第11話 ~*~出会い 1~*~

 シュナはその日、久しぶりに体が軽い、と感じた。寒気もしない。

 最近熱が下がってばかりの体は、いつもより暖かい気がした。


 だからシュナは思い切って掛布の中から出た。

 暖かな空気に満たされた寝具がなくなると、白い寝間着だけしか着ていないシュナはさすがに身震いした。

 他の島よりずっと高い位置にある聖域は、秋にさしかかったこの頃にはもう寒くなりはじめる。

 熱が下がり気味ではなかったとしても、涼しすぎると感じる気温だ。


 シュナは寝台脇の卓上にあるベルを鳴らす。

 すると侍女達が、着替えをさせてくれた。

 なるべく暖かく軽い衣服が選ばれていたけれど、部屋着程度の軽い装いだったので、シュナは厚手のガウンを足すように言いつけた。


「今日はお顔の色もようございますね」


 様子を見に来た星振官長フィナリアは、口元の皺を深めて微笑んだ。

 彼女はシュナが十三で聖女になって以来、ずっと教え導いてくれた師でもある。


 五年も傍にいたフィナリアは、めったに両親には会えないシュナにとって、第二の母のような人だ。

 シュナも老婦人に微笑み返す。


「なんだか今日は体調がいいの。でも食事は部屋でいいかしら」

「聖女様のお気に召しますように。すぐに朝食を用意させます」


 病み上がりのシュナのため、スープなどの消化によさそうな物ばかりが出された。

 それを全部食べて侍女達を安心させたシュナは、しばらく本を読んで過ごすと言って一人になり――久しぶりに人目を盗んで抜け出した。


 履いていたのは柔らかな布靴だったが、地面は乾燥していて濡れることはなかったし、時折風に吹かれて舞い落ちてくる朽ち葉すら、楽しげに見える。


 一人歩きは気分が良かった。

 とにかく人目がないことだけで、シュナの心は随分と軽くなる。

 リグリアスの承認の儀式以来、シュナ体調を崩してばかりで、ずっと誰かに見守られていたから。確かに寂しくはなかったし、気遣いは素直に嬉しい。


 だけどそれだけではない。

 侍女や召使い達の中には、自分の実家からいつシュナが死ぬのかを観察するように差し向けられた者もいる。

 自分の親族が聖女として選ばれるように、有利になる言葉を主なから引き出したい者も、有利になる方法を調べるように言われている者だっている。

 そんな目にさらされ続けるのは、気疲れするのだ。


 なにより、ゆっくりと考えたかった。新しく承認した騎士のことを。


「まずは故郷を助けられなかったこと、謝らないと……」


 リグリアスの故郷である島が壊れたのは、どうしようもないことだった。聖女であっても、島が形を維持できなくなることを予見することなどできないのだけど。


 駆けつけた後、修復する事はできる。

 既にレジオールから説明されているかもしれないが、シュナの力不足でそれすら行えなかった事を、まず彼に謝らなければ。


 聖女の騎士となった彼には、シュナの力が失われつつあることをも理解してもらわなければならない。

 そのために派生する、聖女の騎士の仕事についても。


 気が沈むような説明のはずだ。

 でも彼に会うのだと思うと、気持ちが浮き立つ。


 シュナはふと周囲を見回す。

 そして一度目を閉じ、自分の周囲に満ちる星振を感じ取ろうとした。

 傍に立つ木立の一本一本。草や花、そして島からも発する微かな音の波が、柔らかな合奏のように聞こえる。


 目を開いてふっと息をつく。

 不審者はいないようだ。腐っても聖女と認められる力を持つシュナには、周囲に人がいればすぐに感じ取れる。こういうことだけは、聖女である利点だと思う。


 寝込んでいる間はいい。

 放っておけば死ぬかもしれないと期待して、手控えるだろうから。


 シュナの後釜として、娘を聖女にすることで利権を得たい者は両手の数以上いる。しかも力を失い始めた聖女ならば守りも緩く、始末しやすいと考えるらしいのだ。


「どうせ、そのうち死ぬのに……」


 早く死なせたって、たいして変わらないはずなのに。

 シュナは自分が緩慢な死に向かっていることを知っている。己の体だ。日々いう事を聞かなくなっている事を、痛いほど感じていた。


 こんな自分をリグリアスは、守って……くれるだろうか。


 あの時、崩壊する島から落ちる人々を、我が身も省みずに救おうとした彼ならば。

 そう思ったから、自分の騎士になってもらいたいと願った。

 けれどそれは、故郷の人々への情の深さから成せる物であって、聖女であるシュナに同じ気持ちを向けてくれるかどうかは分からない。


 だからシュナは少し不安だった。

 承認式後、すぐに体調を崩してリグリアスと話す機会を持てなかった事も、不安をいや増した。

 だから会いたいと思ったし、こうして聖域内を歩いていたら、彼に会えるかもしれないとも期待していたのだけど。


 結果として、シュナはそぞろ歩きをするべきではなかった。


 シュナは侍女達が自分の脱走に気づいて追ってきてもすぐに見つからないよう、庭の奥、さらに奥の手入れされた花壇や小道から外れた場所へ入った。


 そもそも聖域は、他の島から直接船で乗り入れることはできない。不審者が入り込むのを警戒するのは、島の下にある港だけでいいのだ。

 だから庭といっても、島中央部の森がそのまま聖堂の庭のような扱いをされている。


 そんな森の奥まで来たシュナは、海潜樹ばかりの場所へ来て折り返した。

 まだまだ歩けそうなほど今日は元気だったが、海潜樹の傍は湿地が多い。靴や服を汚してしまっては、侍女達を嘆かせることになる。


 仕事を増やすと、さすがにシュナ自身のことをうっとうしく思うだろう。早く殺してしまえと思う気持ちが増すことは間違いない。もう少しだけでもいきていたいシュナは、できればそれは避けたかった。


 しかし少し歩いた場所で、人の姿が見えたためにシュナは足を止めた。


 そこにいるのは二人。

 一人は鳶色の髪を背中まで伸ばした、シュナと同じ年頃の少女だ。

 白い衣服の上から藍色の袖のないガウンを羽織り、胸より少し下で薄紅の帯を結んでいるから、聖域で働いている人間だろうとわかる。


 次にもう一人の顔を見た瞬間、シュナは息を飲んだ。

 黒髪の下の、空に似た色の瞳が鳶色の髪の少女に向けられている。


 手が何のためらいもなく彼女の白い袖に包まれた腕を掴んだ。更に、微笑む。

 空いていたもう片方の手が、彼女の髪に触れる。

 少女の頬が少し赤らんだのを見て、シュナは胸が痛んだ。


 なぜこんなに心が苦しいのか、シュナにはわかっている。

 ただあの手に触れて欲しい。あのように気安く話しかけてほしい。あんな風に自分に微笑みかけてほしい。そう思っていたのに……。


 シュナよりも先に、全てを受け取っている少女がいたのだ。


 指先が冷たい、と感じた。

 いつの間にかその場に倒れていたシュナは、自分の指先が冷たい泥に汚れているのを見た。

 血の気が引いた白い爪先が泥に汚れた様子は、まるで自分の心のようだとシュナは思い――――意識を失った。

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