファーの後ろで立っていたもう一人の男を見た。

「彼……ポーというのだが、白内障になってね。天才的狙撃手で手術したのだが微細な距離感を失い、以前のような正確無比な狙撃はできない。残念だが君と入れ替えで辞めてもらう」

 今度は彼が紅茶を飲む。

 一息入れて質問した。

「何で俺なんです?」

 ドナンはニヤリっと笑った。

「君は天才的な狙撃の名手だ。その上、物事を合理的に考える思考を身に付けている」

 不安はなかった。

 ただ、彼は、彌神辰、本名・五十嵐辰徳もニヤリっと笑う。

 悲しむ両親はいない。

 怒る兄弟もいない。

 心配する友もいない。

 余計な荷物はない。

 ただ、もう、自分を周りに合わせて制御しなくていいということが嬉しかった。

 ドナンは、無言を貫く彌神、いや、五十嵐に言葉を続けた。

「早速で悪いが、実は私の部下にヘルガという男が我が国の希少な動植物などを国外に持ち出し外貨を秘かに蓄えているという情報がある。特に今度日本で受け渡しがされる鉱石には我が国の自然や風土を脅かすものがある」

「それを止めるのですね?」

「いや、違う。そのデータの入ったUSBをこの世界から抹消してほしい。万が一に備え、レクチャー兼サポート役にはポーを付けよう」

 その後、今後のことなどを話しホテルを出たときには空が白み始めていた。

 空港で初めて人を殺したが何の気持ちも湧かなかった。

 休日に山奥に出かけて狙撃などの訓練を受けつつ秘かにポーの娘に父が日本にいることを知らせた。

 近くの路上で車から降り死体を漁ったのも彌神であり、膠着状態の石動たちの場所を敵に教えたのも、水上警察に連絡を入れポーと意識を失った秋水を病院まで運んだのも彼だ。

 

 事件が解決し『彌神辰』の存在は壊れたUSBと共に宇宙へと葬り去られた。

 残ったのは本来の『五十嵐辰徳』という存在だ。

――これからどうしよう?

 モーテルに泊まるか?

 それとも、街をブラブラするか?

 車の中で仮眠?

 様々な選択肢がある。

 こういう時、五十嵐は困ってしまう。

 幸い、電話がかかってきた。

 非通知。

「はい、もしもし……」

 電話に応対する。

『私だ……テレビでロケットの発射を確認した……さっそくだが、次の仕事だ』

 ドナン・パロットの声だ。

 背筋がぞくっとした。

 だが、おくびにも出さなかった。

「何なりとお申し付けください、我が主人マイ・ロード

 相手はそう言われても淡々としていた。

『これから三十時間後の……』

 淡々と命令を下す。

 腕時計を見る。

 目的地に行くためには最寄りにある空港の第一便で向かわないといけない。

 電話を聞きつつ飛行場へ向かう。

 しっかり絞めていたネクタイを取り外し、ポケットに突っ込む。

『……では、二代目セカンド。頼む』

 ドナンはそう言って電話を切った。

 飛行場へは今の時間、少し移動時間がかかる。

 まずはタクシーに乗るべく乗り場へ向かう。

「蛍の光、窓の雪……」

 その道中、不意に日本の『蛍の光』の歌が口に出た。

 思わず、笑った。

 それから、理解した。

 日本における『蛍の光』は卒業式の定番曲だが、本家のイングランドでは『懐かしい日々』として友人との再会を喜ぶ歌であった。

『五十嵐辰徳』は『彌神辰』から卒業した。

 では、何を得たのだろう?

 それこそ、あの『名前無し』を射殺するときに考えていたもの。

『死』である。

 生ぬるい日本から抜け出し、彼は死を友にこれからの人生を歩いていく。

 そして、死ぬときは、闇に戻る時だろう。

――さあ、共に行こう。

――よ。


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WONDERFUL WONDER WORLD 隅田 天美 @sumida-amami

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