五章 男三人寄れば・・・?

 正行は、父から『家を改修工事するから母ちゃんのところに引っ越す』という旨の話を聞いて驚いた。

 亡き祖父から家のことは聞いていたから改修工事自体は別にいい。

 問題はなぜ、別れた母のところに行かなければいけないのだろう?

 秋水の職業は不動産紹介業なのだから空きアパートや空き家物件をしているはずである。

「何かあった時に、訳知ったる人の方がいいからね……」

 秋水はそういった。

 扶養されている正行に文句も言えるはずもなく、約一週間かけて荷物を母の住むマンションへ運んだ。

 数年ぶりに見る母は快く受け入れてくれた。

 空いている部屋も無料で貸してくれた。

 正行の部屋は三階の独身用の1Kの部屋で思いのほか広かった。

 母の会社に勤める社員用が徹夜作業などで休憩、仮眠をとる部屋だったらしい。

 机とベットが一体化したシステムベットもあったが、体格のいい正行には狭く耐久性にも不安があったので、寝るのはフローリングに床に厚手の敷布団を敷き掛布団をかけて寝る。

 ベットはほぼ、鞄などの荷物置き場だ。

 また、引っ越すことが前提なので自分の身の回りの必要最小限しか部屋に入れなかった。

 早朝のランニングや稽古は続けている。

 道場が無いのでマンションの屋上を道場代わりにしている。

 汗を井戸水や昨日の残り湯ではなく、シャワーで流し、朝の食事は両親と食べることが多い。

 六歳で夫婦の別居が始まってから、正行は両親とものを食べた記憶がない。

 料理を作ったのは、家といたころと同じように父であるが、母と一緒に食べる姿は新鮮だった。

 食器洗いは正行が担当した。

 自然とそうなった。

 それから、部屋に戻り準備をして学校へ向かう。

 家にいたころは文字通り、山の中にあったため公共交通機関が乏しく(近くのバス停も本数が少ないうえに徒歩十分という距離)自転車やバイクを使っていたが、母の住むマンションは街中にありバスや電車を使って十分に通える距離である。

 学校では、相変わらずの平凡な学校生活を送っていた。

 ただ、時々、ビアンカたちからザッハトルテの試食をさせられる。

 上手に断ることもできず、正行は食べる。

 授業などが終わり、家に帰る。

 だいたい、夕方で入れ違いに退社する母の従業員と顔を合わせる。

 仕事をしている母に帰宅の挨拶をして、自室に戻り、正行はカバンなどを置いて、屋上で夕方の鍛錬をする。

 それから、夕食を食べ、適度にテレビを見て勉強をして寝る。

 そろそろ、学科のテストがあるためだが、それ自体は進級には関わりない。

 ただ、教授たちの印象が変わるだけだ。

 だが、印象次第で就職にかかわるのだ。

 普通に過ごしているが、正行自身は『自堕落になった』と思う節はある。

 住んでいる場所が、『街中』ということだ。

 今までは麓のコンビニまで行かなければ筆記用具などはなく、外食なんて滅多にしなかった。

 それが、ここでは何では三百六十五日二十四時間何でもそろう。

 二十四時間営業でなくても、結構な夜中までやっている。

 外食チェーンやコンビニエンスストア、ファーストフード、各国の料理も軒を並べている。

 何気に寄ったコンビニでホットスナックを買い、小腹が空いたらうどんチェーンの店で釜揚げうどんを食べる。

 そのどれもが美味い。

 また、翌日授業がない日に、こっそり缶ビール一本とおつまみを適当に買って隠れて一人で晩酌するのも楽しみになった。

 そのせいか、最近、風呂場の鏡で自分の姿を見たとき驚いた。

 一見、平均的な成人男性の体だが、割れていた腹筋は薄くなり腕に力瘤も減ったような気がする。

 ショックだった。

 以来、正行は日々の鍛錬を増加していった。

 

 その矢先だった。

 この日は土曜日だが大学のテスト(追試)があって、それを終えた。

 幸い、採点はその場で行い合格点をもらった。

 祝いとして、昼食前だが帰りのコンビニでコーラとホットスナックを買ってフードコートで食べた。

 喉と胃に染みた。

 家に着くと同じく土曜出勤だった母の社員たちと廊下ですれ違い、挨拶をした。

 食堂に向かうと兄貴分の石動肇と妻のナターシャが台所にいた。

 石動は振り向して、正行に言った。

「お前、太ったか?」

 その言葉に正行は苦笑した。

「……いや、傷つけたのなら、すまん」

「ああ、大丈夫ですよ。俺もダイエット始めようと思っていたところですから……」

 今さっき食べたことを心の中で後悔した。

「石動君たち、飯まだだろ⁉ 一緒に食おう!」

 秋水が火を止めて正行たちを見た。

 数分後。

 皿に盛られた饂飩と椀に温かい汁が供された。

 石動、ナターシャ、正行が先に座り、洗い物などをしていた秋水と綾子がエプロンなどを脱いで反対側に座る。

「いただきます」

 五人は声をそろえて食べ始めた。

 ザルの上にまとめられた饂飩を箸に引っ掛ける。

 汁につけて食べる。

――美味しい

 出汁や様々な野菜と豚肉の旨みがある少し甘めの汁に饂飩が合う。

 トッピングにラー油や刻んだニンニク、揚げ玉などがある。

 それらを汁の中に入れて食べても、やはり美味い。

 少々、口臭が気になるが、後で歯を磨いてミントタブレットを飲めばいい。

 すいすい、麺が喉を通り過ぎていく。

 みな、ほとんど饂飩を食べ終えた頃。

 突然、ナターシャが苦しそうに口に手を当て俯いた。

「大丈夫ですか?」

 正行が声をかける。

「少し、別の部屋に行きましょうか?」

 綾子が立ち上がり、青ざめたナターシャを支えながら部屋を出た。

 石動も付き添うような形で後をついていく。

「どうしたんだろう?」

 汁をすすりながら正行がつぶやく。

 とりあえず、残った父と食べるものを食べて、食器を洗い、テーブルを拭くと石動が戻ってきた。

「どうだい、奥さんの様子は?」

 食後の日本茶を淹れながら秋水が聞いた。

「少し、綾子さんの部屋で休ませています……実は折り入っておやっさんたちに相談したいことがあります」

 その言葉に秋水と正行は顔を見合わせた。


『三時のおやつ用』に作った手作り羊羹を出して、男三人は再びテーブルに座った。

 秋水、正行の親子は持ってきた湯呑みだが、石動は来客用のものだ。

 石動は、『ポー』と名乗る外国人からナターシャを守るように言われた事などを話した。

 職業柄か、石動の話は要領よく手短に終わった。

 湯呑みに入ったお茶は、まだ、温い。

「……でも、それだけだったら、石動さんは余裕でしょ?」

 お茶をすすりながら正行は首を傾げた。

「お馬鹿さん。もうちょい、ポーって奴の話した内容から想像してみろ」

 父の言葉に正行は少し考えた。

「……あ、過激派一派のことは集団である可能性が高いと?」

「そういうこと。もっと言えば、ポーは金に糸目をつけていないから、奴の組織は焦っているんだろうな」

 秋水は羊羹を食べ、続けた。

「規模はわからんが、焦る組織は大抵過激派になる。過激派は大体テロリストだ。テロリストは同時多発テロ以降独自のネットワークを持っている……つまり、石動君の奥さんは、かなり危険だという事か……」

 石動は頷いた。

「それに、これは口外してほしくないのですが……」

 約三十秒、迷った石動は告白した。

「ナターシャは妊娠三か月です」

 正行と秋水は顔を見合わせ、石動の顔を見た。

 石動は珍しく、顔を少し赤くしている。

 迷った石動と同じぐらいの時間、正行は脳の中で整理した。

――妊娠三か月

「赤ちゃんできたんですか⁉」

「ええ‼? 本当に妊娠したの‼?」

 思わず叫ぶ。

「はい、昨日、市役所で母子手帳をもらいました」

 照れる石動。

 正行たちは自然と拍手をした。

「おめでとう!」

「おめでとうございます!」

 と、秋水が理解した。

「じゃあ、部屋を出て行ったのは……」

「つわりです」

「だったら、石動さんのお手伝いさんもいればいいのに……」

 正行の言葉に石動が困ったように頬を歪めた。

「おタケさんのことか?」

「そうです、おタケさんです。彼女ならナターシャさんの妊娠をサポートできるんじゃないですかね?」

「彼女は、長年のぎっくり腰が悪化して今は子供たちの家で自宅療養している。ついでに、飼っているシロも預かってもらった」

「まあ、妊婦さんに猫の感染症は怖いものだし、婆さんにアクションは無理だわな」

 秋水はこともなげに言った。

「ここはそういう意味じゃあ、いい場所だぜ」

 石動が秋水の言葉に首をかしげる。

「街中にあるから下手な軍事行動なんてしたら即バレだし、派手なことをすれば警察が来る。一応、狙撃ポイントも限られている」

「そうなの?」

 不思議そうに正行が聞く。

「そうだよ。街中じゃあドンパチできないし、やったら即警察ものだ。このビルで狙われそうな場所は大体把握しているし、そういう場所は物置とかだ」

 秋水が茶をすする。

 そこに綾子が入ってきた。

「母さん、ナターシャさんは大丈夫だった?」

「ええ、大事を取って休ませているわ……ところで、石動さん……彼女、妊娠している?」

 その言葉に男三人は驚いた。

「母さん、わかったの?」

 正行が聞く。

「分かるも何も、私も一応経験しているから……なんとなくね」

「すげぇな、女の連帯感……」

 秋水は感心する。

「何かとご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」

 立ち上がった石動は綾子に頭を下げた。

「いいんですよ、前にうちの経理システムをお願いして無理させちゃったから……」

 その時、正行は見た。

 秋水が、少しだけホッとしたような顔になった。

「親父、どうした?」

 正行が父に聞く。

「うん? ちょっと……ね」

 そこにけたたましい電子音がした。

 秋水が身じろぎをする。

 片手をあげ、巨人は別の部屋に行った。

「じゃあ、正行。石動さんの荷物を持って行ってあげて」

 綾子の言葉に正行は頷いた。

 荷物は多そうだが『筋トレだ』と思い正行は立ち上がる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る