4/23 部活の後輩と幼馴染と

「――じゃあ今日はこれで終わりな。気を付けて帰れよ。級長、号令」

 帰りのホームルームが終わり、本日の授業から解放されたクラスメイトが活気付く。そんな中を、美空がいの一番に教室を飛び出していく。転校生を遊びに誘おうとでもしていたのか、美空に声を掛けようとしていた女子たちが、その勢いに押されて何も言えないまま美空を見送っていた。


 ――だから、今度は私が君を救ってあげる!


 昼休みに聞いた、美空の言葉が脳裏に蘇る。そんな大層なことを言っていた割には、自分を放置して何処いずこかへと去ってしまった。

 ――まぁ、別にどうでもいいけど。

 さっさと帰って寝よう。大樹はそう決めて、教科書全てを学校に置き勉しているが故に薄っぺらいスクールバッグを片手に立ち上がる。

「あ、大樹――」

「さーぶちょー! 部活行きますよー!」

 茉莉が大樹へと声を掛けようとしたその時、教室の入り口から騒ぐ教室内へ一際大きな声が響いた。一瞬、教室内の視線がそちらへ向くが、いつものことか、とすぐに興味が失われたように視線が戻される。それをものともせず、肩にかけたスポーツバッグをガタガタと騒がしく机に当てながらその声の主は元気に駆け寄ってくる。

 またか、と内心うんざりしながら大樹は、

「行かねーよ」

 とだけそっけなく言い放ち、その声の主の脇を通り抜けようと――

「ちょちょちょーい!」

 ――したら、謎の掛け声とともに、腕を掴まれた。はぁ、とこれ見よがしに大きい溜め息を吐いて、大樹は振り向く。そこには男子平均程度は身長がある大樹よりも、頭一つ分ほど背の低い女子がいた。童顔だが活発な印象を受ける目鼻立ちに、少しくせ毛のショートヘアが印象的なこの女子は、東雲しののめ あや。現陸上部女子部長である。

「帰っちゃうんですかぶちょー? 部活行きましょーよー、部活ー」

 今にもウヘヘと聞こえてきそうなほどに怪しげな笑みを浮かべて、綾は大樹の腕をグイグイと引っ張る。大樹はそれを無視して、教室内に視線を巡らせ、目当ての人物を見つけると声を掛ける。

「だってさ、高梨。東雲が一緒に部活行きたいって」

 その声に、今まさに教室を出ようとしていた眼鏡を掛けた男子が振り返った。その背にはスポーツブランドのロゴが入ったバックパックがある。高梨たかなし 健次けんじ。現陸上部男子部長である。

「そっちの部長じゃなくて! っていうかあんなの部長じゃないですし! 私が部長って認めてるのはぶちょーだけですから!」

「俺もう部長じゃないし。というかもう陸上部ですらないし。っつーか、部長と言えばお前も部長だからな」

「あんなので悪かったね」

 ぬっ、と高梨が大樹と綾の間に割り込んでくる。背が高いのとそのぶっきらぼうな態度で怖そうな印象を持たれる高梨だが、話せば温和ないい奴だということを大樹は知っている。そして、身長が遥かに高い高梨を、綾が苦手としていることも知っている。

「えっ、ほ、ほら、それは……言葉の綾じゃん? 綾だけに――ごめんって! そんな怖い顔しないでって!」

 しょうもないことを言った綾に、高梨の冷たい視線が突き刺さる。見下ろされているのが相当怖いのか、大樹の腕から手を離して合掌し、綾は平謝りする。

 それから、綾は盛大な溜め息を吐いて、心底羨ましそうに、

「なんで高梨がぶちょーと同じクラスで、私は違うクラスなのー不公平だよー」

 唇を尖らせてぶーたれた。いじけているのか、上履きのつま先が床を擦っている。

「不公平って……しょうがないでしょ、コースが違うんだから」

「わかってるよ、わかってるけどさ……あーあ、こんなことなら私も私立コースにしておくんだったなー……」

 高梨の言葉に綾はさらにいじけていく。

 伊乃高校は進学校だ。よって基本的に生徒全員が進学希望と見なされる。そのため、二年時からすでに文系・理系でコースが分かれ、三年時にはさらにそこからそれぞれ国立・私立とコースが分かれる。選ぶコースによってカリキュラムが違うので、当然クラスもそのコースに沿ったクラスになる。大樹がいる四組は私立文系コースで、綾がいる一組は国公立文系コースだった。

 そのいじけ具合に、大樹は思わず、

「いや、お前『うち貧乏だから国公立しか無理なんですよねー』って言ってただろ。私立コース来てどうすんだよ」

「ぶ、ぶちょーと同じクラスになりたかったんですー! 言わせないでくださいよー!」

 お前らが三年時のコースを決める時期には、まだ留年が決まってなかったけどな――と、大樹は心の中で密かに思う。言ってしまえば空気が凍り付くのは容易に想像できたので、声には出さないでおく。

「っていうか、さっさと部活行けよ。部長だろ」

 しっしっ、と大樹は追い払うように手を振る。その仕草にガーン! と効果音を口に出して言った綾が、ブレザーの袖を目元に当て、

「ぶちょーがつめたいよー! うわーん! ……って、ちょっとー! 引っ張らないでよー!」

「じゃあ丘部長、僕ら行きますんで。気が向いたら顔だけでも出してくださいよ」

「だからもう部長じゃないって……」

 こんなにわかりやすい嘘泣きもないだろうという嘘泣きをする綾の腕を取り、高梨が引き摺って教室から連れ出していく。

 二人を見送って、大樹は今日何度目かわからない溜め息を吐いた。自分がこうなった今でも、変わらず話しかけてくれる数少ない在校生の知り合いではあるが、さすがに何度も何度も部活に連れて行こうとするのは勘弁してほしかった。

 嵐も去ったことだし帰ろう、と大樹が足を踏み出そうとすると、

「――終わった?」

 静かな、しかし威圧を感じる声が大樹の耳に届いた。綾が騒いでいる間に教室に残っているクラスメイトの数は減っていて、もはや数えられる程度しか残っていない。その中の一人、茉莉が未だ席に座ったまま、片肘で頬杖をついて大樹を睨んでいた。

 去ったと思った嵐がUターンしてきた。しかも直撃コースで。

「なぁ、なんで今日はそんなに機嫌悪いんだよ」

「べっつにー、機嫌悪くなんてないですけどー?」

 ふん、と鼻を鳴らして、茉莉は大樹から顔を背ける。いつも結っているポニーテールが背中で揺れた。その様子に大樹は辟易へきえきする。そんな仕草までしているのに機嫌が悪くないのなら、機嫌が悪いときはどうなるんだ。目からビームでも出るのか。

 さかき 茉莉まつり。大樹とは、家が近所で母親同士が同級生だったということもあり、幼い頃から付き合いのある、いわゆる幼馴染の関係だった。本来なら大樹よりも一つ下の学年だが、留年したせいで同学年になってしまった。そのうえ同じクラスにも。もっとも、元々交友関係が狭く、部活関係を除けば一つ下の学年にほとんど知り合いはいなかった大樹にとって、同じクラスに慣れた顔があることには正直安堵を覚えていた。一緒のクラスになれてよかった、なんて恥ずかしくて茉莉には絶対言えないが。

「今日は部活いいのか?」

「なにそれ。あたしなんか部活にでも行っちゃえってこと?」

「そんなこと言ってねぇだろ……」

 どうやら何を言っても悪意に受け取るらしい。大樹は軽く頭痛を感じてこめかみを押さえる。大樹へと顔を向け直した茉莉は口調を尖らせたまま、

「どこも仮入部の一年の子たちが来てて、気を遣うから落ち着くまで行かないことにしたの。文句ある?」

「ないけど……」

 茉莉は昔から運動神経が良く、スポーツなら何をやってもうまくこなせていた。そのため、中学の時から運動部の助っ人を頼まれていたのを大樹は覚えている。高校に入ってからは、伊乃高校がスポーツ弱小の進学校ということもあってか、むしろ助っ人の回数は増えたらしい。今は確か、ソフトボール部、バレー部、バスケ部の助っ人をしていると聞いた記憶がある。

 そんな幼馴染を大樹は眺める。身長もあってスリム体型、若干ツリ目がちだがそれが快活そうな印象を与えてくる。幼馴染の贔屓目に見ても、茉莉は美人だと大樹は思う。気性が少し荒いのが玉にきずだが。あと胸もない。

「――なんか失礼なこと考えてない?」

 目線が胸に行ったのがバレたのか、茉莉がジト目で睨んでくる。そこは本人も気にしているらしく、下手に話題に出そうものなら血を見る羽目になることを、過去の経験から大樹は知っている。

 大樹は慌てて首を横に振りつつ話題を変える。

「行かないんだったら帰ろうぜ。早く帰って寝たい」

「授業中ほとんど寝てるくせに……」

 呆れたように溜め息を吐いて、茉莉は鞄を持って立ち上がった。同じクラスになってからというもの、茉莉に助っ人稼業がない時は一緒に帰るのが常になっていた。

 教室を出て昇降口へ向かう道すがら、横に並んだ茉莉が口を開いた。

「……ねぇ、野々崎さん、だっけ。ほんとに知らないの?」

「知らないって」

 どうやら昔に会ったことはあるそうだが、話がこじれそうなので茉莉には言わないでおく。

 まだ何かを言いたそうにする茉莉だったが、結局何も言わずにその口を閉じた。

 少し混雑している昇降口で靴を履き替えて、二人は外へ出た。そこで、

「――あ。お姉ちゃん、お兄ちゃん」

 ショートボブの小柄な女の子が、茉莉と大樹をそう呼んで近付いてきた。その前髪には犬をモチーフにしたヘアピンが留められている。

未利みり。今日は料理部はいいの?」

「うん。今週は仮入部があるから毎日やるみたいだけど、作るメニューは同じだから一回参加したら来週からでいいって。だから一緒に帰ろうと思って待ってたの」

「それならそうと連絡してくれればいいのに。スマホ買ってもらったでしょ」

「ま、まだ使い慣れてないんだもん……」

 さっきとは打って変わって穏やかな表情の茉莉が、近寄ってきた女の子――未利と話す。二人の顔は良く似ていて、さすが姉妹だなと大樹は思う。未利の方が歳のせいか幾分可愛い顔つきをしている。

 さかき 未利みりは茉莉の妹で、今年の春に入学してきたピカピカの一年生だ。大樹と三つ違うので、こうして一緒の学校に通うのは小学校以来だった。未利が小さい頃から、茉莉も合わせて一緒に過ごしてきたせいか『お兄ちゃん』と呼ばれていた。

 二人が連れ立って先に歩き出し、大樹はその後ろをついていく。今日はよく晴れていて心地よい陽気の上、そよそよと爽やかな風が吹いていて春の匂いを運んできていた。こんな日に走ったら気持ちいいのにな、と大樹は思う。

「お兄ちゃん、今日のお昼は何食べたの?」

 茉莉と話していた未利が、後ろから二人の様子を眺めていた大樹へと肩越しに振り返って問い掛けてきた。表情こそ笑顔だが、その視線とその口調はどこか懐疑的だ。

 突然の質問に大樹は内心で焦りつつも、用意していた答えを吐く。

「何って…………学食でパン買って食べたけど」

「はいダウトー。大樹、アンタが昼休みに手に持ってたビニール袋。あれカップラーメンでしょ。水筒も持って教室出てったし」

 吐いた瞬間、嘘だということをバラされる。この野郎、よく見ていらっしゃることで――視線を送るものの、茉莉はどこ吹く風といった顔をする。

 茉莉の告発を聞いて、未利は険しい顔つきになると、

「もうっ、またカップラーメン? そんなの食べるなら、私がお兄ちゃんのお弁当作るっていつも言ってるのにっ」

 歩く速度を落として大樹の隣に並んだ未利が、上目遣いに大樹を見ながら頬を膨らませて怒った。怒ると顔が怖くなる茉莉とは違って、怒っても未利は可愛い。お兄ちゃんとしての贔屓目だろうか。

「高校入ったばっかりだし、そんな負担になるようなことさせられねーって」

「別に二人分作るのも三人分作るのも、そう手間は変わらないもん……」

「ほっときゃいいのよ、未利。カップラーメンばっかり食べて太って高血圧になってしまいにはポックリ逝くのがお望みらしいから」

「そこまでカップラーメンばっかり食べてるわけじゃねーぞ……」

 茉莉も隣に並んで、挟まれるような形でそのまま他愛もない話をしながら歩道を歩いていき、やがて住宅街へと入った。さすがに三人で並んで歩くには道が狭く、また大樹は二人の後ろにつく。仲が良さそうに笑い合って話す姉妹らの会話に時折返事をしつつ歩き、ようやく自宅近くのT字路までやってくる。ここを左に曲がれば丘家、右に曲がれば榊家がある。

 じゃあな、とだけ言って手を軽くあげて家に向かおうとした大樹に、

「――お兄ちゃん、ほんとにお弁当作らなくていいの?」

 眉をくもらせた未利が声を掛けた。大樹は半身だけ振り返り、いつも自分の食生活を心配してくれる幼馴染に向かって、

「さっきも言ったけど、まだ高校生活に慣れてないだろ? 余裕出来てからでいいよ」

 邪険にならないよう、できるかぎりの優しい声でその提案を却下する。大樹の答えに目に見えて落胆する未利だったが、それでも諦めずに食い下がる。二人の会話を聞いている茉莉は腕を組んで何も言わない。

「じゃ、じゃあどうしたら余裕出来たって思ってもらえる? どうしたらお兄ちゃんにお弁当食べてもらえる?」

 何もそこまで必死に懇願しなくても、と思わないでもない大樹だったが、そんな様子の幼馴染を無下にはできず、

「……中間テストの点数が良かったら、かな」

 結局、根負けして条件を出してしまう。大樹のその一言で、暗かった顔が一気に明るくなり、未利は嬉しそうに笑みをこぼした。

「絶対っ! 絶対だよ、お兄ちゃんっ!」

 そして、そのまま家へと駆け出して行ってしまう。残された茉莉はその後を追わず、腕を組んだままで大樹に言う。

「お弁当くらい、食べてあげればいいのに」

「……俺みたいな奴に弁当を作ってる、なんて知られたら未利が不憫な目に遭うかもしれないだろ」

「考えすぎでしょ、バカじゃないの」

 じゃあね、と呆れた風に溜め息混じりにそう言い捨てて、茉莉も去っていった。

 その背中を数秒だけ見送って、大樹は足を自宅へと向けた。

 T字路から少し歩いて自宅へと辿り着く。決して広いとは言えない、何の変哲もない二階建ての普通の住宅。カーポートには車は停まっていない。門からすぐの前庭は荒れ放題で、玄関アプローチのレンガの間から雑草が伸びていた。

 鍵を開けて中に入る。

 誰もいない家の中はシンと静まり返っていて、廊下の奥に見える部屋は薄暗い。

 玄関を開けてすぐ近くの階段を大樹は上がっていく。


 ただいまは言わなかった。

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