第24話 謹慎
「……エシア様は、もっと強い方だと思っていました」
レジオールが呟くように言った。が、応えはない。
「一ヶ月前までの彼女は、礼儀はわきまえているものの、本質的には奔放で影などない方だと思えました」
夕暮れの光が、部屋の中を、窓際に座る彼とその前に立つレジオールを照らしている。
「聖女になるよう教育され、何者からも守られて育ってきた今までの聖女よりは、弱くはないのでしょうが」
座っているリグリアスからは、やはり何も答えが返ってこない。
エシアの話ならば、彼でも無視できずに何かを話すと考えたレジオールは、自分の思い違いに気づく。
そうだ。
この男は柔らかい印象を受ける人間だが、その実かなり頑固なのだ。
だからエシアを守れる位置に居るために必要とあれば、こうして聖域府の隅に謹慎させられていても、素直に従う。一方で言わないと決めた事は決して口にしない。
以前も今も、レジオールはそんなリグリアスの態度を好ましく思っていた。
聖女を守る騎士としては、これぐらい聖女のために忠義立てしてくれる方がいいのだ。決して他の甘言になどまどわされないと安心できるから。
一方で今のように、聖女に関して情報を引き出したいときは少々やっかいだ。
ため息をつき、レジオールは告げる。
「あと三時間で、あなたを出すように手配してあります」
「わかった」
素直にうなずくものの、リグリアスの何もかも投げ出すような態度が気になった。
エシアが彼の意に反して聖女になると決めたから、拗ねているというのだろうか。
「ところでアクストという男に会いましたよ」
リグリアスは眉一つ動かさない。あの男が、聖域へ来ることは知っていたからだろう。
「彼にエシア様の記憶を呼び戻すさせようとしましたが……上手くいきませんでした。また明日、彼にお願いするつもりです」
ただ、とレジオールは付け加える。
「エシア様と知り合いだというのに、あの男は少々配慮がないのではないでしょうか? 親しいのなら、エシア様が家族を失った頃の記憶は避けるのではないですか?」
そこにレジオールは小さな不信感を抱いたのだ。
順に記憶を遡るにしろ、印象的な記憶をたどっていけば、必ずエシアは家族を失った日のことを思い出さずにはいられないだろう。最も苦しい記憶を思い出せば、拒絶して悲鳴を上げてもおかしくはない。
レジオールはエシアの反応でそれを思い出したが、この一ヶ月親しくしていたアクストが、エシアが嫌がるまで彼女の辛い経験について配慮もしなかった事は不自然だった。
リグリアスは視線を揺らした。
彼もこれは意外だったのかもしれない、とレジオールは感じる。
「このような形でエシア様に思い出していただくのは、心苦しいばかりです。ですが、貴方が最初から全てを話していれば済んだことではありませんか?」
何があったのかを話して心構えをさせておけば、もっと穏やかにエシアの記憶を取り戻すこともできたはずだ。
けれどリグリアスは頑なに聖域でのことを話さなかったのだ。
「あなたにたいして不審に思っている事はまだあります。リーレント島でエシア様をあなたが放置していたことです。島での様子を、アクストや村の人間から聞きましたが、あなたは彼女に昔の知り合い程度の接触しかもたなかった。追われているのがわかっているのに、常に傍にいなかったのはなぜです?」
聖女であるエシアをレジオール達から隠したいのならば、なおさらだ。
素っ気ない態度から、昔なじみに同情しているだけだと村の人間にも思われていたらしい。
そしてレジオールがやってきた日も、エシアは一人で行動していた。レジオールが聖女に関する情報を漏らさないよう、村から彼女を引き離して捕まえようとするまで、何一つ支障がなかったほどだ。
「あなたは……あの日、何を見たんです?」
全てはそこに繋がるのだ。
一ヶ月前、シュナの失踪を境に、リグリアスはエシアを連れて逃げながらも彼女と距離を置いた。
エシアは記憶を失った末、なぜかシュナとしての記憶を思い出している。
肝心のシュナは失踪の末、聖女の騎士として力が使えない事から既に死んでいるのだと思える。
さらにはエシアが聖女としての力を持っていた。
知っているはずのリグリアスが、ようやく小さな声で告げた。
「俺ができるのは推測だけだ。想像を語った所で、確証のないものをお前は信じたか?」
「けれどエシア様は聖女としての力を持っていた。あなたは知っていたから、港で私達に対して聖女の星振を引き出して使ったのでしょう? でも始めから彼女が聖女だと知らされていれば、あなた方に危害を加えることもなく、話を聞くことはできました」
素直に、レジオールに理由を話せば良かったのだ。そうすれば、エシアが苦労することはなかった。
しかしリグリアスは首を横に振る。
「俺は、エシアを聖女にしたくはなかった」
「だから聖域のことも思い出させないようにしていた……ですか」
レジオールは小さく息をつく。
ようやくリグリアスに関する謎の一端が明らかになった。
「けれど聖女となった以上は保護されるべき存在です。あなたも知っているでしょう? 星の核を飲み込んだ聖女は、ゆるやかに死んでいく。力と引き替えに。だからこそ長く生きられるようにお守りしなければならない。あなたが星の核を飲み込んでしまったエシア様を聖域に連れて行こうとしたのも、それを知っているからでしょう? しかも施術は、半年に一度は行わなければならない。これから先はどうするつもりだったんです?」
「それでも聖女にはしたくなかった。聖女は生け贄だ。死ぬまで飼い殺しにされているようなものだ。守るために閉じ込められて、シュナ様のように精神のバランスを崩したら……」
「確かにシュナ様は、死を目前に狂気を宿し始めていました」
レジオールの目にも、それは明らかだった。
シュナには死から目を背ける物を求めることすら叶わなかったのだ。
聖女を守り――――閉じ込め続ける聖域の体制のために。
「そこまでわかっていながら、なぜシュナ様を放置したんだ! 俺よりもずっと側にいたんだろうに」
「ではなぜ、あなたはシュナ様の望みを叶えて差し上げなかったのですか?」
あのがんじがらめの小さな世界の中で、シュナが求めたのはリグリアスだった。
レジオールにも分かることならば、リグリアス自身も気づいていたはずだ。
「シュナ様があなたにすがりたくて、あなたを騎士に加えたのは明白です。死期の近づいた聖女の我が儘だからと、星振官や執政官達もそれを許した。けれどそれを分かっていても……私も貴方も、彼女を一番にはできなかった」
リグリアスはうつむいて唇を噛みしめていた。
「ならばゆっくりと死んでいくのを見送るしかないのです。どちらにせよ、シュナ様の死は避けられない物だったのですから」
リグリアスはうつむいたまま、何も言わなくなる。
気の毒だ、とレジオールは久々に思った。
過去にもこうして、聖女にすがられる騎士は何人もいただろう。
相思相愛ならばまだしも、気持ちがかみ合わない場合は、双方にとって不幸でしかない。
死の恐怖におびえても、すがりたい相手に振り返ってもらえない女と、その手を取ることができない男では。
だからレジオールのように、聖女を女性としては見ない人間が重宝され、二代にわたって騎士に任命されることになったのだ。
でも次は、そのような心配もいらないだろう。
「シュナ様のことは終わってしまったことです。後は一体何があったのかが、わかればいい。その後はエシア様を貴方が支えていくことになるのでしょうから」
おそらくは騎士として。エシアは必ずリグリアスを望むはずだ。
ああ、とレジオールが付け加える。
「そういえば、不思議なことですが。エシア様の飲み込んだ星の核は、ほとんど体に残っていないそうです」
「星の核が?」
リグリアスが顔を上げる。
驚くかと思ったが、なぜかリグリアスは不安そうな表情をしていた。
「あの方は、他の聖女のように死ぬ心配がないということですよ。詳細はまた後で」
それだけ告げて、レジオールはリグリアスの元を去った。
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