流れゆく硝煙

八章 回想

 正行と飲んだ翌日。

 ポーはレンタルした車で郊外に出た。

 居酒屋を出てホテルで寝るまでの間、複製した平野平正行の個人情報を大まかに見たが、笑うぐらい実に平凡な学生だということが分かった。

 盗んだスケジュールなどを見ると『レポート再提出』などの表記があり、学業はいささか苦手らしい。

 その中に求める情報は少なかった。

 細かいところは今夜、調べよう。

 星ノ宮市郊外は自然あふれ、古き良き建物が観光資源として数多く残っている。

 敬虔深かったナターシャの性格を鑑みて、教会などに足を運び、彼女を知っているかさり気なく聞いた。

――遠い親戚

――昔の同僚

 などなど様々な身分を偽って話を聞きだす。

 人がいい彼らは、スーツと手土産に心を許し、彼女のことを思い出そうと所在を調べてくれたが手掛かりはなかった。

 礼を述べて去る。

 深酒をしたせいか、頭が軽くズキズキする。

 そこにスマートフォンが鳴った。

 相手の名を見て目を細めた。

「もしもし……」

『私だ……ナターシャ妃の居場所は分かったのか?』

「いえ、まだです」

 電話の相手はポーにナターシャ捜索を命令し、来日させた張本人。

 ヘルガ・オロフソン。

 ツンドラ王国の上級軍人で官僚でもある。

『そうか、早く見つけてくれ』

 それはポー本人からしても意外な、言動だった。

 上司に質問をしたのだ。

「何故、自分はナターシャ妃の捜索を命令されたのでしょう?」

 深酒した頭痛のせいなのか?

 それとも、緑あふれる郊外の新鮮な空気のせいなのか?

 いや、気が緩んでいたのだろう。

「申し訳ありません、おかしな言動をしました」

『いや、気にするな……お前を指名したのは、お前とナターシャ妃には子供のころに一緒に住んでいただろ?』

「ほんの数か月ですが……」

『それが理由だ。お前なら、警戒感無くお人よしのナターシャ妃に近づける』

 その言葉にポーは唇を強く噛んだ。

 電話を切る。

 後ろを振り返る。

 高台にあるせいか、星ノ宮市の市街地が一望できる。

 頭痛はするが風が気持ちいい。

 少し開放的な気分になり、思わず体を天に伸ばして脱力する。

 だが、不意に暗い気持ちになった。

 己の過去が自分を苛んだ。


 戦争孤児となって生き残ったポーは避暑地の別荘に向かっていた王族で子供だったナターシャに拾われた。

 馬車の中でポーはひたすらお菓子を食べ、飲み水を飲んだ。

 ナターシャの家族は、汚い彼を優しく見守っていた。

 別荘についてからは、専属の男性使用人が中庭に連れて行きぼろきれ状態だった衣服をはぎ全裸にして金盥の中に入らされて、文字通り頭の先から足の裏まで念入りに石鹸をこすりつけたスポンジなどで洗った。

 綺麗に整備された中庭の緑と見上げた建物に囲まれた四角く何処までも続く青い空、それから石鹸の香りは今でもありありと思いだすことが出来る。

「おめぇ、運がよかったな」

 体を洗っていた年老いた使用人が言った。

「いくらお優しいナターシャ様でもツンドラ全土のみなしごを助けることなんて出来ないんだからよ」

 それから、綺麗な服と食べ物を与えられた。

 食べられるだけでも嬉しかったが、特にターキー(七面鳥)の丸焼きとアイスクリームが大好きだった。

 ナターシャ家族といた数か月。

 ポーは見違えるように変化した。

 食事作法や着替えなどを身に付け、言葉遣いや語彙は飛躍的に上がった。

 最初は児童用の簡単な絵本から徐々に文字を学び、分からない言葉や事柄があれば積極的に周囲の者に聞き、やがて自分で辞書や専門書を引くようになった。

 最終的にはナターシャよりも難しい本を読むようになっていた。

 幸せだった。

 天国かと思った。

 だが、突然、終止符が打たれる。

 養子縁組が決まり、ポーはナターシャ家とは遠縁の騎士団団長の養子になった。

 その家には同じ境遇で拾われた同じような男子が十人ほどいた。

 彼らは『跡取りの座』を狙っていた。

 ポーたちに対して養父は教育を惜しまなかった。

 専属の家庭教師をつけ、体を鍛えることを推奨した。

 食事も寝る時間も住む場所も十二分に与えた。

 しかし、ナターシャたちのような安らぎや幸福感はなかった。

 その家にいた十数年間。

 彼らは常にお互いを敵視し策略を巡らしていた。

 のし上がるために表面上仲よくしながらも、裏では虐めの様な喧嘩など後が絶えなかった。

 ポーは、あくまでも『中立』を守った。

 養父は様々な場所で彼らを見せた。

 彼らは、常に『自慢の息子たち』が求められ、養父は常に『厳しくも優しい父』と呼ばれることを欲していた。

 夜は養父の夜伽の相手をさせられた。

 全員の時もあれば、養父と二人だけの時もあった。

 不本意ながら、その中で童貞を捨てた。

 何年か過ぎた。

 他の養子たちは、力を欲するようになった。

 権力、暴力、知力、謀略、性欲……

 それが、ポーには虚しいものに映った。

 社交界の闇も知った。

 そこも同じように力を欲する場所であった。

――ナターシャを守りたい

 そう思った。

 自分の暗い人生の中でわずかな期間、けれど、自分を人間らしくさせてくれた恩人のために未来を捨てる覚悟をする。

 ポーは養父に自分の『処女』を捧げる代わりにツンドラ王国の諜報機関に属することを嘆願した。

 最初のうちは渋っていた養父もポーの手技などに最後は汗まみれになりベットに倒れ認めてくれた。

 まだ、出来たばかりの諜報部は今見れば、人員や知識などが圧倒的に不足していた。

 その中で一人の日本人がナターシャを連れ去るという失態が起こる。

 彼はツンドラ王国の弱点を知っていた。

 敵ながら『見事』とさえ思った。

 当初は自分の無能さなどが腹立たしかった。

 しかし、ナターシャが望まなければ不可能な逃走劇であったことを知り、ポーは認識を少し変えた。

――彼らは愛し合っていた

 自分を苛む気持ちもあるが、同時に、祝福する気持ちもあった。

 子供だったナターシャもポーもいつの間にか大人になっていたのだ。


 少し強い風がポーに吹いて、思い出を一旦仕舞い、レンタカーに乗り込みシートベルトをロックしてエンジンキーを回した。

 

 予想よりも早く街についた。

 レンタルしていた車を返し、街中を歩く。

 明日が休日ということもあり、多くの人で繁華街は混雑していた。

 定時連絡をしようとしたが、別の誰かと話しているのか、繋がらない。

 特に目立って報告することもないのでいいのだが……

 ポーは街の中を目的もなく歩く。

 時刻は夕方。

 まだ、酒場が営業を始める時刻。

 しかし、小腹の空く時刻でもある。

 気が付いた時には、飲食店の集まる場所に来ていた。

 数メートルおきにクレープや串焼きの移動屋台があり、通行人の多くは何かしらの飲食物を持って歩いているものが多かった。

 色々見て回る。

 こういうお祭りのような雰囲気は色々な国にあった。

 雑多な雰囲気に人々の活気。

 その国の考え方や好みを知るには書籍で読むより実感として理解できる。

 珍しいのぼりを見つけた。

【レバカツあります】

 正行と飲んだ居酒屋とは違う、しかし、和風の居酒屋だ。

「こんにちは」

 ポーは引き戸を開けた。

 天井から薄型テレビが下げられニュースをやっている。

 それを見ながら数人の客は思い思いに酒を飲んでいた。

「はい、いらっしゃい」

 調理場からエプロン姿の店主がやってきた。

 意外と若い。

 外国人が突然来店したことに、いささか驚いているようだ。

 だが、流暢な日本語に幾分安心もしている。

「店先に『レバカツ』という文字がありましたが、どんな料理なのですか?」

「文字通り……ええっと……レバー、牛の肝臓ですね。それを薄く切って串に刺してパン粉で揚げて特製のソースに付けた料理です」

「おいくらですか?」

「五本で五百円です」

 数分後。

 ポーは紙袋に入ったレバカツを食べながら宿にしているビジネスホテルへ向かい歩いていた。

 店主が言っていたように牛のレバーを薄く切って縫うように串を打ちパン粉を付けてフライにしてソースに浸したものだ。

 ウスターソースのようだが、食べてみると他にもトマトケチャップなどの風味がする。

 レバーの厚さもちょうどいい。

 これ以上薄ければソースだけの味になるだろうし、厚ければ食べ応えはあるだろうがレバー独特の歯ごたえや臭みで苦手な人には辛いだろう。

 そのレバーも新鮮なものを使い徹底的に血抜きされたせいか、他の国のレバー料理より食べやすい。

 食べ終えて、近くに設営されているゴミ箱に食べ終えたレバカツの串と袋を捨てる。

 人だかりのくせに、路上にはゴミが少ない。

 日本人の規範意識の高さもあるが、ゴミ箱が景観などを邪魔しないように設置されているのだ。

 人ごみの中で仲睦まじい親子連れが自分の横を過ぎた。

 懐かしい記憶が脳をかすめた。

 多忙な自分に対して任務を終え帰宅すると娘と妻がいつも手作りの料理で待っていた。

 その味と温かさは家族を知らないポーにとって何よりも美味であった。

 その頃を思い出し、わずかに胸が苦しくなった。

――ホテルに戻ってシャワーを軽く浴びて、ベットでひと眠りしたら再び街に出て馴染みになった居酒屋で酒を傾けよう

 そんなことを考えていると、足音がした。

 一般人なら、並の徴兵された兵士ぐらいなら分からない、【その道の専門家プロ】でなければ感知できない独特の足音。

 あたかも、それは森林やサバンナで獲物を狙う大型肉食獣が気配を消して草食獣の群れを追跡しているのに似ている。

 一瞬の油断も許されない。

 無論、ここは戦場ではない。

 多くの無関係の人間が歩いている。

 相手も理由もなく戦闘はしないだろう。

 何のメリットもない。

 だが、この足音を聞くと自分のことを認識している。

 自分の足音の癖を覚えていたのかも知れない。

 その迫力は、まさにライオンや熊が目の前からやってくるのと同じだ。

 足は止めない。

 それは相手に変な誤解を与えかねない。

 相手も真っ直ぐやってくる。

 前を見据える。

 相手は二メートル以上の巨体にもかかわらず周囲の人波に溶け込んでいた。

 気にするものは通り過ぎる数人ぐらいだ。

 それも数秒程度。

 巨躯の男は、片手にクレープを持っていた。

 最後の一口を口に入れ包んでいた紙をジーンズのポケットにしまう。

 一歩一歩進めると、緊張感が高鳴る。

 今まで自分が何者か半分忘れていたようだが、それをはっきり自覚させる。

 風が冷たいのに汗が噴き出る。

 手が震えそうになるが握りしめて耐える。

 しかし、違和感を出すわけにはいかない。

 目の前に来て、横を通り過ぎ、背後へ去った。

 一瞬だけ、後ろを見た。

「久しぶりだな」

 横に並んだ時、他の者には聞こえない、特殊な声でポーに男は話しかけた。

――平野平秋水

 邂逅した男にポーは生唾を飲んだ。

 そこにはこれからを楽観視している彼はいなかった。

『石動肇と平野平親子は繋がっている』


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