第20話 ~*~嘆き 2~*~

「なぜ?」

「あたしは……故郷の最後の生き残りです。リグにとっては、あたし以外に、もうお互いに思い出を語れる人もいない、過去を共有してきた人もない」


 エシアはぎゅっと唇をかみしめて、なにかを堪えるような間をおいてから続けた。


「何もかも失った私が……告白したらどうなりますか。彼は私を『そういう意味で』好きじゃなくても、うなずいてしまうかもしれない。同情と、自分の思い出を傷つけたくなくて」

「そんな……」


 でもそれ以上は、シュナも反論はできなかった。

 エシアの言う通りだと思ってしまったから。


 シュナにも優しいリグリアス。

 相手が困っているならば、こちらが思わず勘違いしたくなるほど、欲しい言葉と笑みをくれる人だ。

 けれど彼も、あの惨禍で家族を亡くしている。最後に残された思い出を追うために、エシアを助けるのにも必死になり、今も彼女を守ろうとしている可能性もなくはないのだ。


 それはシュナにとっては甘い言葉だ。

 彼は誰も好きじゃないかもしれない……。

 だからといって、シュナのことを好きになってくれるかはわからないのだ。

 ただでさえ、死にゆくだけの存在で。幼馴染を危険に巻き込もうとしているような自分は……リグリアスを困らせているだけだろう。


「でも、本当に貴女を好きだったら?」

「それを、どこで見分けたらいいんですか?」


 エシアの言葉に、シュナは押し黙るしかなかった。

 リグリアスが同情心から勘違いした恋心だと気づいていないのなら、見分けなどつくはずがない。

 本人に尋ねても、否定の言葉が返ってくるだけだろう。


「そしてもし、リグリアスが私を好きじゃなかったら……。昔の思い出に傷をつけてしまう事になります。お互いしか昔を思い出せる物がないのに。そんなことで、彼に悩んで欲しくない。迷惑をかけたくないんです。あたしも、幼馴染だけでも失いたくない……」


 だから言えないと、エシアは再び唇を噛みしめた。


 シュナは彼女を見つめながら、そうか、と思った。

 彼女は自分とある意味同じなのだ。

 シュナもまた、リグリアスを傷つけないように告白することを戒めている。誰かに聞かれて、聖女の夫の座を脅かす相手としてリグリアスが害されないようにと。


「それでもリグリアスの傍に居られるのは、シュナ様が助けてくださったおかげです。だから、お守りします。あたしじゃ頼りないかもしれないけれど、安心してお休みになってください」


 顔をあげ、目の端に滲んだ涙をぐいと拭ったエシアの言葉に、シュナははっとする。

 最初に会った時、助けてくれたのはシュナだからと言ったエシア。その言葉には、こんな意味も込められていたのだ。


 同情心と同時に、シュナの中にぐるぐると渦巻く思いが生まれる。

 ――こんな健気な人には勝てない。

 自分は立場と権力を使って、リグリアスを引き留めた人間だ。

 死を目前にして、すがるものを探して、狙われている自分を守るために好きになった人を戦わせ、危険な目にばかり遭わせている。


 酷い女だ。

 誰にとってもいい事なんてしていない。


 でも、と呻きたい思いを、シュナは歯を食いしばって堪えた。

 自分が死んでしまったら、きっとこの二人はなにもかも忘れ去って、そして幸せに寄り添うのかもしれない。

 たとえ間にあるのが同情であったとしても、エシアは幸せだろう。


 想像するだけで、嫉妬で心がはち切れそうだ。

 そこでふと、エシアが目を見開いた。


「まさかシュナ様。シュナ様も……」


 おそらくエシアは、シュナもリグリアスが好きなのかと問おうとしたのだと思う。

 けれどその言葉を聞く前に、乱暴に扉が開け放たれ、藍色の衣に緋色の肩掛けをした者達がなだれ込んできた。


「何っ!?」


 驚いてシュナは寝台から起き上がる。めまいがしたが、それに構っている場合ではない。エシアも立ち上がり、シュナを背後に庇ってくれた。


「進言しに参りました、聖女様」


 先頭に立つ男をシュナはよく知っていた。禿頭に藍色の帽子を被った、膨らんだ豆のような体型をした壮年の男。執政官ホーンだ。

 ホーンは青い眼を細めてシュナを見下ろしてくる。


「何? 誰に断って私の部屋に入ってきたの!?」


 部屋の前にも見張りの警護官や侍女達だっていたはず。それにシュナは、レジオールが自分達騎士やフィナリアの許可の無い者を通さないようにと言い置いているのを知っている。


(ならば無理に押し通ったということだ。その理由は一つしかない)


 悠長にシュナが死ぬまで待つのを止めたのだ。

 とうとうこの時が来たのかと、シュナは緊張に喉が渇いた。

 ホーンが笑いを堪えるような口調で言う。


「お気づきにならないのですか? あなたの星振の乱れに」

「乱れ?」


 シュナは首をかしげた。


「聖域の端が崩れているのはお聞き及びのことでしょう。でも今回は、あなたが寝込むのと同時に始まった。そして星振の乱れが止まらず、崩壊は一向に収まらない。あなたの騎士ですら太刀打ちできないのです。彼らが武器とする、あなたの星振自体が乱れて……制御できずにいるのですよ」

「なっ……」


 シュナは思わず自分の手を見る。

 そして心を研ぎ澄ませてみるが、自分の星振については、微弱さしか感じとれない。いや、多少揺らぎがあるのはわかる。

 けれどホーンの言う通りなわけがない。彼は自分を騙そうとしているのだ。


「そんなわけないわ! 多少弱っているかもしれないけれど」

「貴女の能力が落ちているからでしょう、シュナ様。現場にいる星振官や警護官達は皆、目の前で騎士が島を救えない様を目の当たりにした。既に皆が口々にささやき始めているのですよ。次の聖女も選ばずにいる貴女のせいで、聖域が崩壊してしまうと」


 ニヤリと口元をゆがめたホーンに、シュナは叫んだ。


「嘘をつかないで!」


 シュナは己の中から星振を湧き上がらせた。ホーンと彼の背後に立つ執政官や星振官達に向かって、なげつけようとしたのだ。

 しかしそれは叶わなかった。


「――――っ」


 シュナはめまいに一瞬目を閉じた。それと同時に星振を生み出す千の鈴音がたわんだ。

 崩れた星振は吹き付ける風となって部屋の中を駆け巡る。

 ただそれだけで、誰一人傷つけることなく、髪や服を揺らしただけだった。


「そんな馬鹿な……」


 星振を思ったように扱えない。

 目を見開くシュナに、ホーンは勝ち誇った表情をする。


「この事態を収めるためには、新しい聖女が必要です。心配はございませんよシュナ様。私どもの娘が、代わりにこの世界を保つため身を投げ出すでしょう」


 ここで自分の生は終わりなのか、とシュナは唇を噛みしめる。

 親の言う事に疑問を持たずに聖女になり、その後は死ぬ日を数えるばかり。恋も片思いで終わって……一体自分は何だったのだろう。


 泣いてしまいそうだった。

 いますぐうずくまって泣きじゃくり、そして泣き止むより先にホーンに殺されてしまうのだ。

 絶望にさいなまれたシュナの目から涙が流れそうになった時、それを止めたのは、シュナとホーンの間に立ちふさがったエシアだった。


「シュナ様はあたしが殺させません!」


 堂々と言いはなった。

 けれど、彼女も剣を向けられた経験が少ないからだろう。怖いのか、足や腕が震えている。第一彼女には戦う力も剣もない。反抗すれば死しかありえない状況なのだ。


 恋敵。

 だけど自分自身でさえ諦めかけた命を、最後の最後まで見捨てないでいてくれる人。

 シュナは歯を食いしばってエシアに背後から抱きついた。


「シュナ様!?」


 驚く彼女に返事もせず、シュナは自分の指輪に向かってありったけの星振を込めた。気合いを入れ、揺らがないように一瞬の力でそれを呼び出す。

 目の前が青銀の羽で覆われる。


「星振鳥!」


 ホーン達の叫びと共に、シュナは命じた。


「蹴散らしなさい!」


 星振鳥は体を震わせ、ホーン達を風圧でなぎ払う。不意を突かれた彼らは、部屋の壁に叩きつけられてうめき声をあげた。

 そして星振鳥はエシアとシュナを乗せ、大きな掃き出し窓を押し開いて空へ飛び出した。


 けれどそんなに長くは保たない。

 曇り空へ飛び立った鳥は、ゆっくりと降下し、森の中に着地すると姿を消した。シュナとエシアの体が地面になげだされる。


 そして指輪にはまっていた透明な石が、かちりと硬い音をたてて砕けた。

 指輪の宝石はただの飾りだ。星振を受け入れやすい素材の石ではない。鳥を形づくるほどの星振の強さに耐えられなかったのだろう。

 そして自分も。


「シュナ様っ!」


 倒れたまま起き上がれないシュナを、エシアが揺さぶってくる。

 とりあえず彼女が無事だとわかったので、シュナはほっと息をついた。

 エシアが自分のせいで殺されたら、きっとリグリアスに最低な女だと思われる。


 それだけは嫌だったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る