放射線状に広がる記憶_02

 彼は飲料の中でもナンヤラという名前のどぎつい緑色をしたものが好きだったし、それに赤い果物と、白い氷菓を載せると喜んだ。彼は食時の際にはフォークとナイフとスプーンを器用に使ったがカチャカチャと音を立てる癖だけは直らなかったし、今挙げたいずれもが私とは正反対だった。私は色のついた飲料が苦手であったし、味が付いているのもそうだ。食事の際には極力カトラリーを使わないで済むようにしていたし、レセプション等で必要とされた際にはほんの少しの音も立てられず、彼には「何が恐ろしいんだい」と笑われさえするくらいだった。

 何を始めても満足するまで止まらない私と、何を始めても随時手を、思考を止められる彼。

 私が話しだしたのを遮られた時、私が感じたのはそんな彼への違和感だった。


 「ここには、プランターがある。プランターでは、植物を育てている。植物の種子は、中央プラントに保存されていたものを複製して、研究者たちが何度も何度も、土と、気温と、湿度と、そういう複雑な実験を繰り返して分析して、成長させるための環境を整える。労働者はその種子を受け取り、伝えられた環境で育てて、次の種子を取って研究者に渡す。そうやってできたサイクルが、このプランターの中に閉じ込められている。」

 彼は、この時から、私の特別になったのだ。

 「ぼくらは、どうだろう。最近そんなことを考えるんだ。ぼくらの起源はずいぶん昔、プラントができる前だと言われてる。起源の種子は保存されてなんていないし、ぼくらはそのレプリカでもなければ、レプリカなんて、作られる予定もない。それなのに、年々、個体数は減る一方だ。きっとぼくが生きている間は、ゼロにはならない。けれどぼくらの次の世代は?」

 なにせ、私はそんな疑問など一度も、抱いたことがなかったのだから。


 彼は、この世界が限りなく永遠に続くものだと信じていた。大きな戦争があって、大気も土壌も、水も、何もかも一度ひどく汚染されてしまって、人工物で満たすほかなくなったこの世界が。自浄作用を信じていた、というよりは、きっと無条件に信じていたのだ。だから、自分が死んだ後のことなど考えるのだ。と、当時の私は考えた。

 エアーコンディショナーは、明日にも稼働を停止するかもしれない。そうなれば私たちの呼吸に使われる大気は一気に、とはいかないまでも徐々に生活圏の外側と同じになってゆく。すっかり同じになってしまった後に待っているのは、よくて全員が、おとぎ話のリビングデッドのようになる未来だ。それと同じに、水路の端々に設置された濾過機だって明日にも停止するかもしれないし、たとえ機械類が稼働し続けていたとしたって、人間の数が足りなくなれば、土壌への投薬もできなくなる。

 もしかすると、私は研究者となる者であるからこれらの知識を持っているが、彼は労働者であるがゆえにこれらを与えられなかったのかもしれない、とすら、思った。

 彼は、その未来への不安を、こう締めくくった。


 「だから、君がもしプラント主任にでもなったとしたら、ぼくのことをきちんとプラントに保存してほしい。もちろんぼくだけじゃなくって君も、それから、君の手の届く限りすべての人間を。」

 そして私は、その言葉に頷いた。返事をしなかったのは、彼がまだ私に対して会話の許可を出していなかったからだ。

 きっと彼は、会話を許可された私がなんと言うかなど、分かりきったつもりでいたのだろう。

 「ありがとう。じゃあ、この話は終わりだ。君の話をしていいよ。」

 「人間の個体差などたかが知れている。どうせ起源は一点の突然変異だし、今生きているだけの数では検証するにも至らない。まず間違いなく全員が起源の類縁に過ぎず、まず間違いなく全員の形質が似通っていて、今の手順での繁殖には限界が来る。種を保存することに私は賛成だが、それが後に繋がるとは到底思えない。近親相姦の果てに生まれた奇形児のようなもので溢れかえって終いだし、そうなると研究者も労働者もみな一緒くただ。寿命は今よりずっと短くなって、細胞レベルでの劣化が進む。生きてゆくのもままならない。哲学をすることは推奨されていないが、種の存続という観点においては、私はまったく別の手段を取らなければならないと考える。……が、どうだろう。」


 「その心配はいらない。だってほら、ぼくと君でさえ意見が合わない。形質差は十分にあるはずだし、こうして議論が生まれるということは生産性にも影響しない。君は哲学だと言ったけれど、ぼくにとってはあくまでも君たちの科学の話だ。」

 会話を禁止されていた間に溜まりに溜まった私の言葉を受け止めてなおさらりと応えてみせた彼の表情は穏やかな笑顔で、それがあんまりにも清々しいものだから私は、たしかに、その通りかもしれない、と思ってしまった。結果として、私は、彼にすべてを理解されていたのかもしれない。時々、そんなことも思う。

 確かめようにも彼がいない。その事実が、気道を狭くする。

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