第22話 聖域へ 2
「出ます。だから聖女は、執政官や星振官の縁者からばかり選ばれるようになったのです。最初は権力欲などではありませんでした。この厳しい選定を市井の人々に説明すれば、尊き聖女の名が貶められることにもなりかねない」
だから身内の、覚悟を決めた者だけが挑む通過儀礼となった。
多くの者が星の核の洗礼を乗り越えることができず、ひっそりと埋葬されてきたのだ。
「シュナ様があんなに体が弱かったのも……」
「星の核を飲み込んだせいです。星の核を飲み込んだ聖女は、ゆるやかに死んでいく。代わりに星の核を自らの星振と共鳴させ、多大な力を発揮できるようになるのです。例えば崩れゆく島を修復できるような」
ひどい、とエシアは言いそうになった。
それを察したかのように、レジオールはふと笑みをこぼす。
「けれど、そうした犠牲がなければこの世界で人は生きていけなくなってしまう」
それにエシアは反論できなかった。
数年に一度は、どこかの島が星振のバランスを崩して壊れてしまう。それを聖女が察知し、修復しに来てくれると信じているからこそ、人々は生きていけるのだ。だから人々は、聖女を神のように崇める。
「聖女不在のこの一ヶ月間、どの島も崩壊しないのは幸いでした。そうなればホーン執政官が推し進めていた新しい聖女の選定を拒否できなかったでしょう。よほど彼は権力が欲しいのか、今回の聖女候補はなんらかの形でホーン執政官の縁がある者ばかりでした」
「そのホーン執政官の縁者の方達は、死ぬかもしれないことを分かっていて、聖女になりたがるの?」
「生まれた時から聖女になるよう言い含められるのです。隔離して育て、聖女になるこそが使命で、聖女になれなければ死ぬのも仕方ないと頭に刻まれるくらいに。そうなったのにも理由があります。かなり昔ですが、聖女候補が逃げる事件が相次ぎました。そして聖女の座が空白になり、島の崩壊も重なって惨事となりました。それ以来、ますます聖女選定は閉鎖的になって、洗脳することが通例となってしまった」
エシアは促されて歩き出しながら、唇を噛む。
「なんて……」
酷いと思う。
けれどそれが世界の存続に必要だというのもわかる。エシアも救われた一人だから。
シュナはどう思ったのだろうとエシアは考えた。
聖女になった後、彼女も真実を知らされただろう。だから死が近づく事を毎日意識していた。
寝込むたびに死を恐れ、自分の死を前提に動く周囲に嫌気がさしていたのだ。
だからこそ、そうではないリグリアスに惹かれた。何も知らないエシアに、嫉妬しながらも心を許していたのだ。その気持ちを思い出すだけで、涙がにじみそうになる。
「まずはあなたの体を治しましょう。こちらへ」
長い廊下を歩き続けた後、レジオールに通されたのは見覚えのある部屋だった。
柱は幹がうねりながら伸びているような木の幹。白い漆喰の壁には、窓のない部屋を照らす蝋燭の炎を反射する、透明な石が埋まっている。
「聖堂近くの、部屋?」
エシアは思わずつぶやく。
「よくおわかりですね。入ったことがあるんですか?」
いつの間に? と問いたげなレジオールの言葉に、エシアは曖昧にうなずく。
シュナの夢で見た部屋と同じだったのだ。違うのはシャンデリアがないことや、そこが誰かの部屋のように椅子や書棚、ソファなどが設えられていることだろう。
そして暗色の固い木でできた大きな机と椅子に座っていた人が、エシアとレジオールを迎えた。
「知らせを聞いて驚きましたが……本当にあなたなのね、エシア」
初老の、藍色に金の縁取りのガウンを着た女性。
肩から斜めに掛けた銀の帯は、星振官長の地位を示していたのだったか。
灰色の髪を結い上げた星振官長フィナリアは、目を細めて微笑んだ。
正直、エシアには彼女との記憶はあまりない。シュナのいる前で、フィナリアとエシアが会話しなかったせいだ。
そんなエシアの戸惑いを感じたのだろう。
「フィナリア様、エシア様は記憶が混乱されていらっしゃるようなのです。聖域を離れる際によほど恐ろしい目に遭われたのか、記憶がとぎれとぎれでいらっしゃるようで」
レジオールの言葉に、フィナリアは顔色を変える。
「辛い思いをされたのね……それに事故で、星の核を飲み込んでしまったとか」
エシアはちらりとレジオールの顔を見る。
嘘をついた男の表情は、ゆらぐこともない。けれど真実を話すわけにもいかなかったのだろう。
「飲み込んだ時よりは、体調がいいんです。けれどまだ熱があって」
それも風邪をひいた程度で今は済んでいる。だからレジオールと並んで歩くことができたわけだが。
「わかりました、治療をさせて頂きます。ただ私の力では、症状を軽減させることぐらいしかできません。それだけは了承して下さい」
フィナリアは症状を聞くと、エシアをソファに座らせた。
そして左手でエシアの右手を握り、自分はその前に膝をつく。
まるで子供の話を聞いてあげる母親のような体勢だ。
それからフィナリアは、右耳にしていた星叉環のイヤリングをはじく。
ふわりと、星振が広がる。
不思議な音だと、エシアは思った。
フィナリアの星振は、二つの音を重ねて鳴らす、音楽の手習いを始めた子供の練習音のような感じだった。それが、どこか郷愁を思わせる。
エシアは自然と目を閉じ、過去に思いを馳せていた。
警護官になりたいと言い始めたリグリアスが、村に住む老人に星振を習い始めた頃。
まずは普通の音楽からだと、笛を渡されて練習させられていた。中指と薬指の動きがなめらかにいかず、度々その二音だけ鳴らしていた。
それをエシアはずっと聞いていた。森から吹いてくる風を、体に感じながら……。
不意に音が途切れた。
「終わりましたわ」
あまり体調に変化があるような気はしなかった。少しすっきりとしたぐらいだろうか。
そんな事を考えながら目を開くと、フィナリアの困惑するような表情が見える。
エシアは嫌な予感がした。まさか星の核の力を押さえられないとか、もうどうしようもないほど症状が進行していると言われてしまうのだろうか。
「何か……問題でもあったんでしょうか?」
恐る恐る尋ねると、フィナリアは首を横に振る。
「いいえ。確かに予定通りの処置を施したのですが……」
言い難そうなフィナリアに、レジオールも片眉を上げる。
「エシア様の体の具合が思わしくないのでしょうか?」
レジオールもエシアと同じ事を考えたようだ。
しかしフィナリアは再び否定する。
「違うのです。不思議なことですけれど、もうこの方の星の核は……もう体の中には小さな欠片しか残っておりません。星振がほとんど感じ取れないほど」
聖女であっても、星の核は死んでからも残り続ける。それほどに星の核の星振は強いのだ。けれどエシアの中に入った星の核は、破壊されたように残っていないのだという。
「そんなことがあるのでしょうか……フィナリア殿」
さすがのレジオールも驚いていた。しかしエシアに一瞬向けられた視線は、安心したというよりも、原因を究明したいという知識欲に溢れている気がした。
「おそらく体調がまだ不安定なのは、星の核によって体が傷ついたせいでしょう。それが回復したら、今残っているわずかな欠片では、それほど体に影響はないと思います」
「では、歴代聖女のように体を壊して死ぬ可能性は低い?」
レジオールの言葉に、フィナリアは力強くうなずいた。
「私も初めてです。でもこれなら……」
フィナリアは嬉しそうに微笑んだ。
「歴代で初めて、ご長命な聖女様になられるかもしれません」
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