第15話 ~*~光の記憶~*~
「聖女候補の方は、そんな小さな頃から聖域にいるんですか!」
ある日のこと。
十三の時から聖域で暮らしているとシュナが話せば、エシアは素直に驚いて目を丸くしていた。
持っていた白磁のティーカップからお茶をこぼしそうになって、慌てるほど。
聖域の他の人々からはそんな反応を貰ったことはない。
だからシュナにはとても新鮮に見えたし、快感でもあった。
エシアと話していると、そういう瞬間が増えていく。
嫉妬のことなど頭から飛び、とにかくエシアに知ってることを説明したくなってしまうのだ。
心の中で時折、そういうところをリグリアスも好きになったのかもしれない……と思ってしまうけれど。
「俗世に触れさせたくないというか……。言われるがまま、退屈な生活を送る事に疑問を持たないようにしたかったのでしょうね」
聖女候補の少女達は皆、外と余り接触しないように育てられる。
事が起きた時以外は、単調な聖女の勤めを果たすことに倦んでしまわないように。守りやすいよう、一カ所にじっとしているようにするためだ。
全てはなるべく長く、聖女を輩出した家に権力を留めるため。
本人の体力や病気以外で、聖女がすぐに死んでしまわないように維持するための方法なのだ。
「シュナ様……それはちょっと、スレ過ぎていませんか? 聖女は得難い資質を持つお方です。ですから聖域で神聖さを保って頂きたいと、早いうちからお招きしているのですよ」
レジオールが苦笑いした。彼の思う聖女像とはずれているからだろう。
実際何も知らなかった頃のシュナは、慎ましくするのも聖女の役目だと信じていたのだ。
「でも、こんなものが送りつけられる毎日を送っていては、多少スレたことを言いたくなってもおかしくないのではない?」
シュナが指さしたそこには、バラバラになった硝子ポットの残骸があった。
朱や緑の彩色は黒い色に煤けて、周囲には中に入っていたとおぼしき蜂蜜色の飴が転がっている。白い壁も薄汚れてしまっていた。
元は薔薇の彩色が施された硝子の容器に入った、贈り物のお菓子として持ち込まれた物だ。
けれどレジオールに箱を開けさせたとたんに、爆発した。
死ぬかどうかはわからないようなものだったけど、怪我をして、少しでも早く死んでしまえと思われていたに違いない。
「最近、聖女に対する不心得者が減らないのは、本当に嘆かわしい事です」
この状況が日常茶飯事なことについては、レジオールも反論できない。
聖女に忠実な彼は、この事態を真剣に憂えていた。
「でもシュナ様がご無事でなによりでした」
微笑むリグリアスに、シュナも笑みを返した。
エシアを『話し相手』として呼ぶようになってひと月が過ぎた。体調が不安定なため、数日に一度彼女と会うのがシュナの日常になりつつある。
レジオールが一緒に円形の白いテーブルについているのも、最初は得たいの知れないエシアを、大事な聖女に近づけることを警戒して同席したのが始まりだった。
今ではエシアがシュナを害する気もないと分かったのか、常に同席するようなこともなくなっていた。
当然だ。
エシアはシュナに近づこうとして話し相手に選ばれたわけではない。
シュナがそうなるように仕向けたのだから。
ただ、最初はシュナも不安だった。
エシアからリグリアスの話を聞きたいとは思うが、もし話しにくい人だったら、雰囲気を感じたレジオールがさりげなく遠ざけてしまう可能性もあった。
けれどエシアはとても聞き上手で、ほどよくシュナを持ち上げてくれるので助かっている。
そこにリグリアスも同席するようになり、長くシュナの側に居てくれるようになった。
彼が側にいることは、素直に嬉しい。
……だから悪い娘ではないのだ、とシュナは思う。
エシアは求められればリグリアスとお互いに補完しあいながら、シュナの聞きたい彼女の思い出話を語ってくれる。
リグリアスの過去や、彼と親しくなるために必要な、リグリアスの好みや嫌いなものを知ることが出来た。
けれど一方で、仲良く会話する二人の姿に嫉妬心を刺激されることもある。
(この二人は、別に恋人同士ではないのに……)
シュナの目から見ても、エシアはリグリアスのことを想っているのがわかる。
当然だろう。
リグリアスは姿も良い上、優しい。最初に思った通りの誠実な人柄で、信頼できる人だ。
けれどエシアは彼に想いを打ち明けてはいないようだ。
リグリアスもあれだけ必死に彼女を助け、大事に抱えて戻ってきた姿を見せていたにもかかわらず、何も言っていないらしい。
だから恋人同士にはなっていないらしいのだけど。
(まさか、リグリアスは誰にでも『そう』なんだろうか)
友人と認めた人全てに、同じだけ全力を尽くすような人なのだとしたら。エシアが告白に足踏みするのも納得できる。
(でもそれって、私に優しくしてくれたって、リグリアスは別に想いを寄せてくれてるわけじゃないっ……てことにもなるのよね)
シュナにとって、それは良いことなのか悪いことなのだろうか。
恋敵の想いが成就しないならば嫉妬心は満足する。けれど、自分も同じ状態になる怖れがあるのはあまり嬉しくない。
――できれば、自分に恋心を持ってほしいと願っているのに。
そんなことを考えていたシュナの前に、レジオールが木彫りの置物を差し出した。
「こちらの贈り物は大丈夫だと思いますよ」
話している間も、贈り物を確認していたようだ。
掌に乗るほどの小さな置物だ。樹を象っているらしいが、枝が人の手の形をしている所がすでに不気味だ。
しかも木の幹に、中年の赤ら顔の男性を想像するような鷲鼻でまぶたの重そうな顔が彫り込まれているのだ。
可愛くない。
「何? これ」
口元がひきつるシュナに、レジオールは満面の笑みを浮べて説明した。
「今評判の芸術家ヴィルカラの手による星樹の像ですよ」
「星樹っ!?」
シュナと共に、リグリアスとエシアも驚いている。
当然だろう。星樹は聖域を支える神聖な樹。それが不気味な姿で表現されているのだ。
聖域で星樹を見た者なら、誰しも「はぁ!?」というような代物だ。
「この枝葉は島をささえる星樹の力を現すため人の手の形をしているそうです。港で手に入れた物なのですが、実に聖女らしい持ち物ではありませんか」
レジオールは自信満々に言うが、シュナはとてもうなずけなかった。
「可愛くない。どうして私がこれを貰って喜ぶと思ったのよ」
「星樹ですよ! 聖女の象徴でもあるのです。どうです。だんだん神聖な雰囲気を感じませんか?」
「強いて言えば……なんか良く燃えそう」
呆れたあまり、つい物騒な発言が口から飛び出してしまう。シュナは聖女らしくないとレジオールにとがめられるかとおもったが、
「もえる? もえるんですかシュナ様!?」
なぜかエシアが目を輝かせる。
「え、だから燃えやすそうって」
シュナが繰り返すと、エシアは納得したようにうなずいた。
エシアが恐ろしい聞き間違いの末、勘違いをしているとわかったのは一週間後だ。
「シュナ様! いっぱいもってきましたよ! ちゃんと危なくないかレジオール様に確認していただいたので大丈夫です! さあ萌えてください!」
喜色満面でエシアがテーブル一杯に置いたのは……あの不気味な星樹の置物だった。
「はぁっ!? なんで!」
シュナは聖女らしからぬ叫び声を上げた。
この間の一体だって、レジオールの目を盗んで処分するのは大変だったのだ。ようやく不気味な置物を始末したと思ったら、ねずみの子のように増殖して戻って来た。驚きもするだろう。
しかしエシアは目をしばたたかせて首を傾げる。
「でもシュナ様【萌える】とおっしゃってたので。こういったデザインがお好きなのかなと。それに慣れるとこう、愛着がわいてきますね!」
そう言ってエシアは置物を一つ手にとり、抱きしめてみせる。
シュナは呻きそうになった。
一瞬だけ、シュナを恋敵だと察知しての嫌がらせかと思ったが違う。この娘は本気だ!
むしろエシア自身がこれを気に入っているのではないだろうか? まさかエシアって趣味が悪い人なの!?
「ちょっ、悪いこと言わないからそんな趣味の悪いものは……」
押しとどめようとする言葉を途切れさせたのは、部屋に待機していたリグリアスだ。
「お前こういうのが好みだったのか? 確かに昔は人形を集めてたが」
静かに尋ねた彼に、エシアが元気よくうなずいた。
「最初は変だと思ったんだけど、じーっと見てると可愛く思えてきたみたい」
「なら、他にも集めてやろうか」
「うんありがとう!」
リグリアスが恐ろしい申し出をしながら、頬を緩める。
シュナは仲良く二人が微笑み合う姿に、嫉妬心と恐怖を同時に感じた。
このままではリグリアスまでおかしな趣味に染まってしまう!
「だから不気味だってば!」
思いとどまってと願い、声を荒げる。
「いいえシュナ様。神とは太古より優しくありながらも畏怖を与える存在。時には人にとって不可解な姿をとることもあるといいます。そんなところも神々しいではありませんか」
レジオールも一つ持ち上げて見つめ、変な持論を展開しはじめる。やはりこの人は敵だ!
あげくエシアがそこに加わった。
「なんかこれ見てると星樹が身近に感じられますよね」
「でしょう! ではぜひこれを広める許可を聖女様!」
「私の名前を使わないで! 私の感性に対する侮辱だわ!」
「そんなことはありませんよシュナ様。聖女様に崇敬を感じる逸品だと思います」
エシアとレジオールが、同時にそう言い切った。
「却下よ却下!」
さんざんな思い出だった。
けれど後から思い返してみれば、この時が一番騒がしくて楽しくて……幸せだったのかもしれない。
そうシュナは思って……。
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