5 「あのっ…」
「あのっ…」
あたしは勇気をふりしぼって、その人に声をかける。
「…はい?」
その人は驚いたように振り向いて、自分を指差した。
「あの、そのー…」
「……?」
夏休みに入って三日目。
あたしは、音楽屋で…前々から気になっていた男の人に声をかけた。
すごく目を引く人。
茶色い髪の毛に、どこか日本人離れした顔立ち。
ハーフなのかな。
身長も高いし、スタイルもいい。
この人が音楽屋にいる時、数人の女の子が後をつけてるのを見た事がある。
…うん。
カッコいい人だもん。
だからこそ…一人でいる時を見計らって声を掛けた。
「あの…えっと…」
「?」
「バンド…やってらっしゃるんですか?」
あたしの質問が意外だったのか、その人は目をパチパチとさせた後。
「いや、やってない」
ふっ…と笑顔になった。
「ギター…弾いてらっしゃいますよね?」
「え?ああ、うん」
「あの、すごく厚かましいとは思うんですけど…」
「……」
「あたし、友達とバンドを組みたいと思ってて、ギタリストとドラマー探してるんです。ドラマーは、あてがあるんですけど…その…」
「俺をスカウトしてんの?」
あたしが全部を言い切らない内に、その人はそう言って首を傾げた。
「は、はい」
思わず、硬くなっちゃう。
厚かましいって思われたかな…
この人、いつもギター担いでふざけて早弾きとかしてるけど…すごく、上手い。
初めて見た時、きっと周りから見たらマヌケなほど…あたしは目を真ん丸にして驚いた顔をしてた。
それほど…衝撃だった。
この人のギターで歌いたい。
そう思った瞬間でもあった。
「俺、ダチがドラマーでさ」
「え?」
「そいつとバンド組む予定なんだ」
「あー……………そうなんですか…」
ガックリ。
この人のギターで歌いたい…って、本気で思ったんだけど…
そうよね…
あんなに上手ければ、今バンド組んでなくても、引く手あまたに違いないもの…
「…ま、でも、そのあてがダメだったら、声かけて。考えてみるから」
あまりにもあたしのガックリ具合がかわいそうに思えたのか、その人は少し眉を下げて、あたしの顔を覗き込んだ。
考えてみる…か……えっ。
考えてみる!?
「あっ、お願いします!!」
あたしが背筋を伸ばしてそう言うと、その人は優しい笑顔になった。
「でも、ちゃんとした返事は一度合わせてみてからって事で」
「もちろんです!!」
「ところで…何で俺に?」
腕組みをして問いかけられて、あたしは…一瞬口を開けて固まった後…正直にいう事にした。
「時々…売り場のギターを弾かれてますよね…」
「ああ。あれ見てたんだ?」
「ふざけて速弾きされてて…」
「…そっちを見たか…」
「あれを聴いた時、『この人のギターで歌いたい』って思いました」
「……」
ふと、目の前の笑顔が消えた。
え?と思うと…その人は少しだけ考える風な顔をして…
「見た目で言っちゃ悪いって思うけど、君、フォークなイメージ」
うっ…
そ…そうだよね…
黒いウイッグに眼鏡…
誰もあたしがハードロックを歌うとは思わないはず…
「そうですよね…でも実は…ハードロックを歌いたくて…友人と曲を作ってます」
「ハードロック?え?曲も作ってる?」
相当意外だったのか、ぐいぐいと近付かれてしまった。
「あ…は…はい…」
「…んじゃさ、次来る時、何か持って来て」
「えっ…?何かって…」
「音源か譜面」
「……」
まだ聖子と二人でしか合わせてないカセットテープは…正直聴かせたくないって思った。
あたし自身、録音した自分の声を聴くのが苦手なせいもある。
なんて言うか…声を張り上げ過ぎて、音声が割れてしまってるのよ…
「じゃあ…譜面を持って来ます…」
「おー、譜面ちゃんと書いてんのか。立派立派」
「……」
誉められてるのかどうか分からない口調に、あたしが少しだけ固くなってると…
「じゃ、これ。俺の連絡先」
その人は、お店のメモ用紙にペンを走らせて。
「はい」
あたしに、くれた。
「
書かれた名前を読み上げる。
「君は?」
「あたし、桐生院知花っていいます」
「高校生?」
「はい。桜花の高等部一年です」
「桜花?俺も、桜花。大学一年」
「あ、じゃあ、ご存知かな…」
「ん?」
「あてにしてるドラマー、あたしの友達の幼馴染さんなんです。確か桜花の大学の一年で、お父さまがDeep Redっていうバンドのギタリストで…」
「……」
二階堂さんは、キョトンとしてあたしを見て。
「じゃ、話は早いな」
って、笑った。
「?」
「そいつが、俺のダチのドラマーだし」
「え。」
あたしも、キョトンとしてしまった。
「ま、まずは譜面よろしく」
「あ…はい……でも、何かのカバーでも良ければ…」
てっとり早いかなと思って提案してみると、二階堂さんは小さく首を横に振って。
「いーや、出来れば早いとこ見極めたいからな」
真顔で言った。
「…見極めたい?」
「俺らプロ志向なんだよ。確かにカバーで合わせて云々でもいいけど、やるからには本気のメンツを探したい」
「……」
「だから、譜面持って来て」
そう言ってニッコリ笑った二階堂さんは…笑ってるけど、何だか少し怖いと思ってしまった。
それだけ…本気って事だ。
もしかしたら、あたしなんかにスカウトされたの…イヤだったかな…
「俺、先週からここでバイトしてるから、その友達とおいで」
「はい…分かりました」
「譜面、忘れないように」
「……」
もしかしたら、すごく試されてるのかもしれない。
見た目フォークのあたしが、本当にハードロックの曲を作ってるのか。
二階堂さんは、きっと…自分で自分の実力を分かってる人だと思う。
だとしたら…
「二階堂さんのアレンジが楽しみです」
あたしは、顔を上げて強気に言ってみる。
二階堂さんは一瞬目を丸くした後。
「…言うね。ま、俺も期待してるよ」
不敵な笑みを漏らしたのよ…。
* * *
『あたし、明日からロンドン行くのよ…』
二階堂さんに『友達とおいで』と、一見にこやかに言われたけど…
あたしには『譜面持って来てみろよ』って挑戦的に聞こえたわけで。
二階堂さんをスカウトした事を、ようやく聖子に電話して。
とりあえず、一緒に音楽屋に行けたら…と思ってたんだけど…
「え?ロンドン?」
『そ。バイトでね』
「あ、もしかして…モデルの?」
『それ』
バイトでモデル。
聖子はたまにだけど…七生ブランドのショーでモデルをする事がある。
何度か写真を見せてもらったけど…
派手なメイクと服で、最初は聖子だとは分からなかった。
『譜面渡して驚かせて来なよ』
「う…驚いてもらえるかな…」
『自信持ちなって。大丈夫』
出来れば夏休み中には合わせたい。
だとすると、アレンジの時間も要る。
聖子がロンドンから帰るのは二週間後。
となると、早めに譜面を渡したい。
夏休みに入って一週間。
あたしは…相変わらず窮屈な生活を強いられている。
なぜかと言うと…夏休みだと、昼間に来る生徒さんがいるからだ。
そんなわけで、あたしは毎日朝から図書館に出かけて…最初の三日は、宿題を頑張った。
そして、二階堂さんをスカウトした翌日からは…図書館で譜面の書き直しを頑張った。
…窮屈な生活とは言いながらも、おかげで勉強と曲作りははかどってたりする。
図書館の後は、千里と会って…
疲れてるのか、運転席で眠ってしまった千里に付き合って、あたしまでもが眠ってしまったり。
何か面白くない事でもあったのか、一言も喋らず車を走らせる千里に最初はビクビクしながらも…またもや眠ってしまったり。
それでも、結婚してあのマンションに住む。ってお互いの目標が消えてないから…
あたし達は、週に三日、きっちりと会う事を止めずにいる。
「おう…いらっしゃい。」
音楽屋に着くと、二階堂さんがあたしを見て少しだけ目を丸くした。
…本当に来るとは思わなかった…って感じなのかな…
「友達はその…都合が悪くて」
「そっか。で?譜面持って来た?」
「はい」
あたしはトートバッグから茶封筒を取り出す。
「書類みたいだな(笑)」
「…ですよね…」
聖子はいつもカラフルでオシャレな封筒で、譜面を渡して来る。
『NANAO』ってロゴもカッコいいそれを、あたしは勿体なくて使いまわす事が出来ない。
…茶封筒は、お父さんが使ってる社名の入ってない物を拝借した。
茶封筒を手渡すと、二階堂さんはその重みに一瞬眉をしかめた。
「何曲分?」
「あ…三曲入ってます」
「…ふーん…」
気の無い返事をしながら、封筒から譜面を取り出して…
「……」
二階堂さんが、無言になった。
その目は、真剣に音符を拾ってる。
しばらくの沈黙の後…
「…これ、ダチにコピーして渡してもいいか?」
二階堂さんは真顔のままあたしに言った。
「え…あ、はい。もちろんです」
「じゃ、とりあえず二週間。その後、四人の予定が合う日にスタジオに入ろう」
「…分かりました」
「夏休みだよな?二週間後以降に、君と友達の予定を…そうだな…ここに来て教えてくれるか、俺んとこに電話するかで」
「はい」
「じゃ」
二階堂さんが茶封筒を手にお店の奥に消える。
あたしは…すごく緊張してしまってた。
…三曲のアレンジを、二週間で…?
もしかして、あたし…
とんでもない人に声掛けちゃったのかな…
「……」
だけど。
あたしと聖子だって、中途半端な気持ちじゃない。
それに…
自分の作った曲が、どんな風にアレンジされるのか。
「…楽しみにしてます」
あたしは、音楽屋の外から。
お店のネオンサインを見上げながら、つぶやいた。
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