4 「おまえ、料理できる?」
「おまえ、料理できる?」
ふいに、千里が真顔で言った。
付き合い始めて?一ヶ月。
相変わらず、千里はあたしを車に乗せて走ってる。
今日は車に乗ってすぐ…そんな事を聞かれた。
「…料理?」
「そ。」
「どんなの?」
「どんなのって…一般的にだよ」
「作るのは好きだけど」
「じゃあさ、サバの味噌煮と肉じゃが作ってくれよ」
「…どこで?」
突然のように、現実に戻る。
あたし、千里のこと何も知らない。
一ヶ月付き合って、知った事と言えば…
名前と職業…って言っても、シンガーってことだけ。
あと、お気に入りの場所が三日月湖…
今、一人暮しとかしてるのかな。
…そう言えば。
ただのシンガーにしては、いい車に乗ってるような気がする。
黒のベンツ。
もしかして、売れっこ…?
「じーさんち」
千里の答えに、ハッとする。
「…おじいさん?」
「ああ。俺もそこに住んでる」
…おじい様と同居。
ご両親や兄弟は…?
「…ね」
「あ?」
「兄弟とか、いる?」
「何だよ、急に」
「だって、千里はあたしの事、色々聞いてたけど…あたし、千里の事何も教えてもらってないんだもん」
「おまえが聞かねえからだろ」
「…だから、兄弟は?」
あたしが唇を尖らせて問いかけると。
「俺、五人兄弟の末っ子」
千里は、相変わらずのニヤニヤ顔で答えた。
「末っ子!?」
つい、大きな声を出してしまった。
「何だよ。んな、驚くことじゃねえだろ?」
「だって…一人っ子かな…なんて思ってたから…」
「なんで」
「…なんとなく」
五人。
すごいな。
「お兄さんとお姉さん?」
「いや、男ばっか。一番上の兄貴とは、10歳違う」
「へえ…じゃ、ケンカとかなさそう」
「ああ。上の二人とは歳離れてるし、3番目は相手にもしてくれなかったし…すぐ上の兄貴は年子なんだけど、IQ200以上だぜ」
「す…すごい…どんな感じ?IQ200って」
「俺は別に変わんねーと思うんだけどな。本人はそのせいで結構ひねくれてっかなー」
「ふうん…お兄さまたちは、みんなお仕事されてる人?」
「…上から言うから覚えろよ」
「え?」
「じーさんが探り入れるかもしれないしな」
千里の意味深な言葉に。
思わず、あたしは手帳を出してしまった。
「…メモんのかよ」
「だって、人数多いんだもん」
あたしが手帳を開くと、千里は車を左に寄せて止めた。
「…何?停まらなくていいのに」
「おまえ、車酔いするっつってたろうが」
「…あ。」
そういえば、あたし…千里の車に酔ったこと、ない。
お父さんの車でさえダメなのに。
「言うぞ」
千里がハンドルに寄り掛かって話し始めた。
「長男の
「…行方不明?」
「しょっちゅうさ。ぶらっと外国とか行って、しばらく帰ってこない」
「……」
それにしても…
貿易、宝石、デザイナーの卵、IQ200…シンガー。
すごい兄弟。
「…ねえ」
あたしは、恐る恐る問いかける。
「何」
「ご両親は?」
どう考えても、普通の家庭じゃない。
あたしの問いかけに、千里は無言でウインカーを出して車を発進させた。
「…親父と母親はイタリア。もう五年会ってねーかな」
「お仕事?」
「ああ。貿易の仕事してる」
イタリアで貿易の仕事。
いつから…千里はご両親と離れて暮らしてるのかな…
あたしの考えをよそに、車は走り続けて。
「さ、ついた。ちゃんと料理してくれよな」
そう言って笑った千里の指さした方向には。
「…おじい様の…おうち?」
とてつもない豪邸。
「たいしたことないんだぜ。イタリアの親父たちが住んでるとこなんて、もっと広いし」
千里は、さらっと言ったけど…
何者?
「…ちなみに、おじい様は何のお仕事されてた方?」
小さく問いかけると、千里は何でもないような顔して。
「元通産大臣だっけなー」
って、恐れ多い言葉を言ってのけた。
* * *
「んな、硬くなんなよ。普通の家だと思えよな」
千里が、玄関のドアを開けながら言ったけど。
普通なんて思えるわけないじゃない!!
確か、門を入ってからかなり走ったわよ。
いくつものオブジェも見たわ。
それに、玄関も…まるで外国映画に出てくるお屋敷みたい。
「入れ」
千里に続いて玄関に入ると…とてつもなく広いエントランスホール…
さっさと歩いて行く千里に、声を掛けそびれる。
え…ええええ…?
靴は…脱がないの?
思わず、口が開いたままになってしまった。
確かに…桐生院もお屋敷だけど。
思いきり和風だし…
「おかえりなさいませ」
ふいにホールの脇から声がして、そちらを見ると…
きちんとした身なりの男性が、頭を下げられた。
「ただいま。じーさんは?」
「今、お部屋に」
「そっか」
だ…誰だろ…
あたしがドキドキしながら、千里の後ろからその人を見てると…
「執事の
『執事の篠田さん』は、一歩あたしに近付いて、そう言われた。
「はっ…はじめまして。桐生院知花です…」
慌ててペコペコとお辞儀をする。
「いつお目にかかれるのかと、楽しみにしておりました」
「えっ…?」
「篠田。余計な事は言うな」
「…かしこまりました」
千里…
あたしの事、話してる…って事だよね…?
あたしが普段より多い心拍数に息を整えてると。
「おお、千里。帰ったか」
上から声が降って来た。
あたしが驚いたように顔をあげると、白髪の方が、階段を下りながら笑われた。
「ようこそ」
「あ…はは…はじめまして。桐生院知花です」
慌てて、深々とお辞儀する。
色々…頭の中がパニック…!!
このお屋敷もだし…執事の篠田さんも…
執事なんて、小説の中でしか存在しないのかと思ってた!!
「まあ、そんな硬くなりなさんな」
「じーさん、厨房貸してくれよ」
おじい様が、あたしに声をかけてくださってるのに。
千里はマイペースに話を進めようとする。
「厨房?」
「こいつの手料理、食わせてもらおうと思って」
「それは名案だな。今夜は料理人が不在で、料亭に何か注文しようとしていた所だ」
おじい様、ニッコリ。
「……」
そ…そうだった。
あたし…今日、料理をしに…って、こんな豪邸で、サバの味噌煮!?
今、おじい様…料亭に注文しようかと…って。
そんなおうちに、あたしの料理って…!!
「あ…あの…」
小さな声で、千里に問いかける。
「何」
「本当に、サバの味噌煮と肉じゃが?」
「なんだよ、自信なくなったか?」
千里は、いつものニヤニヤ顔。
それを見てると…
「…作るわよ」
あたしは唇を尖らせて、千里に続く。
「こちらの食材、お好きな物をお使いください」
いつの間にか厨房にいらした篠田さんが、調理台の上や業務用サイズの冷蔵庫の中にある食材を見せて下さった。
…これ、一般家庭ではありえない食材だし…量もすごい…
いったい、何人家族…?
「篠田、手伝うなよ」
「わたくしに料理など…」
「それもそうか。知花」
「え…っ?」
「デザートがつくと嬉しいんだけどな」
千里が壁にもたれかかって、腕組みをする。
…この人…ポーズだけはすごく…なんて言うか…
カッコいい…よね。
どうすれば自分がカッコ良く見えるか、分かってる気がする。
…それについて来る言葉は、何だか…えっ。って思ってしまうような物だったりするけど。
「聞こえたか?」
「…はい」
「じゃあな」
言うだけ言って、千里は厨房を出て行った。
篠田さんと残されたあたしは…しばし、その広さと食材の多さに呆然とする。
「知花様」
「はっはいっ!!」
突然名前を呼ばれて肩を揺らせた。
振り向くと、篠田さんがエプロンを手に。
「驚かせてしまいましたね。すみません。こちらをお使いください」
…優しい笑顔。
「あ…お…お借りします…」
渡されたエプロンを身につけて、まずは…食材を選ぶ。
サバの味噌煮と肉じゃが。
それと…デザート。
とりあえず…下ごしらえを始めよう。
* * *
「偏食家の坊ちゃんには、本当に手を焼いているのです」
下ごしらえをしている間、篠田さんはあたしから離れる事なく…千里の話をされた。
それがもう…あたし的には、意外過ぎて楽しい…!!
「不規則な生活をされてますし、タバコもお酒も多く嗜まれて…歌い手さんだと言うのに、全然ご自身の身体を大事にされていないのではと心配で…」
「…そ…そうなんですか…」
偏食家だなんて、知らなかった…!!
それに…『坊ちゃん』って…!!
神家には『たきさん』という昔から仕えてらした料理人の女性がいらっしゃるのだけど、ご高齢ゆえ最近は休みがちらしく…料亭やホテルから食事を運んでもらったり、シェフに来てもらったりしているそうだ。
…いやいや…別世界過ぎる…
だけど偏食家の千里は、嫌いな物を使わなかったたきさんの料理に慣れ過ぎてて…
どの料理も大量に残してしまう…とか。
…カッコ悪いとこ、発見。
「そのうえ、言葉遣いはああですし、目付きもあまりよろしくはないですから…良きパートナーに恵まれれば、生活から全てにおいて改めていただけるのでは…と思っておりました」
篠田さん、本当に千里の事心配されてるんだ…
優しい人だなあ。
「そう言えば、ご存知ですか?坊ちゃんのここに、小さな傷があるの」
篠田さんの指先は、左眉の端。
「いえ…」
「昨年、木に上って下りれなくなった猫を助けに行って、引っ掛かれた物なんですよ」
「えっ」
つい、驚きの声を上げてしまった。
「ど…動物、好きなんですか?」
「口には出しておっしゃいませんが、お好きなはずです。決死の木登りでしたから」
「……」
好きな物、嫌いな物、と分けてある食材の中から。
嫌いな玉ねぎを大量に切る。
それを見た篠田さんが、笑顔になる。
「そんな面もあるんですね…なんだか、あたしの前ではクールだから、いまいちつかめないって言うか…」
「そうなのですね。では、わたくしが坊ちゃんの仮面を…」
篠田さんがノリノリで話し始めたその時。
「篠田」
ふいに、厨房の入り口から声がして、篠田さんとあたしが振り返ると…千里が斜に構えてこっちを見てた。
「…余計なこと、言うなっつったろ?」
「おや、何のことでしょう?」
「…ったく…」
千里はツカツカとあたしの隣まで来ると…
「玉ねぎ…」
あたしの手元でてんこ盛りになってる玉ねぎを見て、露骨にイヤな顔をした。
「残さず食べてね」
ちょっと切り過ぎたかも。
思いの外、目に沁みてしまって…あたしが涙目になる。
「…玉ねぎで泣くようじゃ、おまえの料理の腕ってのも、まだまだ…ばっ!!何すんだっ!!」
あたし、玉ねぎのエキスがたっぷりついてる左手を、千里の目元に押し当てる。
「くっそ~…おまえ…」
あたしと同じく、涙目になった千里は。
「覚えてろよ。そのうち犯してやるからな」
キッと睨んでそう言った。
「ぼっ坊ちゃま!!なんてことをーっ!!」
「うるさい篠田。俺の女だ。俺の好きにやる」
「坊ちゃまーっ!!」
……二人のやり取りを聞きながら。
あたしは、千里の言葉を聞かないフリを…した。
* * *
「ごちそうさまでした」
おじい様が手を合わせて下さった。
その光景を見て、やっと…ホッと胸をなでおろす。
千里からリクエストのあった、サバの味噌煮と肉じゃが。
その他に…野菜たっぷりのお味噌汁と、色んな野菜の煮びたしも作った。
…あ、デザートも。
「…思ったより、やるじゃん」
千里が、意外そうな顔でそう言った。
好き嫌いの多い千里も、今日は…頑張ってくれたのか、どれも美味しそうに食べてくれた。
「知花さん、ついでにお願いが」
おじい様にそう言われて背筋を伸ばすと。
「玄関に華を生けてもらいたい」
「………はい?」
華を、生ける?
「確か、趣味だっつってたよな?」
千里はニヤニヤ顔。
確かに、あたしは華を生けるのが趣味…なんて言ったけど。
華道の家に生まれながら、誰に習ったでもない…自己流なのよ~!!
「あ、あの、玄関だなんて、そんな立派なところに…」
あたしが恐る恐る答えると。
「どんな生け方でも華でもいい。あなたの好きなように生けてください」
おじい様は、それだけ言うと席を立たれた。
あたしは、しばらく呆然として。
「…どうしよう…」
千里に、つぶやく。
「俺も見たい」
あたしの心労をよそに、千里は笑顔。
「だって、ほら…花屋さん、閉まってるんじゃない?」
断る理由が出来た!!と思って言ってみたものの…
「この裏にある花屋、結構遅くまでやってるぜ?選ぶのついてってやるよ」
千里は、あたしの腕を持って立ち上がった。
…機嫌、いいのかな。
千里がそんな様子だから、あたしもつい…何生けようかな…なんて。
「おまえ…あの大量の玉ねぎ、何に使った?」
外に出ると、千里が嫌な事を思い出した風に言った。
「…玉ねぎ、嫌いなんだってね」
あたしは、意味深な笑顔。
篠田さんに、たくさん聞いてしまった。
玉ねぎだけじゃない。
ピーマンも、アスパラも、もやしにレンコン、牛乳にチーズ。
おまけに、食べれる果物はミカンだけ。
食べれる魚はサバだけだし、お肉も牛肉以外は食べれない。
まだ他にもたくさん嫌いなものが…。
食べれる物を数えた方が、早いくらい。
「篠田に、何聞いたんだよ」
「千里の嫌いなもの」
「ふん、どうせ子供みたいだとかって笑ったんだろ」
「でも、全部食べてたじゃない」
「あ?」
千里は、あたしの顔を見る。
「どれが一番美味しかった?」
あたしも、千里を見る。
「……」
千里はしばらく考えて。
「一番とか、二番とかそういうのは決められねーけど…」
「……」
「焼きプリンは、格別に美味かった」
ますます、子供みたいと思ってしまった。
「あの中にはね」
あたしは、小さく笑いながら…告白する。
「千里の嫌いなものが、たくさん入ってた」
「…何だよ」
「卵とチーズとリンゴとハチミツ」
「……」
「篠田さんも心配してたよ?ボーカリストなのに、健康管理悪いって」
「……」
千里はしばらく無言で目を細めてたけど。
「おまえが嫁に来てくれたら、何でも食えるようになるかもな」
そう言って…
あたしの肩を抱き寄せたのよ…。
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