過去に眠る疑惑

第16話 置物と記憶

 目を覚ますと、見知らぬ部屋にいた。

 時折小さく揺れるので船の中だろう。そしてきちんとした白いシーツの寝台に毛布を掛けられていた。

 あの後、聖域府の船が沈んだのを見た後から、エシアは記憶がとぎれている。ほっとして倒れてしまったのだろう。

 それでリグリアスが部屋を手配してくれたのに違いない。


 起き上がったエシアは、卓上の置物に目を止めた。

 珍妙な形をした星樹の置物。ひょうきんなその姿に、思わず笑ってしまう。


「こんな物があったから、うっかり変な夢見たのかな……」


 触れて、表面に指をすべらせる。なめらかな指触りが心地よい。

 リグリアスに貰った時はそんなことにも気付かなかった。妙な愛着が湧いたのは、やはりあの変な夢を見たせいだろう。


 けれど、と思わず笑ってしまう。

 自分が本当にあんなことをしていたとしたら、さぞかし聖女は迷惑だっただろう。でも楽しかった。だからか、この置物も可愛く見えてきて……「だ、だめだめっ」と自制する。

 なによりレジオールがそこに加わっていたのがなんとも恐ろしい。あれほどエシアに冷たく、容赦のない人と夢の中とはいえ仲良くしていたなど、一瞬でも信じられない。


 そこでふと、エシアは首をかしげた。

 この置物を、なぜリグリアスは土産としてエシアに贈ったのだろう。

 今までにも何度か、リグリアスからは物を貰っている。彼が聖域で仕事をするようになった後、実家へ物を送る時に、皆と同じ物とはいえ隣の家のエシア一家にもくれていたのだ。

 けれど星樹の光を閉じ込めたという青い小壜や、細くて繊細な細工の腕輪、もしくは食べ物など、常識的な範囲の代物ばかりだった。

 昔のリグリアスも、特に置物が好きだったわけでもない。


「まさか……ね」


 先ほど見た夢が本当にあったことだとしたら?

 それを覚えていたリグリアスが、エシアが気に入っていたことを思い出して、土産にしたのなら、あの謎の行動もうなずける。つじつまが合いすぎる。

 けれどそんなことはありえないのだ。


「願望が見せた夢なんだから」


 でなければ、自分が聖女シュナになった夢など見るわけがない。助けてはくれるがどこか素っ気ないリグリアスの、大切にしていただろう人になりかわりたいだけ。

 何よりも自分が聖女を誘拐し殺したなんて信じたくないから、聖女とシュナが仲良くしている幻想を抱きたいだけ。

 そのはずだ。


「そういえば、リグリアスどこに行ったのかな」


 つぶやいたエシアは、意識を失う直前のことを思い出す。

 祈ってくれと言われた。

 意識が遠のいて、自分ではない人間が何かを応えた瞬間、とてつもない星振が巻き起こったのだ。

 そのことを思い出すと、ざわりと鳥肌がたった。


「……こわい」


 自分が自分じゃなくなるような。そんな恐怖。

 考え続けるのが嫌で、エシアは首を横に振って打ち払った。そして部屋を出る。


 エシアがいたのは、船内の海面下の部屋だったようだ。中央に伸びる廊下の左右に扉が並んでいて、奥に上へ登る階段が見える。

「外かな?」

 船に乗ったら、部屋の中にいても窓から景色を楽しめるわけではない。見えるのは真っ白な霧だけだからだ。息抜きをするなら、甲板上だろう。

 廊下を進み、階段を上る。

 星の核という毒を飲み込んだり、自白剤を飲まされたりとさんざんな目に遭ったわりに、体は軽かった。

 青灰色の重たい木戸を開けると、目の前に青灰色の甲板と白い霧海が広がった。

 思わず景色の広さに見入ってしまったエシアは「おや」という声に横を向く。


 そこにいたのは、大柄な老人だった。

 刈り込まれた白い髪。口髭も白い。

 衣服が濃紺の長衣でなければ、白い霧海の景色に溶け込んでみえたかもしれない。

 老人は欄干に近い木箱の上に座っていた。背は、甲板上部に造られた船室部の壁にもたれている。


「貴女は聖女様ですかな?」

「えっ!?」


 老人の台詞に、エシアは驚く。

 自分が聖女と間違われるなどおこがましい。その上自分は、聖女を誘拐したとして追われる身なのだ。


「そそそ、そんなことあるわけ無いじゃないですか!」

「はて……。出港時にあなたの傍にいたお人は騎士ではないですかな? 何らかの理由があって聖域を飛び出して、聖域府の人間に追われていたのでは? いや、それですと聖域府の者達の使った術がちと乱暴すぎますかな……」

「な、何でリグリアスが騎士だってわかるんです?」


 驚いて尋ねると、老人はその問いこそ意味がわからないと首をかしげる。


「騎士は聖女の星振を操ることができます。そうして聖女を補佐する者ですからな」

「あのっ、あれは別に私の力じゃないんです」


 エシアは祈っただけだ。それが何らかの助けになったとしても、あとの力は聖女の騎士であるリグリアスのもののはず。

 けれど老人は納得できない様子だった。


「しかしあれは聖女の星振……おお、そうだ」


 老人は隣に置いていた大きな袋の中から、一冊の綴本をとりだす。ちらりとのぞけば、中には様々な人の姿絵が収められている。

 やがて老人の手が止まる。次のページからは男性の姿絵が続いていた。そして絵が描かれた少女の絵に、エシアは息を飲む。


「うーん、似ておらん。やはり違うのか。では次代の聖女様かの?」


 エシアは返事ができなかった。

 唇が震える。

 なぜなら、そこに描かれていたのは、何度か夢の中で鏡に映っていた聖女シュナの姿そのものだったからだ。

 彩色こそされていないが、間違いない。緩く波打つ長い髪も、睫毛に囲まれた大きな瞳も、滑らかな顔の輪郭も全て夢と同じだった。


「シュナ様……」


 どうして、と呟こうとしたが、声は掠れて音にならなかった。

 あれは夢ではなかったのか?

 なぜ自分は彼女の顔を知っているのか?

 無くした記憶を、夢で再生しているだけなのか?

 それならどうして『エシア』として過去を夢に見ないのだろう。疑問がぐるぐると頭の中を回り続ける。

 エシアのつぶやきに、老人は笑う。


「おお、確かにこの方はシュナ様とおっしゃるのですな。それがわかるということは、貴女は聖女候補ですかな?」


 エシアは首を横に振りながら尋ねた。


「あの、その姿絵の綴られた本は何ですか?」

「これは聖域府の人間が聖女様のお顔を見間違えないよう、配られる絵姿ですよ。それを個人的に綴っていたのです。昔聖域府におりました頃からの持ち物ですな」


 では、本当にこれは聖女シュナその人の姿絵なのだ。

 呆然とするエシアに、背後から声が掛けられた。


「エシア、そんなところにいたのか」


 リグリアスは甲板から降りる扉を隔て、老人やエシアとは反対側の角から顔をだしていた。


「おお、聖女の騎士様ですな」


 老人の声にはっとエシアは思う。そうだ、確かめる方法はまだある。

 エシアはリグリアスに駆け寄って尋ねた。


「あの、今そこにいるおじいさんから聞いたの。聖女の騎士の叙任式って、星樹のある大広間で行われるって。そこで青銀の星振鳥を受け渡されるんだって……本当?」


 違うと言って欲しい。

 最初に見たあの変な夢の中にはエシアはいなかった。だから、あれはエシアとしての記憶ではなく、自分が願望で創り出した物である可能性が高い。

 そうでなければいけないとエシアは焦った。

 でなければ、自分は一体――――何なのだろう。

 エシアとして覚えているはずのない事を、知っている自分は。

 けれどリグリアスの答えは意に反して、


「よくご存じの方だ。もしかして聖域府にいた人なのか?」


 肯定された。

 エシアは足元から何かがくずれ落ちるような感覚に襲われる。


 自分の記憶が、どこかおかしい。


 自分はルヴェイエ島の端にある、小さな村で生まれて。

 隣にはリグリアスが住んでいて、三軒隣の男の子とはよくケンカをした。その頃はまだひ弱だったはずのリグリアスが、エシアより先に殴りかかった事も覚えてる。

 母を亡くして、リグリアスに宥められた日のことも。

 だけど聖域で過ごした『エシア』としての記憶だけがない。代わりに……別な人の記憶がこの頭の中に残っている。どうして?


「エシア!」


 いつのまにか力が抜けて、甲板に膝をついていた。

 頭をぶつけずに済んだのは、リグリアスが抱き留めてくれたからだ。


「おお、お嬢さんは体調をくずしていたのかね?」


 老人の慌てる声に、リグリアスが何かを返している。耳が遠くなったように、上手くききとれない。

 それからリグリアスに抱き上げられて、元の船室に戻ったようだった。

 靄がかかったような意識の中、リグリアスの苦しそうな声が聞こえる。


「思い出すな、思い出さないでくれ……」


 なぜそんな事を願うの、とエシアは思う。私が忘れた事の中に、一体何があるのだろう。

 ただかすかに、どこからか声が聞こえた気がした。 



 ――お願い思い出して、と。

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