十章 敵、強襲する

 平野平正行は、その日は暇だった。

 大学は冬季休みに入り、今日は部活の助っ人依頼もない。

 母は仕事が『追い込み』という事で従業員数人と朝からパソコンに向かい部下たちに色々指示を出している。

 父は朝遅くに起きて手早く食べられるサンドイッチと簡単なスープを振る舞い、正行も食べた。

 美味かった。

 部屋に戻り、家から持ってきた漫画を乱雑に読んでいた。

『ここに来て、自分はずいぶん堕落になった』

 正行は、つくづくそう思う。

 家にいた頃は暇だったら道場に行き、木刀の素振りをするなり、型の練習をするなりやっていたはずだ。

『曇り空だから練習できない』というのも甘えだ。

 亡くなった師であり祖父がいたら、今の自分を嘆いて襟首掴んで片腕立て伏せや腹筋などをやらせていただろう。

 家の近くにはスーパーがあり、レンタル屋があり、コンビニがあり、居酒屋がある。

 徒歩数分で大体の用事は済ませられる。

 昼食を食べ終えた秋水は「散歩に出かけてくる」と家を出た。

 石動も仕事で、ナターシャは彼の傍で産まれてくる子供のためにレース編みをしている。

 邪魔ができる雰囲気ではない。

 そこに賑やかな声がした。

 正行が部屋を出て、母の仕事場に行った。

 そこでは、事務所でお菓子を食べている母と従業員がいた。

「お疲れ様です……母さん、どうした?」

「ああ、正行。聞いてよ……ようやっと終わったのよ……」

「何が?」

 髪を赤く染めた社員が答える。

「ちょっと厄介な仕事が舞い込みましてね、計算やら仕様書やら、ここ数日大変だったんですよ」

 眼鏡を掛けた従業員が伸びをしながら言う。

「そうそう、お役所に出すものだからいろいろ決まり事もあるし……」

 正行は自然とこんな提案をした。

「だったら、何か作りましょうか?」

「いいの?」

 母である綾子が聞く。

「うん、いいよ」

 実は、この時、正行は何も考えていなかった。

――とりあえず、スーパーとか行けばアイディア出るかな?

 と思っていた。

 最悪、カステラぐらいならすぐ作れる。

 玄関に向かおうと一階に降りると父である秋水が尻餅をついて深い溜息を吐いていた。

 外は寒いはずなのに汗をかいている。

「おかえりって……親父どうした?」

「何でもねぇよ……って正行、どこか出かけるのか?」

 そこから、正行はナターシャのつわりが安定している事、母親の仕事が片付いたことを話した。

 すると、秋水はこんな提案をした。

「じゃあ、手巻き寿司大会でもやるか?」

「久しぶりだからいいね」


 二時間後。

 食堂のテーブルには酢飯の入った飯台と普通のごはんの入った飯台を中心にマグロの角切りに叩き、ツナマヨ、みじん切りの沢庵、烏賊の細切り、納豆、海老、厚焼き玉子、コーン、他にも刺身の盛り合わせ、大葉やミョウガの味噌炊き、きんぴら、海苔は韓国のりと普通の海苔にレタス。

 そして、しじみのお味噌汁。

 飯や具材を皿に乗せて個々で食べる。

「あー、うめぇ!!」

「酒があれば最高ですよね」

 社員たちからは好評である。

 ナターシャも量が調節できるので少量ずつ食べては頬を緩ませる。

 ただし、作った平野平親子と石動は疲れていた。


 勢いで『手巻き寿司大会』などと言ってスーパーはもちろん、馴染みの商店街まで足を運び刺身などを買い、帰ってきたときには平野平親子の腕には大量の買い物袋とスーパーの袋の中身がはちきれんばかりに入っていた。

 自動車で移動しなかったことを後悔した。

 その後、手洗いをして仕事で煮詰まってテーブルでコーヒーを飲んでいた石動を無理やり引き込み、料理を開始したが厚焼き卵を作ったり、きんぴらごぼうを炒めたり、刺身を切ったり忙しかった。

 元妻たちが美味しそうに食べている姿を居間と兼務したテレビ近くのソファーで正行たちはぼんやり見ていた。

 壁がないため、喜ぶ様子が見られるのはありがたいが、とにかくバタバタした。


 秋水はキッチンを使っているので慣れているようだったが、正行は、何処に何があるのかすら最初分からなかった。

 また、石動も簡単な飲み物ぐらいは自分で淹れるが普段から料理をする人間ではない。

 石動の場合、屋敷にいたときは『おタケさん』と呼ぶ、家族同然の家政婦がいた。

 彼女が石動たちの身の回りの世話をしてくれたようだ。

「おタケさんのいないときは多少料理するさ」

 というのは石動の弁だが、ポテトサラダ用にジャガイモの皮をむくのもたどたどしかった。

 本人の弁はこうである。

「ピーラーを使っていたから包丁で剥くのは慣れていない」

 直後にピーラーが見つかり、石動に渡したが、やっぱりたどたどしい。

 ピーラーの横にあるジャガイモの芽を取る機能も分からなかったらしい。

 とりあえず、石動は出来上がった料理の盛り付けや配膳をお願いした。

 平野平親子は、元々弟子などの料理を振舞っていたし、秋水の母は彼が高校生の頃に病死し、正行の母は六歳の頃から別居し離婚した。

 故に、料理は得意であった。

 料亭まではいかないが、正行を預かった亡き祖父、平野平春平は積極的に台所に立たせたので、正行自身、それなりの腕前を持っている自信がある。

 それ故に別の料理を作っている相手の動作で必要なものが言葉にしなくても分かる。

 大人数を作るのは大変だが、この一体感はなかなか得難い。


「あー、美味しいぃ」

 顔を赤くした綾子が千鳥足で近づいてきた。

 妙にアルコール臭い。

「おめぇ、酒飲んだな?」

 秋水が苦笑する。

 冷蔵庫に数本のビールがあったことを正行は思い出した。

「いいじゃない? ここは私の家だし、仕事も終わったしぃ……」

「あー、社長酔っているよ」

 社員の中で最年長の男が声をかける。

 と、足がもつれたのか転びそうになる綾子。

「母さん!!」

 思わず、正行が叫び談笑していたものが綾子に目を向ける。

「おっとと……」

 それを支えたのは秋水だった。

 しかし、綾子は緊張の糸が切れたように脱力し、寝てしまった。

 連日、夜遅くまで様々なチェックや入力をしていたのだから、その無理が襲ってきたのだろう。

「おい、平山‼」

 秋水の声に髭の生えた黒ぶちメガネの男が出てきた。

「悪いが、こいつが休める場所に移動してくれないか?」

「は……はい!」

 平山は綾子の肩を担いで部屋を出て行った。

 その後、綾子の代わりに正行たちも食べてお開きになった。


 ナターシャも部屋に戻り三人だけになった食堂で残った食材を食べる。

 刺身や納豆などは比較的早くさばけたが、コーン単品やきんぴらごぼうなどは残った。

「そういえばさ、石動君」

 単品のコーンにマヨネーズとツナを混ぜて海苔で食べていた秋水がきんぴらごぼうをつまんでいた石動に声をかけた。

「何ですか?」

「今から、パソコンを持ってきてくれないか?」

 突然のことに石動は少し秋水の顔を見たが、立ち上がり部屋を出た。

 この頃になると、料理のほとんど胃に入り残っているのは少ない。

 正行たちは大急ぎで残りを食べて食器を台所の流し台に置いて、テーブルを台拭きで清めた。

「お待たせしました」

 石動がノートパソコンを一台持ってきた。

 秋水はジーパンのポケットから石と何かが書かれた細い紙、USBメモリーの入った袋を出した。

「何、これ?」

 正行が質問をする。

「この石は鉱石だ。しかも、かなりの金を含有していることが分かっている。たぶん、同じ地層には金のほかに、銀、ダイヤモンド、水晶にレアメタルが豊富にあると思われる」

「じゃあ、このUSBメモリーは?」

「それを石動君に頼むわけ……出来る?」

「……出来ますよ……ただ、変なサイトに飛んだりしたり速攻でぶっ壊しますけどね」

 そう言いながら石動はパソコンを起動させUSBメモリーを専用のスロットに差し込んだ。

 そこには、上空から撮影した森が映っている。

「なんだ、こりゃ?」

 正行がつぶやく。

「森だな」

「少し盛り上がっているところは山かな? 丘かな?」

「画質を見ると、安くもないが高価っていうほどの機材じゃないな……ドローンか?」

「壁紙?」

 平野平親子が森の上空写真を見ながら色々な意見を言っているが、石動はキーボードなどを使い、USBメモリーを調べていた。

「おかしいですね……」

 数分後、石動は一言、口を開いた。

「おかしい?」

「この写真一枚にしては容量が大きすぎるんです、他にも隠しファイルとかあると思うのですが……」

「何? 石動君、何か、アメリカのドラマみたいに全部のソフトを丸見えにするプログラムとかないの?」

 秋水が愚痴る。

「IT産業は日進月歩ですし、ハッカーとプログラマーは常に堂々巡りの追いかけっこ状態です……」

 そう言いながらも石動の手は絶え間なく動いていた。

 あるウィンドウが現れた。

【Please input a password.】

「『パスワードを入力してください』か……何か適当に入力しましょう」

 石動が数回キーボードを押す。

 すぐに【This password is different. Please input again.】(このパスワードは違います。入力しなおして下さい)と表示される。

「そうだ、石動。ここに書かれているパスワードを入れてみてくれないか?」

 秋水は同じく手に入れた紙を渡した。

 紙にはいくつかの単語らしきものが書かれてあった。

 石動は、紙に書かれた文字を入力する。

 だが、結果は同じだった。

 手詰まりになった。

「紙には特殊な細工はされてないよな?」

「そうですね、大慌てで書いたようですし……」

 紙を見ていた正行が言った。

「レームダックかな?」

「レームダック……死に体?」

 石動は【lame duck】と入力してみる。

 すると、USBメモリーのファイル画面になった。

「当たり」

「ビンゴ」

 秋水と石動は当たった喜びより、正行が当てたことに驚いた。

 正行は頭が悪いわけではないが、何かしらのひらめきや決断は決していいわけではない。

 むしろ、突然のトラブルなどにはパニックになることもある。

 英語自体も得意ではない。

 それ故に再テストになったのだ。

 パソコンも詳しくない。

 それなのに、パソコンに詳しい石動と様々な事件にかかわってきた秋水より早くキーワードを言い当てた。

「何で分かったの?」

 父は息子を見た。

 正行は少し考えて母の仕事場から鉛筆を持ってきた。

 テーブルに紙を置き、右の一文字を丸で囲い、隣の文字と丸を書いた文字の下の文字を同じく丸で囲い、同様に三文字、四文字と増やしていく。

「『Kill not the goose that lays the golden eggs.』金の卵を産むガチョウを殺すな。半殺し状態。ということで『死に体』……」

 珍しく石動が感心する。

「お前、よくわかったね」

 滅多に息子を褒めない秋水が褒める。

 正行は照れた。

「いや……だって、この言葉を授業で習ってテストに出たし……それにさ、石動さん前に言いましたよね? 『物事には盲点と死角があって、後から見れば下らないことや単純なことでも、その前では容易に考えつかない』って」

 わざとらしく咳をする正行。

「で、この中に何が入っているんです?」

 石動の指は再び動いた。

 まず、出たのは成分表である。

「この石の成分表か?」

 秋水が言う。

 下にスクロールするとグラフも出てくる。

 予想していたように銀、ダイヤモンド、水晶にレアメタルが豊富にあることを示していた。

 予想外だったのは、石油のことにも触れられていた。

 次のファイルには、白い地図が出た。

「どこだろう?」

 正行は首を傾げた。

 と、石動を見ると顔から血の気が引いていた。

「どうした?」

 秋水の問いを無視して石動は一層早くキーボードを叩きパソコンを操作した。

 ある国の地図が出てきた。

 その地図と白地図を合わせる。

 ぴったり合っていた。

 正行が国名を見る。

「ツンドラ王国……?」

 どこかで聞いた名前だ。

 さて、何処だったか……?

 正行は答えに気が付き口に手を当てた。

「ナターシャさんがいた国だ! というか、俺、あんまりツンドラ王国こと知らないんだけど……」

 息子の問いに秋水が答えた。

「北欧の小さな国さ。現代文明から隔離されているから、ヨーロッパの原風景がそのまま残っている君主国家だ。ただ、近年は民主化を求めるデモや国外脱出する者もいて一概に国が安定しているとは言えないな」

「よく知っているね……でも、だったら何で、石動さんとナターシャさんは出会ったのさ?」

「以前、日本で行われたサミットでツンドラ王国がオブザーバー参加した。その時、おやっさんと仕事をしていた俺は彼女に会って惚れた」

 石動が事も無げに言った。

 正行はそれ以上詮索しなかった。

 聞いてはいけないような気がした。

 少なくとも男女の関係は今の正行には難しい。

 と、その時。

 何か低音の音が聞こえた。

「なんか、音が聞こえない?」

 正行が聞く。

「どうせ、自衛隊の飛行演習じゃねぇの?この辺、時々低空で通っている……」

 秋水が答えている途中。

 その瞬間だった。

 腹に響く爆撃音が響き、家全体が揺れた。

「何‼?」

 混乱する正行。

 だが、秋水と石動は違った。

「石動、ナターシャさんを地下の食糧庫に連れていけ!」

「了解!」

 石動はUSBメモリーをパソコンから引き抜きズボンに入れた。

 秋水は混乱する正行に告げた。

「敵襲だ!」

 敵襲。

 この言葉に、正行は脊髄に冷水を入れられたような気がした。

 最近、使っていなかった細胞が一気に色めき立った。

 そんな正行を見て、秋水は隠し持っていた拳銃を渡した。

「俺たちは母ちゃんのところに行くぞ!」

「了解‼」

 二人は素早く台所を出て、綾子のいる上の階むかった。

 上がってすぐ、土埃が舞っていた。

 視界がほぼない状態だ。

 反射的に角へ身をひそめる。

 発砲音がする。

 鼻に入る硝煙のにおい。

「正行」

 反対側の角で様子を見ていた秋水が声をかけた。

 手早く銃の確認をすると安全装置を解除する。

 秋水も別の拳銃を用意し様子をうかがう。

 銃声が止んだ。

 今度は正行たちが拳銃を土煙にむかって撃つ。

 視界が見えにくいうえに相手の装備もわからないので角から顔を少し、拳銃を握った手だけ出しての反撃だ。

 しかし、何人かの悲鳴が上がった。

 と、誰かが何かを叫び足音が去っていく。

 二人は土煙の中へと入っていく。

 平和な日本において、そこだけは戦場のように荒らされ、えぐり取られていた。

 うめき声がする。

 数発は当たったようだ。

 無事だった人間に引きずられているのか、彼らも遠のく。

 その中で一人の人影を見た。

「平山!」

 秋水が叫ぶ。

 正行たちが駆け寄る。

 彼は頭から血を流して壁にもたれていた。

「大丈夫ですか?」

 声をかける。

「俺は大丈夫ですが……社長が……」

 血の気が引いた。

「綾子!」

 黙っていた秋水は煙の中へ駆け出し、正行も追った。

 階段を駆け上がる。

 土煙が酷く、『モデルルーム』としていた装飾され公開されていた部屋も破壊の限りを尽くされた。

 追いかけてきたのを気が付いたのか、再び、銃声がして角に身を隠す正行と秋水。

 反撃を試みるが、弾切れになった。

 その時だ。

「これを使え!」

 足元に拳銃が滑り込んできた。

 弾丸も補充してある。

 正行と秋水は、第三者から渡された拳銃で反撃をする。

 と、一気に土埃が霧散した。

 建物の半分ほどが文字通り切り取られたように無くなり、夜空が見える。

 部屋の代わりに軍事用ヘリコプターが待機していた。

 迷彩服を着た男たちが逃げようとしている。

 その中にぐったりとしている、母親を見つけた。

 糸の切れた人形のように男たちに担がれていた。

「母さん‼」

 正行は走り出そうとした。

 だが、負傷した兵士を先に入れ他の兵士が秋水たちの足元に撃ち、威嚇をする。

 母を誘拐した兵士たちの乗ったヘリコプターは離陸し、夜空へ去っていった。

 正行の中に様々な感情が渦巻いた。

 後悔、自分の甘さ、油断していたこと……

 数時間前のふやけた自分がいたら、ぶん殴りたいとすら思った。

 無意識で握った手から一滴の血が流れた。

「正行、落ち着け」

「親父!」

 振り返ると秋水と、もう一人の男が立っていた。

 以前、居酒屋で話し込んだ外国人だった。

 その時は穏やかで紳士的な人という印象があったが、目の前にしている彼は目つきが鋭く、逞しい印象が勝る。

「あなたは……?」

 正行は問うた。

「俺は、ボー ・ストークマン。ツンドラ王国の諜報部員をしている」

「おやっさん、正行‼ 大丈夫か?」

 そこに石動肇が駆け寄ってきた。

 だが、ポーを見た瞬間、その顔に警戒の色が浮かぶ。

 秋水は言った。

「久しぶりだが、ポー。お前の知っていること、全部話せ」

 ポーは頷いた。

「無論、そのつもりでここに来た」


 家の周りには近所の警察などが道路から立ち入り禁止にした。

 しかし、六階建てアパートの四分の一がえぐられた様に無くなり、スマートフォンで写真を撮る野次馬や近所の住人などが黒山の人だかりを作り、駆け付けた警官達が彼らを黄色いテープの内側へ入れないようにしている。


 そんな外の騒めきを遠くに聞こえながら、正行、秋水、石動、ポーは地下駐車場にいた。

 無事だったナターシャは安静のため秋水のトヨタのナディアにいる。

 警察が来る前に空の薬きょうなどを回収し、正行たちはそのまま、ポーは『商談で訪れた』として現場で聴取を受けた。

 担当の刑事たちが来るまで、正行たちは地下駐車場に集まり、ポーの話を聞いていた。

 まず、ポーは事の始まりから語りだした。

「ツンドラ王国が近年、限定的ではあるが、外国から学者や軍事関係者を招いて地質調査や軍事訓練をしているのは知っているか?」

「ああ、ナターシャは、それに心を痛めていた」

 石動が頷く。

「豊か自然や素朴な国民を彼女はとても大切にしていた」

 ポーが目の脇から車中で目を閉じているナターシャを見た。

 幸い、素早く安全な場所に移動させたのが功を奏し今のところ怪我はなく流産の可能性は低い。

 彼女の姿を見て小さくポーが唇を噛むのを正行は見た。

「その中でツンドラ王国が二つの大きな財産があることが分かった。一つはお前たちが知りえた、地下資源だ……学者連中が言うには『もしも、最新鋭技術を持って発掘すれば世界の資源情勢や経済がひっくり返る』だそうだ」

「それを世界各国が狙っている……と?」

「全てが味方ではないさ。資源に頼っている国からすれば目の敵だ」

 壁にもたれて黙っていた秋水が正行に言う。

「もう一つは遺伝子情報だ」

 ここで正行は目を点にする。

「あれ?遺伝子情報って解読されたんじゃ……? 確か、『ヒトゲノム計画』でしたっけ?」

「ツンドラ王国では、後継者問題が持ち上がっていて一部の権力者は純粋な『ツンドラ王家』の人間を人工的に作ろうとしている」

「そのためにナターシャさんを狙っていたと……」

 ポーは首を振る。

「いや、俺個人はそれを望んではいない」

「彼はむしろ、彼女を救おうとしたんですよ」

 そこに正行の知らないスーツを着た男がやってきた。

 ポーと同じように頭髪はないが、正行より頭一つ低く、顎髭を生やし、目が鋭い。

「彌神……か?」

 秋水が聞く。

 彌神と呼ばれた男は、正行たちの前で敬礼した。

「自分は警視庁公安部外事一課より派遣された彌神辰巡査部長であります」

「警視庁公安……猪口さんの部下?」

 正行の問いに敬礼を解いた彌神は頷く。

「全世界の警察組織のデータを引っ掻き回して、ようやっと殺された男のことが分かりました。『エフゲニア・ミナコフ』無国籍傭兵集団、『ジック』『バイス』に所属していた暗殺者です。最終経由地カナダから遅れて運ばれた荷物には、ゴルフバックとアタッシュケースですが、暗殺道具が巧妙に隠されていました」

「『ジックバイス』って何ですか?」

 正行がまた質問をする。

「正確には『ジック』と『バイス』という傭兵組織です。彼らは、最初に紛争地帯に愛と平和を語る傭兵として『ジック』を送り込みます。敵対する組織には熟練の傭兵部隊『バイス』を送り、争いを混乱させ激化、そのうちに有能な若者などをさらい、自分の組織に組み込みます……」

「若い男なら洗脳させて自分たちの手駒に、上等な女なら上層部の妾や慰み者、それ以外の女は麻薬漬けにして売り払う」

 彌神の言葉に石動が補足した。

「それってマッチポンプじゃん」

 正行が苦々しく言う。

「襲ってきたのは断定できませんが、今、星ノ宮港から十数キロの沖に国籍不明の客船が停泊しています。ヘリも備えられています」

 彌神の報告に沈黙が下りた。

「裏で糸を引いているのはツンドラ王国の誰かなんだな?」

 秋水が口を開いた。

 ポーは頷いた。

「こうなったのも俺の責任だ。すまない」

 頭を下げるポー。

 そこに頭に包帯を巻いて息を切らせて走る平山がやってきた。

「秋水さん、救急車がやってきました! ……」

 重い空気に平山はたじろいだ。

 秋水と石動は目線を合わせた。

 石動はナディアのスライドドアを開けて丁寧にナターシャを外に出した。

 ナターシャとポーの目線があった。

 だが、ポーは無視するように視線を外した。

「平山」

 壁から離れ秋水が平山の前に立った。

「あの……社長は……いや、綾子さんは⁉」

 心配そうな平山の肩に秋水は手を置いた。

「大丈夫だ。綾子は無事に連れ戻す」

 優しい声だったが、固い意志が込められていた。

 それでも、平山は秋水に問い質した。

「あなたは一体、何者なんですか?」

 正行は無視すると思っていたが、父は答えた。

「星ノ宮市の厄介事引受人、流行言葉でいうのならトラブルシューター。今回は俺の油断で間違えて連れ去れた」

 平山は秋水の目を見た。

 秋水も平山の目を見た。

「……綾子さんを連れ戻してくれれば報酬はいくらでも払います」

 平山の言葉に秋水は片方の口角を上げた。

「その依頼は受けられない」

 驚いた正行は同様の平山と父を見た。

「これは、仕事じゃない。意地とプライド、何より大切な人を奪われたから取り返す。それだけだ」

 平山はそれ以上のことは聞かなかった。

「平山、お前に頼みがある。この石を預かって……」

 彼に金鉱脈の石を渡した秋水は、ナターシャを呼び彼の前に立たせた。

「彼女を病院に行って守ってくれ」

 突然のことにナターシャは戸惑った。

「大丈夫です。こいつは、信頼できます」

 秋水の言葉にナターシャは夫である石動を見るが、彼は頷いた。

 おずおずとナターシャは平山に頭を下げる。

「私も護衛します」

 彌神も付いていく。

 平山は丁寧にナターシャの手を携えてスロープを上った。

 彌神もすぐに助けられるように追いかけ、しばらくして救急車の音が遠のいていく。

 再び、重い空気が流れた。

――これは、仕事じゃない

――奪われたものを取り返す

 体が震えた。

 正行には、それが喜びなのか、怒りなのか分からない。

「手引きは俺がする。近くの駐車場に車を止めてある。武器も用意してある」

 ポーの言葉に、正行たちは頷いた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る