7 「お父さん、今日…ね」

「お父さん、今日…ね」


 千里とつきあいはじめて(?)四ヶ月。

 はたから見たら、恋人同士に見える…くらいには、なったと思う今日この頃。

 とうとう、父さんに会わせる日がやってきた。


「何だ?」


 彼とデートなんだけど、父さんの会社に近いところで待ち合わせなの。

 食事でも一緒にしない?


 …って、言わなきゃいけないんだけど…


「どうした?具合いでも悪いのか?」


 父さんが、書類をカバンに詰めながら言った。


「うっ…ううん、あの…今日、ね」


「今日、どうした?」


「デート…なの」


「…デート?」


「…うん」


 父さんを上目使いで見てると。


「彼氏ができたか…」


 って、少し暗い声。


「同じ学校の子かい?」


「…ううん、社会人」


「どこで知り合ったんだ?」


 少し、意外そう。


「まあ…街で…」


「そうか…」


 父さん、黙ってしまった。

 続きを言わなきゃ。


「そ…それでね、今日…」


「じゃあ、今日、彼氏をうちに呼びなさい」


「え?」


 あたし、固まる。


「父さんも早く帰るから、みんなで食事をしよう。おばあさんには、父さんが言っておくよ」


「そ、そうじゃなくて…父さん?」


「知花もそんな年頃か…おっと、こんな時間だ。じゃ、彼氏によろしくな」


「あ、あー…うん…」


 父さんはそう言うと、ネクタイを持ったまま下に下りていった。


 …何だか、言うに言えなくなってしまった。

 頭の中では大変だって思ってるのに、なんとなく…冷静。

 あ、千里に電話しなきゃ。


 父さんの部屋の電話で千里の家に電話すると。


『神でございます』


 執事の篠田さんの声。


「あ…おはようございます。桐生院知花です。」


 ついフルネームで言ってしまって、自分で苦笑いする。


『あ、おはようございます』


「早くからすみません。千里…さん、起きてらっしゃいますか?」


『はい、お待ちください』


 篠田さんの明るい声にホッとしてると…


『………はい』


 唐突に、不機嫌そうな声が耳に飛び込んだ。


「あ、ごめん…寝てた?」


『…なんだ、おまえか』


 うわあー…本当に機嫌悪そう…


「あの、今日のことなんだけど…」


『ああ、ちゃんと言ったか?』


 タバコに、火をつける音。


「それがー…うちに来てもらえって…」


『……』


 千里が黙ってしまった。

 怒ったかな…


 あたしも、何も言えなくて黙ったまま受話器を握ってると。


『何時?』


 煙を吐き出しながらの声。


「え?」


『何時に行けばいいんだ?』


「じゃ…七時ぐらい…」


『わかった。じゃ、今日は外で会うのはやめよう。家にいろよ』


「…いいの?」


『何が』


「うちに…来ること」


『予定が早まっただけだ。別にいいさ。じゃ、俺はもう一眠りする』


「あ、おやすみなさい…」


 受話器をそっと置くと、ホッとしたようなー…そうでないような…


 …予定が早まっただけ…か。

 なんとなく、嬉しい……


 ……はっ。


 何で?

 何で嬉しいの?


 あたしが頭をぶんぶん振ってると。


「…何してんの?姉さん」


 あたしを呼びに来たらしいちかしが、怪訝そうな顔して廊下に立ってた。




 * * *


「おや…出かけるのかい?」


 生徒さんも先生も来ない土曜日の午後。

 階段から降りた所で、おばあちゃまと鉢合わせた。


「うん…ちょっと…」


「…今夜は、何のごちそうをするのですか」


 おばあちゃまの視線は、庭。


 …父さんから聞いたんだよね…?

 怒ってるかな…怒ってるのかな…

 いきなり彼氏を呼ぶだなんて…



 朝食の後、あたしは部屋に閉じこもってたし…

 おばあちゃまは、お昼前から書道の先生の展覧会に行って、そのままランチをして帰って来た。


 …機嫌悪いままで外出したのかな。

 そう思うと、ちょっと申し訳ない気もした。



「あ…あたしが支度するから、おばあちゃま、のんびりしてて?」


 あたしはそう言うと、急ぎ足で玄関に…


「あ。」


 何、これ。

 あたしが生けた華。


「…どうして勝手口に飾るんです。上手に生けてるのに」


 背後から、冷たい声。

 誉めてくれてるのか、嫌みなのか…


「でも、こんな自己流…玄関になんて」


「あなたのお客様が来るんですから」


「……」


 あたしは無言で靴を履く。


「いってきます」


 返事はなかった。


 大きく溜息を吐いて庭を歩き、コソコソと潜り戸から外に出ると…


「あ、姉さん。どこか行くの?」


 お茶を習いに行っていたちかしが、自転車を押しながら帰って来た。


「うん。夕飯の買物」


「僕も行く」


 中学一年生。

 身長が伸びない事が悩み。

 まだまだ可愛い誓。


 誓と並んで歩く遊歩道。

 足元に飛んで来た枯れ葉に、少しだけ肌寒さを覚えた。


「秋が来るね」


 あたしが並木を見ながらつぶやくと。


「もうすぐ十一月になるもんね」


 誓もつぶやいた。



「そう言えば、うららは一緒じゃなかったの?」


「一緒だったよ。でも麗はこの後ピアノもあるから」


「ああ…そっか」


 あたしは…習い事なんて何一つしてないけど…

 誓はお茶とお習字。

 麗は、誓と一緒にお茶とお習字を習う以外にも…ピアノとお琴も習っている。

 それだけかけられている期待も大きいのかもしれないけど、せめて…本人達が楽しんでやれてるならいいな…なんて。




「あ、姉さん。夕飯の買い物の前に音楽屋に寄っていい?」


「うん。いいよ」



 音楽屋には、陸ちゃんがいる。

 でも、家族は誰一人あたしがバンドしてるなんて知らないから…その辺、気を使って大っぴらには話しかけてこない。



 結局、あたしたちは四人でバンド活動を始めた。

 そうこうしてるうちに、光史が。


「キーボードがいた方が、幅が広くなるんじゃないか?」


 って紹介してくれたのが。


島沢真斗しまざわまことです」


 選択科目で一緒になる、島沢くん。


 彼は、Deep Redのキーボーディストの息子だそうだ。

 とりあえずは、この五人でしばらくはオリジナルを固めていくつもり。

 そのうち、ライヴとかしたいなあ…



「僕CD見てるね」


「うん」


 CDコーナーに向かう誓を見送って、あたしは楽器コーナーに向かう。

 今日は、陸ちゃん休みかな。

 姿が見えない。


 あ、インテリアの感じが変わってる。

 壁にズラリと掛けられたアコースティックギターに、感嘆のため息が漏れた。


 今持ってる薄紫のギターは、スクールの寮でルームメイトだったお姉さんからもらったもの。

 もう六年使ってる。

 お姉さんが使ってた年数を考えると、10年以上のもんだな。


 この深紅、きれい。

 新しいの、欲しいなあ…



「……」


 ふと、耳に入り込んで来た旋律に振り返る。

 そこには…イスに座ってレスポールを持った男の人。


 試し弾きしてるんだけど…すごい…きれいな指運び。

 陸ちゃんのふざけた速弾きを見た時も驚いたけど…

 この人の試し弾き、音がなめらかですごい…。


 あれ…もう、終わり?

 イスから立ち上がったその人は、レスポールを優しい目で見てそっとスタンドに立てかけた。


 長い髪の毛。

 丸い眼鏡。

 なんとなく品がある感じ。

 さっきの様子だと…かなり、ギターやってそう。



 その人がCDコーナーに向かって歩いて行くのを、あたしは目で追う。

 …あれ?

 その人、誓と一緒にいる男の子に近付いた。


「……」


 黙って眺めてると、三人はいくつか言葉を交わして…手を振って別れた。



「あ、姉さん」


「今の、友達?」


「え?知らないっけ。トモ」


「トモ?」


早乙女さおとめの」


「早乙女って…お茶の先生の?」


 まさに、今日誓と麗がお茶を習いに行ったばかり。

 て事は…

 誓の言う『トモ』君は、うちに華を習いに来てるはず。



「ふうん…髪の長い人は、お兄さん?」


「うん。次期家元の千寿せんじゅさん」


 早乙女…千寿さん。


 そう言えば、噂を聞いたことがある。

 一度廃れた流派を盛り返しつつあるのは、早乙女家の御長男のおかげだ…とか。

 それほどの腕の持ち主って事になるけど…


 …ギターの腕も、かなりの物だと思う。



「僕、CD予約してくるね」


「うん」


 レジに向かう誓。

 あたしは、ボンヤリと早乙女さんのことを考えていた。


 陸ちゃんの時に受けた衝撃に似てる。




 …あの人のギターで、歌いたい。

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