七章 邂逅

 ポーは、その日も石動肇と行った居酒屋で酒を傾けていた。

 今のところは収穫がない。

 ナターシャ妃が何処にいるかもわからない。

 もっとも、捜索命令が出る直前に石動肇に警告したのだ。

 わざとらしく命令が出た直後に、石動邸に向かったが案の定もぬけの殻であり、ポーは日々、星ノ宮市街地を中心に車をレンタルして隣接する市町村へも出向いて上司に定時の結果報告をして早々に酒を飲む。

 仕事柄、様々な酒を飲んできたが『居酒屋』で酒を飲んだのは今回の来日が初めてだ。

 ワインなどは適温が決められ、変化に乏しい。(ホットワインなどもあるが)

 日本酒は違う。

 温めても冷やしても、それぞれに美味さが違う。

 バーなどで一人タンブラーを傾けながら孤独を味わうのも悪くないが、居酒屋のバラバラのようで妙な一体感はむず痒いような嬉しいような気になる。

――ああ、俺は一人ではない

 そのことをカウンターで実感する。

 加えて、ここでは誰も知識や蘊蓄を好まない。

 みな、好きに食べ、飲み、談笑する。

『バル』にも似ているが、日本の居酒屋のほうがポーは気に入っていた。

 店のほうもポーのことを『酒好きの外国人』と見ているらしくお薦めの肴などを拙い英語と身振り手振りで紹介してくる。

「はい、今日のお薦めは少し変わったホットコロッケサンドです」

 出された皿には山盛りのキャベツにトマト、程よく焼けた食パンに挟まれたコロッケサンドが三角形に切られている。

 店員は去り、コロッケサンドを手に取ってみる。

 まだ、温かい。

 その上、ちゃんと専用の道具を使ったせいかパンの表面がパリパリしている。

 口を開けて食べようとするが、入らない。

 少し恥ずかしいが、口を大きく開けてかぶりつく。

『美味い!!』

 まず、そう思う。

 コロッケ自体単純な料理である。

 しかし、コロッケ自体が美味い上に、さらに具沢山なのだ。

 烏賊、エビ、蛸の海鮮類、きのこやグリーンピース、ひき肉はいささか控えめだが、バランスが取れている。

 そこに過不足なくソースが加わる。

 パンのさっくりした歯応えもいい。

 そのパンの匂いに、ある光景が脳裏をよぎった。


 たぶん、最奥の記憶だ。

 自分はとにかく腹が減っていた。

 今考えれば、衣服も質素で夏でなければ凍死していてもおかしくなかった。

 腹ではなく、体全体が空腹を訴えていた。

 親の記憶はない。

 たぶん、その前に殺されたのだろう。

 生まれた村は戦場だった。

 足元には死体が転がっていた。

 軍服を着た者もいれば、私服を着た者もいた。

 中には蛆や蠅がたかりはじめたものもあった。

 森の中に入り、小屋を見つけ入った。

 中には、テーブルとイス、ベットがあるだけだった。

 テーブルの上にはパンが一斤と開封した瓶ワインがあった。

 まず、パンに噛り付いた。

 そのパンはボソボソして固かったが食べていることに喜びを感じた。

 途中で喉に詰まり、ワインを瓶から直接煽った。

 喉が焼けるように痛くなった。

 苦しかった。

 その時、扉から大きな男が現れた。

「お前、誰だ!?」

 手に持っていたナイフで襲い掛かってきた。

 思わず目を閉じた。

 男も飢えていたのだろう。

 耳を刺さる音がした。

 何が起こったのか、瞬時には理解できなかった。

 目をそっと開けると男は床に倒れて赤く染まった床にうつぶせで倒れていた。

 手には硝煙の臭いがする拳銃を所持していた。

 意識は食べ物のほうに集中していたがテーブルの上には拳銃も置いてあったのだ。

――人を殺した

 このことを知ったとき、ポーは自分でも意外なほど冷静であった。

 後悔の念や悲しみなどなかった。

 それから、森を出て、再び戦場を歩いた。

 もう、何も迷わなかった。

 死体から清潔な衣服や腐敗していない食べ物を漁るのも平気になった。

 子供の手には大きい拳銃を持ち弾丸も奪った。

 同じような孤児と徒党を組んだこともある。

 ただ、大抵は敵対する大人に殺された。

『運』がなかったのか、『生きる術』を持たなかったか。

 今となっては分からない。

 大人から食べ物を奪い、殺すことも当たり前になった。

 だんだん、周りが死体だらけになった。

 実は内紛が終結したのだ。

 それを知らない自分は戦場であった場所を彷徨った。

 確か真夏だった。

 影が足元にあったから、昼間だったと思われる。

 廃墟の壁に背を預け、座った。

 というより、立つ力がなかった。

 どれほど、食べ物を食べていないのか、仲間はどうしたとか、考えなかった。

 ただ、自分が『死ぬ』ということを考えていた。

 この時も冷静だった。

 いや、心のどこかが壊れていたのかも知れない。

 暑いのに、眠くなってきた。

――もう、二度と目を開けることはないだろう。

 そう覚悟した。

 その時だ。

「大丈夫ですか?」

 優しい声がした。

 目を開けると、自分より小さい女の子がいた。

 青い目に美しい顔をして、それにふさわしい服装をしていた。

 彼女は、天使に見えた。

 目を閉じた。

「起きて」

 天使の言葉に目を開ける。

 天国ではなかった。

 世界は何も変わってなかった。

 彼女は革で出来た水筒を差し出した。

「飲んでください」

 考えるより手が動いた。

 すぐに飲み干した。

――冷たい

――美味しい

 喉だけではなく体が生き返ったような気分だ。


「あの……」

 横から声がかかった。

 声のする方に振り向くと青年が一人、心配そうにしていた。

「大丈夫……ああ、ええっと、メイ・アイ・ヘルプ・ユー?」

 自分が外国人だと知って青年は何とか拙い英語で助けようとしているようだ。

「大丈夫です、ご心配お掛けました」

 ポーは丁寧に返事をした。

 青年は驚いたようだ。

「日本語、上手いですね」

 適当に誤魔化すことにする。

「ええ、大学で日本語を学んでいましたし、それで日本の商社に入りました」

 嘘をついた。

 若干真実を交えて……

 ポーは日本語をはじめ世界の主要言語は学んでいる。

「へえ、凄いです」

 青年は素直に感心する。

 胸の辺りが浮足立つが、酒を飲んで落ち着かせ反問する。

「あなたは……?」

「俺は、この近くにある大学の学生です」

 そこに少し遠くから声がかかる。

「平野平君、ちょっと来てほしいんだけど!」

「はいはい‼」

 青年・平野平正行は、声がかけられた目の前の酒を置いて座敷へ向かった。

『平野平』

 この言葉で今までの酔いが一気に覚めた気になる。

 かつて裏社会で『霧の巨人』と呼ばれた伝説の傭兵だ。

 自分が裏社会の人間である立場を強く意識する。

 残ったのはカウンターに乗った、半生の鶏肉が刺身のように盛られた皿と山葵を溶いてドロリッとした醤油の入った小皿、お猪口と徳利。

 正行のものらしい。

 ポーは食べ終えたホットサンドの皿などを店員に片づけさせ、ビールとポテトサラダを注文する。

 すぐ出てきた。

「挨拶なんて慣れたものじゃないなぁ」

 数分後、正行は、そう愚痴りながら席に戻ってきた。

「何かあったのですか?」

 ポーはポテトサラダをビールで流し込み、さり気なく聞いてみた。

「いや、何。別の学部と野球をして勝ちましてね。祝賀会ですよ」

「ほう、スポーツ万能ですね」

 その言葉に正行は少し笑った。

「俺が腰にデットボールを食らっての逆転勝ちですけど……」

 ポーが言う。

「僕もフットボールをやっていました」

「かっこいい」

 正行は素直に感嘆した。

 この青年、実に素直な人間である。

「そうでもありません。僕が出来たのはパスぐらいで目立ったことはしませんでしたからね……」

 この言葉自体嘘はない。

 ポーは日本語を学んだ学生時代、フットボールを確かにやっていた。

 周囲から『気の利いたパス回し』を誉められたが直接得点につながることは控えていた。

 目立ちたくなかった。

 話している間に隣の正行は鶏わさと日本酒を飲み終え、今度は新しく大きなメンチカツを肴にビールを飲んでいる。

 細心の注意を払いながら、しかし、自然体のように聞く。

「あの……学生とおっしゃいましたけど、お一人でお住まいですか?」

「いえ、今は家族と……います」

 わずかに戸惑ったことをポーは見逃さなかった。

 胸の中の不安がだんだん具体的な形になっていく。

「何で、そんなことを聞くんです?」

「いえ、深い意味はありませんし、無礼でしたら申し訳ありません。ただ、私には別れた妻と娘がいまして、どうすれば仲直りできるか考えていたんです」

 これにも色々伏線を忍ばせた。

 目の前でビールを飲む、人のよさそうな青年がどう出るか神経を払った。

 正行はあっさり引っかかった。

「別にいいですけどね……実は、ここだけの話。俺の親父と母さんも離婚しているんですよ。ちょっと訳あって同居はしているんですけど……」

「え!?」

 やや大袈裟に驚いて見せる。

 風の噂では離婚までは知っていたが、同居しているとは聞いていない。

 新しい情報だ。

「別れたのに何でまた……」

「俺もよく分からないんです。どうも、親父と母さんが勝手に決めたみたいで……」

 ポーは以前、ある作戦で雇われた平野平秋水を思い出した。


 当時の彼は『霧の巨人』として、その世界で名の知れた、有能な兵士であり、思い切りがよく、決断力に優れていた。

 その容姿や評判に似合わず博識であり、土地の言語や習慣などを一週間で覚え、その言葉で仲間を冷やかし談笑もした。

 同時にあらゆる武器、格闘技にも精通し、容赦なく任務を遂行した。

――傭兵は辞めて日本に戻って厄介事を片付ける仕事をする

 そんなことを照れくさそうに話していた。


 その子供が目の前にいる。

 改めて見る。

 厚手のブラウスとジーパンという姿だが、鍛えられているのがよくわかる。

 昨日今日と作ったものではない。

 長い時間、多分子供の頃から、丁寧に鍛え上げられたのだ。

 若干線が太いのが気になるが、その気になれば、すぐに痩せるだろう。

 手を見れば所々角質化しているところがある。

 俗に『拳タコ』と呼ばれるものだ。

『殴られたら痛そうだ……』

 そんな思いを酒と共に飲み干す。

 風の噂で故郷の厄介事引受人を子供と共にやっていると聞いた。

 ポーはさりげなく、正行のスマートフォンが尻にあるポケットから出ていることを見る。

 正行と話しながらポーは自分のスマートフォンを正行のスマートフォンに近づける。

 人々は話と飲み食いに忙しく酔っ払い、店員はそれらを運ぶのに速足でジョッキや料理を持っていくので誰も見ていない。

――便利な時代になったものだ

 かつては、相手の交友関係や電話番号を調べるのには刑事に扮して関係者らしき人物に聞き込みをして必要ならば市役所に忍び込みコンピューターをハッキングしなければならなかった。

 秘密主義者なら、『情報屋』から多額の金を支払い、不確かな情報を得ていた。

 今は違う。

 情報機器が発達したおかげでスマートフォン同士をかざせば様々な情報が自動的に登録される。

 特にポーの使っているスマートフォンは相手のスマートフォンの情報もコピーできるように改造されている。

 そこから、相手の趣味から政治的主義主張まで閲覧できる。

 ポーは正行との会話は続けている。

「……でも、やっぱり、どんな理由があったとしても父ちゃんと母ちゃんは仲良く一緒にいてほしかったな」

 いつの間にか、酒を飲む速度が速かったせいか、正行は顔を真っ赤にして酔っていた。

 彼は意外とアルコールに弱いのかも知れない。

「しかし、男と女という関係は……」

「親父みたいなこと言いますね」

 目を細くし、口をとがらせて正行は熟柿臭い息を吐いた。

 彼の前にある酒もロックの焼酎になり、つまみも豚の角煮に変わっていた。

「そりゃ、俺はどうせ、童貞で女の子の気持ちなんざ分かりませんけどね、子供の気持ちはどうなるってことですよ?」

 その言葉はポーの胸を突いた。

『子供の気持ち……』

「寂しかったですよ……そりゃ、爺ちゃんは色々面倒見てくれましたけどね、親に見捨てられた感は半端ないっすよ! ……焼酎お替り‼」

 配膳担当のバイトを呼び止めて、酒の注文をして空になったグラスを渡す。

 すぐに替わりの焼酎が運ばれてきた。

 正行自身もかなり酔っていることを自覚したのか飲む前に豚の角煮の脂身に辛子を付けて食べから、新たに運ばれた焼酎の入ったグラスに口を付けた。

 辛子の刺激に多少、素面に戻ったのか正行は声を落ち着いていた。

「親父も母さんも時々は会いに来ましたよ。鍋丸ごとプリンとか作ってくれて……」

「鍋丸ごとプリン?」

「字面通りですよ。型に入れないで鉄の鍋で丸ごと蒸し焼きにして冷やしたプリンで親父の得意料理です」

 その言葉に珍しくポーは吹き出しそうになった。

――あの二メートル以上ある大男が作るプリン?

――それも、鍋丸ごと蒸し焼き?

 豪快なのか、繊細なのかよくわからない。

「母さんは、料理はいまいち下手でしたけど、時々ネットや本とか見て料理作ってくれましたよ……」

 正行は言葉を切る。

 残りの角煮を食べ、焼酎で流し込んだ。

「でもね、俺が本当に欲しかったのは美味い飯でも綺麗な服でも図書カード、テレビゲーム……それよりも、家族そろってご飯を食べたかったし、一緒に下らないことで笑ったり泣いたりしたかったんですよ……」

 スマートフォンを持っていた手が震えた。

 情報をコピーし終えたことを知らせたのだ。

 素早く、スマートフォンを仕舞う。

「それを言えばよかったのではないですか?」

「そりゃ、結果論的にはね……でも、子供ながらに感じることがあるんですよ。まして、自分の不平不満を言葉に出来ない子供ならなおのこと……辛いです」

 裏社会、闇社会に生きる人間にとって、『家族を持つ』ということはかなりの負担になる。

 ポーは経験上それを知っているし、体現している。

 例え、自分の支援者が国家であろうとマフィアであろうと、変わらない。

 多少なり同じ世界で生きる正行も分かっているはずだろう。

 だが、心と理屈が合わないのもよくわかる。

 自分が恋に落ちたとき、世界が一変したことを知ったからだ。

 愛を知ったとき、生きることの意義と喜びを見出した。

 だからこそ、それを失ったときの恐怖を身に染みてわかっている。

「平野平君‼ 帰ろう‼」

 座敷で飲んでいた同級生たちがレジ前に立っていた。

「そんじゃあ、下らない話を聞いてくれてありがとうございます」

 正行は立ち上がり、若干フラフラしながら同級生たちと合流する。

 心配しながら正行の背中を追ったが、無事に合流し会計を済ませて店の外に出たようだ。

 再び、酒を飲む。

 だいぶ、温くなった。

――家族そろってご飯を食べたかったし、一緒に下らないことで笑ったり泣いたりしたかったんですよ……

 正行の言葉が心の中で繰り返される。

『では、どうすることが正解だったのか?』

 自問自答する。


 その日、ポーは少し遅くまで酒を飲んだ。

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