第18話 決意

 一晩の航海を経て、エシア達は小さな島へ到着した。

 そこで別な船に乗り換えることにした。今まで乗っていた船も聖域行きのものだったが、同じ船にいては、すぐにレジオール達に見つかってしまうからだ。


 軽い風邪と同じくらいには体調が回復したエシアは、リグリアスに連れられて、霧の打ち寄せる港を歩いた。

 聖域行きの船は多い。

 世界中に数十は存在しているある島々に、毎日何便か到着する。それは各島で作れる産物を運搬するついでに、人を運ぶからだ。

 遙か昔は、広大な大地で大量の作物を作ることができたらしい。けれど今は、大規模な耕作ができる島は限られる。湖の多い島や、山ばかりの島もあるからだ。そういった場所との間を、食料を積んで行き来するのが船の航行する主目的だ。そして聖域は作物が育ちにくい。なので、各島を巡った上で自給自足が難しい聖域へ運んだ方が利益が大きいのだ。


 リグリアスは多くの船の中から、最も早く聖域に着くものを探していた。

 まだ本調子ではないので、一緒に歩いていたエシアはすぐ息があがってしまう。彼についていくことだけを考えながら歩いていたら、突然、エシアの手をリグリアスが握った。


「え?」

「走れ。追っ手だ」


 逃げなければと、リグリアスに引っ張られるまま走り出した。

 見れば周囲に、船員や様々な服装の渡航客の間に、あの灰色の制服が見え隠れしている。

 レジオール達だ。

 急がなければと足を速めようとする。しかし病み上がりのエシアは、限界がくるのも早かった。息継ぎするのも苦しく、足が震えて来たところでリグリアスがエシアを抱き上げようとした。が、


「無駄ですよリグリアス」


 この数日で聞き慣れた、レジオールの声。

 周囲を囲む灰色の制服姿は十人ほど。そして真正面に、濃紺の外套を翻すレジオールがいた。

 何事かとざわめく渡航客を、警護官達が遠ざける。

 リグリアスはエシアを左手で抱えたまま、剣を抜こうとしたが――――。


「やめておいた方がいいですよリグリアス。ここで星振を使って戦えば、周囲の人々も無事では済まない」


 それに、とレジオールは付け加える。


「今はあなたと争うつもりはありません」


 そう言いながら、レジオールは剣も抜かずに一歩進んでくる。

 リグリアスもエシアも、無意識に一歩退いた。

 しかしレジオールはふと微笑みを浮べ、そこに膝をついたのだ。


「……え?」


 いきなりの豹変に、エシアは自分の目を疑う。

 今まで殺そうとした相手に膝をついてきたのだ。問答無用で刺されるだろうと思っていたエシアにはそれだけで充分衝撃的だった。

 そんなエシアを見上げ、レジオールは言った。


「聖域へ私と一緒にお越し下さいませ、次代聖女様」


 聖女シュナの騎士だったレジオールが、そう言ってエシアに手を差し伸べる。

 エシアは悪い夢を見ているのだと思った。彼が膝をつくのは聖女シュナにだけだった。そんなことをされたら、自分はやはりシュナなのではないかと思えてきて怖い。

 一方で、これは自分の待っていた機会だと思った。

 もしレジオールが、夢で見たとおりの人ならば……エシアを聖女と認めるならば、望めば何でも叶えてくれる。

 エシアの隣でリグリアスは息を飲んだ。


「レジオール……なぜ」

「気づかないわけがないでしょう、あの力、妙なる星振の響きに」


 そしてレジオールは目を細めてリグリアスを見つめる。


「あなたは聖女誘拐の罪人を隠していたわけではなかったのですね、リグリアス。聖女を隠していたのは、あなただ」


 ゆっくりと立ち上がったレジオールは、リグリアスを指さす。


「この男を捕縛せよ。聖女様には手を触れるな」


 警護官達は一斉に剣を抜き、リグリアスに向けた。このままではリグリアスが殺されてしまう。慌てながらエシアは止めようとした。


「ま、まって! あたしが聖女だっていうのは本当に?」


 レジオールは、昨日の酷薄さが嘘だったかのような笑顔を向けてくる。


「もちろんです。お力を見せて頂くまで気づかなかったのは、私の不徳とするところです」

「なら、聖女ならリグリアスの罪を無かったことにできる? だってあたしのことに貴方が気づかなかった間、守ってくれたのはリグリアスだもの。じゃなければ、あたしは貴方に殺されてたわ!」


 聖女の命令なら、聞いてくれないだろうか。

 じっとレジオールを睨み付けていると、彼はふっと小さく笑いを漏らす。


「宜しいでしょう。リグリアスがあなたをお守りするために聖域から連れ出したとすれば、三日の禁固ぐらいで済むかもしれません。そのためにも――――」


 レジオールが再び手を差し出す。


「貴女に聖域へいらして頂かなければ。聖女として」


 大人しく聖女としてついてくるのなら、要求を飲もうと言っているのだ。

 エシアは一呼吸おいて、レジオールの手を掴んだ。


「エシア!? だめだ、聖女なんかになっては……」


 信じられないと目を見開くリグリアスに、エシアは微笑んで見せる。


「ねぇ、ずっと昔は、あたしがリグのことを守ってあげたこともあったよね」


 突然何の話をするのだと思ったのだろう。リグリアスの顔に戸惑いの色が浮かぶ。


「今まで守ってくれてありがとう。だから今度は、あたしが貴方を守らせて。こうすれば、あなたが追われることはなくなるんだもの。……それにシュナ様のこと、少し思い出してきてるの」

 

 リグリアスが息を飲む。

 やはり彼は何かを知っているのだ、とエシアは確信する。

 エシアが覚えていないことの中に、シュナに関する謎の回答が隠されているのだ。


「だめだエシア……思い出さない方がいいんだ」

「でもあたしは思い出さなくちゃいけない。何度もシュナ様の記憶を見るの。だけど自分の記憶がないのよ。このままじゃ自分が誰なのかわからなくて、怖い。だからっ」


 言い切ると、リグリアスは言葉を失ったように黙り込む。


「聖域へ行って思い出したい。でなければ、貴方が知っている事を教えて」


 守られていては、おそらく思い出すことはできない。

 そしてレジオールならば、聖女として力を自由に使えるようになるためだと言えば、協力してくれるだろう。彼にとって重要なのは、聖女がいることなのだから。

 レジオールのことはまだ怖い。

 だけど自分が聖女であるならば殺さず、従ってくれるだろう事だけは信じられる。


 うつむいたリグリアスは、何も言わない。

 言えないのか、言い難いのか。

 それでもエシアは彼を責めようとは思わなかった。

 リグリアスは自分を守ろうとして、そう行動しているのだとわかっている。

 やがてぽつりと呟くようにリグリアスは言った。


「止めても、無駄なんだな……。確かにお前は昔から頑固だった」


 うなずくのが辛かった。今でさえこの決定が正しいかなんてわからない。

 リグリアスとの話を断ち切ったのは、レジオールだった。


「さ、話がついたのなら急いで聖域へ行きましょう。飲み込んだ星の核のことも、なんとか処置をしなければなりませんからね」

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