4/24 生徒会長

「――じゃあ俺、教室戻るね」

「………………」


 大樹の言葉に奏はノートから顔を上げると、こくん、と頷いて、すぐに視線を戻した。

 結局、理江は五限目中に保健室に帰ってこなかった。さすがに六限目までサボるわけにはいかない。大樹の頭の中にポニーテールを生やした鬼の顔が思い浮かぶ。見ててと言われているが、一人静かに勉強しているだけのようだし、いなくなっても問題ないだろう、と大樹は判断して保健室を出た。

 休み時間、教室移動なのかトイレへ行くのかはたまたそれ以外か。ざわめく廊下にはそれなりに生徒がいて、その中をぶつからないように大樹は進んでいく。

 四苦八苦しながら階段を昇り、自分の教室がある階へと辿り着いた大樹は、教室から廊下に出てくる生徒の波の中に見知った顔を見つけた。向こうもこちらに気付いたようで、満面の笑みで駆け寄ってくる。その腕には教科書や筆記用具などが抱かれている。

「ぶちょー! ……って、どうしたんですかその足!」

 満面の笑みが驚愕の表情へと一瞬で変わる。そのオーバー気味な綾の感情表現を目にして、さっきまで一緒にいた一年生に一割でもいいから分けてあげて欲しいと大樹は思う。

「ちょっと捻っただけ」

 めんどくさいのでそういうことにしておく。まだ諦めきれずに走っていた、なんて陸上部の面々には知られたくなかった。

 綾は大樹のテーピングが巻かれた足をじっと見つめた後、

「――捻っただけですかー。もー、気を付けないとダメですよぶちょー?」

 と笑みを浮かべながらそう言った。その笑みがどこか、普段の綾とは違ってぎこちなく思えた大樹が――

「ところでぶちょー、つかぬことをお聞きしますがっ」

 ――そのことに触れようとする前に、綾は話題を変えた。わざわざ聞くことでもないか、と大樹はそのまま綾の言葉の続きを聞く。

「――転校生の女の子に抱き着いたってほんとですか!?」

 綾がおっきな声でそう口にすると、廊下にいた生徒の視線が集中した。あちこちから無遠慮な視線を感じつつも、大樹は開いた口が塞がらない。

 ――こんなところで何を言い出すんだ、こいつは。

 しかも話がおかしくなっている。抱き着かれたのに、抱き着いたことになっている。これでは自分がただの変態ではないか。周りの視線が痛い。

 大樹の返答を待たず、綾は地団駄を踏むと、

「くぅぅぅ、私というものがありながら!! 私だったらいつでも抱き着いていいのに!!」

 大樹も周りも無視して、綾は一人ヒートアップしていく。

 ――どうしよう。すごく無関係を装いたい。

 大樹が傍観していると、騒がしくしていた綾は急に静かになってにやにやと笑い出し、

「……ぶ、ぶちょーにー……こうやって抱きつかれてー……うへへ……」

 目を閉じうっとりした様子で、自分の腕を自分に巻き付け、エアー抱擁をしている。さすがに知り合いだと思われたくなくて、大樹は放置してその横を通り抜けようとする。

「ちょ、ちょいちょいちょい! 冗談! 冗談ですって! 乙女のお茶目な冗談じゃないですかー!」

 しかし、トリップ状態から我に返った綾が、大樹の進路に身を投げ出して邪魔をしてくる。

 乙女て。思わず溜め息が出る大樹だった。

「……乙女が見せていい表情してなかったからな」

「そいつぁ失礼しましたっ」

 と言う綾の表情は明るい。大樹は内心で半分褒めつつ半分呆れつつ、

「お前はいつも元気だなぁ……」

「それだけが取り柄なんで!」

 えっへん、と胸を張って、綾が己の長所を誇る。ちなみに張っても胸はない。

「……なんか今、とても失礼な目線を胸の辺りに感じましたがっ」

「気のせいじゃない?」

「ですかねっ? で、ぶちょー。抱き着いたって本当ですか?」

 ようやく話が元に戻る。もはや面倒くさくなってきた大樹はその問いに正直に、

「抱き着いてない。抱き着かれたんだよ。嘘だと思うなら、高梨に聞けば。あいつも見てたし」

「そっか……そうですよね! ぶちょーがそんなことするわけないですよねっ。だって私の告――」

「――っていうかお前、教室移動じゃないの?」

 綾の言葉を大樹が遮る。教室から出てきていた生徒の波はすっかりとなくなり、周囲にもその数は少なくなっていた。もうそろそろ次の授業が始まる頃合いだ。

「わっ、やばっ。じゃあぶちょー、お大事にっ」

 慌てて綾は階段を降りていった。

 それを見送って、大樹は溜め息を吐く。少ないとは言え、まだ人がいるところで何を口走ろうとしているんだか。


 ――私、ぶちょーが好きです!


 いつだったかの、綾の言葉が頭の中で再生される。顔も耳も真っ赤にして、いつもの明るい表情とは違う、大会の時くらいしか見せない真剣な表情で。なるほど、あれは確かに乙女と言えるかもしれなかった。

 軽い疲労感を覚えて、大樹は自分の教室へと向かう。せっかく保健室で休んだサボったのに。元気なのはいいことだと思うが、所構わずは正直勘弁してほしい。そのテンションについていくのが大変だから。接していると気持ちが明るい方へと引っ張られるので、嫌ではないけど。

 教室に戻ると、明らかに不機嫌顔の茉莉が腕を組んで自分の席に座っていた。普段の休み時間は友人と話していることが多いのだが、その不機嫌オーラに気圧されてか、茉莉に話しかけている者はいなかった。それとは対照的に、未だに美空はクラスメイトの数人の女子に囲まれていた。

 大樹は恐る恐るその机へと近寄っていく。本音を言うなら近寄りたくない。しかし自分の席は茉莉の隣にある。近寄らざるを得ないのだ。なるべく刺激しないようにこっそりと、静かに席に座り――

「――おはようございます。よく眠れましたか?」

 ――座った瞬間、噛みつかれた。

 怖い。超怖い。茉莉が敬語になった時は本気で怒っている時だと幼い頃からの経験則で知っている。こちらに向けている顔は笑顔なのに、どうしてだろうか、心が寒い。笑顔ってもっと人の心を温かくするものではなかったのか。

 喋ったらられる。そんな気がして、背中に冷や汗を掻きつつ大樹は首を縦に振る。

「そうですか。それは何よりです――」

 ニコニコしていた茉莉は、そこで急に真顔に戻ると、

「――家帰ったら覚えてろよ」

 大樹にだけ聞こえる声でぼつり、と呟いた。そのあまりの迫力に、大樹は震える声で、はい……、と言うしかない。もうやだ。サボりに厳しすぎる。もっと寛容な心をお持ちになって頂きたい。

 息を一つ吐いて、茉莉はその雰囲気を軟化させると、

「帰りなんだけどさ。あたしどうしてもバスケ部に顔出さないといけなくなっちゃったから、未利と帰ってくれない? 母さんへの連絡も未利に頼んであるから」

「わかりました」

 つい敬語になる大樹であった。

 学校への送り迎えを伊寿美に頼むことに、大樹は少なからず抵抗を覚えていて、実際そうも言った。しかしさすがに家から松葉杖で歩くには辛い距離だし、母親は仕事が忙しく毎日の送迎は厳しい。なので結局甘えることになってしまった。足が治ったら駅前の洋菓子店のプリンでもご馳走しないとな、と大樹は思う。ちなみに足が治るまで学校を休む、という案は茉莉が怖くて言い出せませんでした。

 と、そこで次の授業の教師が教室に入ってきて、そのタイミングでチャイムが鳴った。起立、礼、着席、と級長が号令をかけて、授業が始まる。

 始まって間もなく、ツンツン、と大樹は本日二度目の刺激を背中に受けた。またか、と思いながら肩越しに振り返ると、やはり美空が顔を近付けてきていて、

(ねねっ、どこ行ってたの? 昼休みはあそこにいなくて、五限目もいなかったし)

(保健室)

(え、体調悪いの? それともサボり?)

(……サボり)

(――ふーん、そっか。ごめんね、授業中に)

 それが訊きたかっただけなのか、美空は顔を離した。

 ――何だったんだろう、今の。

 昼休み中寝ていたので、眠気はない。仕方なく、大樹は授業に耳を傾けることにした。

 内容はちっとも頭に入ってこなかった。



「――これでよしっ、と。じゃあ、夜中にスタ爆してあげるね」

「……やめて」

 放課後。

 大樹とID交換を終えた美空は、やることあるからまたね、と今日も一目散に教室を去っていった。

 その背中を見送って、大樹は思う。結局あの言葉は何だったのだろう。もしかして泣いてしまった自分を慰めるための適当な嘘だったんじゃないだろうか。というかそもそも『救う』って何だろう。

「……いや、別に期待してるわけじゃないけどさ」

 言い訳のようにぼそりと独りごちる。帰ろう。

 茉莉の姿は既にない。綾も自分の足がこうなっているのを知ってか、今日は部活へ誘いに来る気配はない。珍しく静かな放課後だった。

 未利と一緒に帰れということなので、未利を探さねばならない。今どこにいるのか、大樹が未利にメッセージで問い掛けると、返事はすぐだった。

『お兄ちゃんの教室の前にいるよ』

 開いている教室の前のドアから見える廊下には確かに未利がいて、遠慮がちに教室の中を覗いていた。さすがに三年生の教室に入ってくる勇気はないらしい。それどころか、廊下を行き交う三年生にじろじろと見られて居心地が悪いらしく、不安そうな顔をしている。

 待たせるのも可哀想なので、大樹は鞄を手に取って教室を出た。すぐに未利が近寄ってきて、不安そうな顔がたちまち消えていく。

「お兄ちゃん、お疲れ様」

 鞄貸して? と半ば無理やりに鞄をその手に取っていく未利。何が嬉しいのか、その表情はにこやかだ。

 帰るか、と未利に促して、大樹が廊下を歩いていこうとすると、その背中に待ったがかかった。

「あ、待って、お兄ちゃん。さっきお母さんから電話があって、用事で外出てるから一時間くらい時間潰しててほしいって」

「一時間なぁ……」

 そう言われて、大樹は時間を潰せそうな場所を思い浮かべる。だが、部活でもしていないと意外とそういうところは少なく、放課後でも利用できる図書室、夜七時まで使用できる自習室くらいしか思い浮かばない。どちらも勉強に使われる場所ということで、大樹にとって居辛い場所でもあった。いっそのこと、保健室にでも行ってしまうか、と大樹が考えていると、


「――あれ、未利ちゃんと丘っちじゃん? やほー」


 大樹と未利を呼んで、手をぶんぶんと振りながら一人の女子が近づいてきた。

 その見た目がすごい。金髪ロング、耳にはピアスがいくつか。スカートは下着が見えてしまいそうなくらい短い。ブレザーの中に着ているブラウスのボタンは二つ目まで開けられていてその中が見えそうだ。学校指定のリボンをつけていないその胸元には、代わりに控えめな銀のアクセサリが揺れていた。小顔なその顔はバッチリとメイクが決まっていて、とても高校生とは思えないほどだった。

 未利はその女子に向かって軽く会釈をする。

伊吹いぶき先輩、こんにちは」

「おい、丘っちってなんだ、丘っちって。前まで先輩って呼んでただろ」

 大樹は聞き慣れない自分の呼称に、思わずツッコむ。最近会っていなかったが、それでも前まで自分を呼ぶ時には先輩と言っていたはずなのに。丘っちて。

「えー? だってうちらもうタメじゃん。先輩っておかしくない?」

「確かに学年は同じだけどさ……」

「じゃあいいじゃん。それともなーに、丘っち。うちに先輩って呼ばれるの実は嬉しかったり?」

 にひひ、とからかうような笑みを浮かべた女子は前屈みになって下から大樹の顔を窺う。前屈みになったせいで、ブラウスの中に覗く赤色の何かが見えていて、大樹は思わず目を逸らした。顔が赤くなっている気がする。会う度にこうしてからかわれるので、大樹はこの女子――伊吹いぶき 玲菜れいなが苦手だった。

 元々は茉莉の友人ということで知り合ったのだが、なぜか気に入られてしまったようで、茉莉がいない時でも話しかけてくるようになっていた。

「ぷくく、ヤバイその反応、ウケる。いやー、やっぱ丘っちはいいにゃー」

 大樹を見て、にやにやと玲菜は笑う。しかしすぐに表情を戻すと、

「てゆーか足怪我してんじゃん。大丈夫なん?」

「――あ、あぁ、うん。ちょっと痛めただけだから」

 大樹のその返答にふーん、と割とどうでもよさそうに玲菜は言うと、何かを思い出したのか、大樹のクラスの教室を覗きつつ、

「って、そうだ。茉莉まだ教室いる?」

「もういないけど」

「お姉ちゃんなら、今日はバスケ部行くって言ってました」

 未利のその言葉を聞いて、玲菜は髪がボサボサになるのも構わずに掻き毟って、

「マジかー。あーもー、最近部活行かない時はすぐ帰っちゃうし、手伝い頼めない――」

 言葉を途中で止めて、玲菜は大樹と未利を交互に見た。その目が光ったように見えて、大樹は猛烈に嫌な予感を覚える。

「じゃあそういうことで――」

 絶対面倒くさい事に巻き込まれる。そう思った大樹が玲菜の前から去ろうとすると、

「待って♡」

 そんな作り声と共に、肩に手が置かれた。かわいい声とは裏腹に、置いた手の爪を肩に食い込ませてくる。

 ――諦めるしかないようだった。



 伊吹 玲菜を学内で知らぬ者はいない。

 そのとにかく派手な恰好の影響ももちろんあるが、何よりその名を知らしめることになったのは――

「――もーほんっと、マジで助かったー。あんがとね、二人とも」

「別に暇だったからいいけど……つか、他の生徒会役員は?」

「あー、あいつら全然やる気ないんだよねー。マジで。ヤバくない?」

 ――生徒会長だから、だった。

 玲菜を見る度、大樹は思う。この学校は大丈夫なのだろうか。ただ恰好はともかく、仕事はきちんとこなしているようなので、特に問題にはなっていないようだった。むしろ話を聞く限り、他の生徒会役員が全く仕事をしないようで、そちらの方が問題になっているらしい。

 玲菜に連れられた先は生徒会室で、大樹と未利はそこで、体育祭についてのアンケートを集計するという仕事を手伝わされた。迎えが来るまでの間という条件だったが、全校生徒分あるとはいえ三人でやると思いの外、そう時間はかからず終わった。ちょうどいい時間潰しにはなったかもしれない。

 生徒会室の真ん中にはミーティングテーブルが置かれていて、上座に玲菜が座り、大樹と茉莉が並んで座っていた。各々の前には玲菜が入れてくれたコーヒーの紙カップが置いてある。壁際には書類が保管されているのか、ずらりとスチール書庫が並んでいた。

 玲菜はコーヒーを飲み干すと、カップをくしゃっと潰してゴミ箱に投げ入れ、

「あいつら、内申のためだけに役員してるからさー、必要な時以外こねぇのマジで。雑用全部うち、みたいな」

 もう慣れたけど、と玲菜は乾いた笑みと共に言った。

 生徒会役員選挙は半期に一回行われ、玲菜はこれが二期目だった。それ以外の役員はこの春の選挙で全て入れ替わったが、結局体質は変わらなかったらしい。ちなみに初めて生徒会長に立候補して当選した玲菜に、立候補した理由を聞いたところ『なんかノリで』と言われたのを大樹は覚えていた。そんな理由で当選したにも関わらず、きっちりと仕事はしているところを鑑みるに、意外と根は真面目なのかもしれない。

「あの、私でよければまたお手伝いさせてください」

 一緒に仕事を手伝った未利が玲菜に告げると、玲菜は表情を綻ばせて、

「マジで!? さすがは茉莉の妹って感じ。あんがと!」

 じゃあID交換しといていい? と玲菜はやたら煌びやかにデコられたスマホを取り出す。手早く交換を済ませた玲菜は大樹へとスマホを向けて、

「ついでに丘っちも交換しとこーよ。なんだかんだけっこー話すのに、交換してなかったし」

 交換したら頻繁に手伝わされそうだから嫌だ、という意見は当然のように無視され、大樹のスマホへと玲菜のIDが半ば無理やり登録される。

「よっしゃ。とりま夜中、丘っちにスタ爆しよ」

「やめろ」

 さっきも聞いた言葉を言われ、大樹は恐ろしくなる。美空が言うよりも現実味を帯びている、その言葉が冗談だと思えない。玲菜ならやりかねないと思わせる程には、今までからかわれてきている。

 ブロックしておくべきか、大樹が本気で悩んでいると、

「――お兄ちゃん。お母さん着いたって」

 未利がそう言って立ち上がった。大樹もやれやれと続いて立ち上がる。

 二人のその様子に玲菜は笑顔を向けて、

「今日はあんがとね、二人とも。また気が向いたら手伝ってよ。声かけるし」

「はい、私でよければ」

「気が向いたらな」

「は? 丘っちは強制連行するから」

 何言ってんの? という表情をされる。その顔はとても冗談を言っているようには見えない。

「なんでだよ……」

「だって暇そうじゃん?」

 確かに暇なので、反論できない大樹だった。嘆息するしかない。

 じゃあね、手を振る玲菜に見送られ、大樹と未利は生徒会室を後にした。

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