第23話 再会

 その後、フィナリアとレジオールは何らかの打ち合わせをした後、エシアは聖域内の別な部屋に連れていかれた。

 そこで記憶をとりもどす治療をするという。

 星の核についても問題ないことがわかった以上、済ませられるのならば、早いにこしたことはない。


 そうして連れてこられた部屋は、聖女候補に与えられる部屋らしい。

 まだ聖女として星振官達の議会で承認を得ていないからだ。

 それでも部屋までの道のりは、フィナリアの執務室よりはエシアにも見覚えのある場所だった。

 シュナについて庭へ行く夢で、見たことがあったからだ。


「シュナ様のお部屋に近い場所……よね?」


 夢が、自分の幻想が創り出した普通の夢なのか、シュナの記憶なのかを確認したかった。

 尋ねたエシアに、レジオールがうなずく。


「相変わらず、思い出すのはシュナ様の記憶だけなのですか?」

「たぶん、彼女の記憶だけです」

 

 エシアの記憶があったのなら、フィナリアの部屋までの道や、聖域府の建物の入り口などでも、懐かしいと感じたはずだ。けれど一つもそんな記憶はない。


「ご安心下さい。一度で全てを思い出せるかはわかりませんが、星振であなたの記憶を呼び覚ましてみましょう。その治療をする者も呼んであります」


 曖昧にうなずくエシアを見て、レジオールが部屋に控えていた警護官に、治療をする人間を呼ばせに行く。

 この待つ時間が、また辛かった。

 決意した心が揺らぎそうになる。

 何か眺めて気を紛らわせようとしたエシアは、窓際に置かれた置物に目を見開く。

 あの妙にひょうきんな顔の、可愛いとも綺麗とも言えない妙な星樹の置物だ。


「あれ……」

「覚えていらっしゃいますか?」


 レジオールは憂いのある表情を浮かべる。


「あれのことだけでも、覚えていらっしゃって良かった。シュナ様の贈り物の中にあって……私も浮かれていたのでしょうね。あの時のシュナ様はリグリアスという守護する者が増え、そしてエシア様という心癒される相手を得て、本当にお幸せそうに見えたのです。それが今でも、忘れられません」


 そしてレジオールは、あの置物を聖域のあちこちに置いたそうだ。

 次に来る聖女がまた、あの置物を見てくれればいいと。

 何故置いたのかを聞かれれば、シュナとの思い出を話すことができる。


「聖女は長く生きられない運命を背負っています。けれどこうして亡くなった後も、シュナ様との思い出が誰かの記憶に残っていけることを知れば、その聖女が自分も周囲からすぐに忘れられないのだと知って、少しは救われるかもしれないと思ったのです」


 レジオールの言葉にエシアは思わず泣きたくなる。

 この冷淡と思える彼にとってさえ、あれは光の中にいるように幸せな記憶だったのだ。


「シュナ様は、あたしやあなたの悪ふざけに怒りながらも、でも楽しいと思って下さってました。この記憶が本物なら……」


 自信がないので、語尾は曖昧になる。

 この記憶が本物であっても、やはりエシアの中では疑問がふくれあがるだけなのだ。もし、自分がエシアではないのだとしたら……と。


 その時扉がノックされた。

 部屋の扉は、白木に色石をはめ込んだ幾何学模様の美しい飾りが施されている。

 レジオールが応じると、ゆっくりと外側から開かれ、訪れた人が中へ踏み込んでくる。


「ようこそ。こういう治療系の微細な加減が私は苦手でね。宜しく頼むよ」


 現れたのは、見覚えのある枯葉色の髪と瞳の色をした青年だ。


「アクスト……?」


 なぜ彼がここにいるのだろう。

 エシアは首をかしげる。

 彼は星振官ではない。だからリーレント島の片田舎で、研究者の手伝いをしながら暮らしていたはずなのだ。けれど彼は今、黒い服の上から藍色のガウンを羽織っている。それは確か星振官の装束だ。

 アクストはちらりとレジオールに視線を送り、それから答えた。


「君らが出発した後にね、予定通り後を追いかけたんだ。君も先ほど会っただろう? 星振官長のフィナリア様は俺の血縁だから、そのつてでこっそり会おうと思ったんだが。けど、その必要はなかったみたいだ」

「ううん、ありがとう」


 そういえば彼が聖域に来てくれる手はずだったのだ。


「俺が好きでやったことだから、気にしなくていいさ。けど帰ろうかと思った所で、フィナリア様の紹介で君に会わせてもらうよう頼んだんだ。せっかくだから、俺がエシアの記憶をとりもどす治療ができたら、って思ってね」


 アクストの言葉の続きを、レジオールが引き受けて説明してくれる。


「星振で治癒を行う者なら、聖域にもいくらでもいます。けれど記憶に干渉するとなると、かなり微細な調節が必要でしょう。逆に彼のように強い力を持たない者の方が、そういった事は上手いのです。それに知り合いだと聞きましたので、エシア様も安心かと思ったのです」


 それでアクストが呼ばれたようだ。


「さ、早く済ませようか」


 アクストはエシアの傍に膝をつくと、彼女に目を閉じるよう促してくる。

 怖々と、エシアは彼の言う通りにした。


 薄暗くなる視界。

 最初に耳に静かに響いてくるのは、この一ヶ月で聞き慣れたアクストの鼻歌。

 弦楽器を弾いたような、やわらかな星叉環の音色。

 緊張していた気持ちが、次第に落ち着いていく。それを見計らったかのように、アクストが尋ねてくる。


「君のもっとも古い記憶は何だい?」

「三歳ぐらい。お母さんに手を引かれて、島羊の群れを眺めてた……」


 麻色の巻き毛を生やした羊達を、小さい頃のエシアは怖がっていたのを覚えている。村では、島羊を沢山飼っていた。だから小さい頃の記憶には、どこかに島羊の姿がある。


 ぽつり。

 水滴が水面におちて広がるように、脳裏にその光景が閃く。


「ではもう少し新しい記憶へ移動しよう。五歳の頃には何をしていた?」

「五歳。お母さんが死んだ……」


 また一つ、幼い頃の光景が頭の中に広がった。

 悲しくて泣いてばかりいたエシアを、なぐさめてくれたリグリアスの幼い頃の姿。

 思えばこれがきっかけだった。

 自分に良くしてくれた二つ上の彼が、いじめっ子に悩まされていたのを知っていた。けれど優しいリグリアスは相手を傷つける事を嫌がってそのままにしていたから、エシアが代わりに撃退するようになって、それから以前よりも一緒にいるようになったのだ。


「十歳の君はどうしている?」

「島羊に乗って……」


 星振の音に促されるように、先ほどよりもっと鮮明に記憶が蘇る。

 が、島羊に乗って男の子達を追い回していた姿は、気恥ずかしくて言い難かった。


「十四歳の頃、一番思い出に残っていることは?」


 リグリアスが警護官になって、島を去った年だ。

 悲しくて思い出すのが辛いと思ったが、星振の音に引き出されるようにその時の様子が脳裏に再生された。

 灰色の警護官の制服を着たリグリアスは、別れを惜しんでくれた。

 けれどもリグリアスは悲しくなさそうで、普通の友達みたいな別れの言葉を口にしていた。

 こんな時にも何も言ってくれないのは、きっとリグリアスが自分を友達以上には思っていないのだとそう考えたのを覚えている。


「リグリアスが警護官になって、島を出て言った年。私は悲しかったのに、リグリアスはあまり辛そうでもなかった」


 悔しさを思い出して、無意識に自分の本音がこぼれ出る。


「君は今十七歳だ。今年の最初の記憶は?」


 尋ねられて、エシアは父親と春を迎える支度をしたことをすらすらと答える。

 数ヶ月前のことだから、はっきりと覚えていた。

 そこからアクストは一ヶ月ごとに記憶を尋ねていく。つま弾かれるような星振の音に釣られるように、映像となって思い出されるのは主に父との交流だ。


「では四ヶ月前。君は何をしていた?」

「四ヶ月前は、島が……壊れて……」


 迫り来る赤い大地の幻影が、目裏をちらつく。

 落下する感覚を思い出し、エシアは体から血の気が引いた。

 伸ばしてくれたリグリアスの手を握ろうと、無意識に腕を動かしそうになる。

 だけど間に合うとは思えなくて、怖くて。


「そして私……」


 落ちてどうなった?

 救われた?

 流れていく記憶は、一秒一秒を詳細に描いていく。

 空に舞う青銀の鳥。リグリアスの表情が悲痛なものに変わって……。

 怖い、思い出したくない!


「――――っ!」


 叫び声を上げ、エシアは目を開いてしまう。

 険しい表情をするアクストと目が遭い、怖くて体が震えた。

 胸がどきどきとして、落ち着かない。すぐにレジオールが駆け寄って、エシアの手を握ってくれる。


「今日はもうよしましょう。アクスト殿も、明日またということで宜しいですか?」

「ええ、もちろんです。一晩眠って少し落ち着いてからの方がいいでしょう」


 そしてアクストは星叉環を懐に仕舞い、立ち去ろうとする。


「ごめん。思い出すって決めて、せっかく協力して貰ったのに」


 ようやく深呼吸をしてエシアが謝ると、アクストは苦笑いする。


「いいさ気にするなよ。今日聖域に来たばかりなら疲れているだろう? ゆっくり休んで明日もう一度試してみよう」


 優しく申し出てくれるアクストに、エシアは申し訳ないと思いながらもうなずいた。


「うん。ありがとう」


 今度こそ手を振って立ち去ろうとするアクストを、再度留めたのはレジオールだった。


「そういえばアクスト殿。エシア様にとっては辛い思い出のようですので、次は四ヶ月前の記憶を避けることはできませんか?」

「ご要望でしたら、別な手を考えておきます」


 アクストは慇懃に頭を下げてみせた。

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