第10話 捕縛

 昼、霧が晴れて青空が見えるようになると、リグリアスは顔をしかめた。


「これからは、見つかりやすくなるな」


 小さな林を抜けてしまうと、後は平原だ。更に丘があって、その向こうには森が見える。

 森まではかなり遠い。

 その間は遮るものがなにもないのだ。リグリアスのように飛翼石を使って空から探している人間がいたら、すぐに見つかってしまう。

 だからエシアは自分で走りたかった。そうした方が人を背負って歩くよりも速いだろう。

 けれどリグリアスは許してくれなかった。


「そういえばこの辺り、詳しいの?」


 山であれば、斜面から上へ昇っているのか、下っているのかがわかるだろう。

 川があれば、川下へと流れをたどっていけば確実に港へたどり着ける。

 けれどこんな道から外れた、だだっぴろい平原ではそんなわけにもいかない。海側から吹いてくるのだろう強い風しか、頼りにならないのだ。


「大丈夫だ。こういう時のために、この辺りを一度歩いて回っている」

「あたしが……罪人の疑いをかけられてるから?」


 そのために、予め逃げる場所や道順を確認して準備していたのかと問えば、リグリアスはうなずいた。


「いつかは見つかるだろう、と思っていた」

「でも港へ行って、すぐに船に乗れるの? もう見張られてるんじゃ……」

「大丈夫だ、都合をつけてくれる奴には前から話を通してる」


 その用意周到さに、エシアは小さくため息をついた。


「あたしもリグリアスも、本当に聖域にいたのね……」


 知らずに過ごしていた日々。

 何も考えずに過ごしていたが、思い返せば、昏睡状態では説明のつかない齟齬は沢山あった。けれど家族を失ったのが辛くて、故郷を失い、自分も死にかけたことを思い出すのが怖かったから、エシアはずっと見ないふりをしていたのだ。

 そのせいでリグリアスに今まで負担をかけた。今もだ。


「そういえば聖女の騎士って……いつ、なったの?」


 レジオールが言っていた。リグリアスに向かって聖女の騎士なのにと。

 リグリアスは彼もそうだろうと言い返していたので、間違いではないだろう。


 ――――ふと、エシアは昨夜見た夢を思い出した。


 星樹の輝く広間で、叙任の儀式を受けるリグリアスの姿。

 あれはきっと、レジオールの話を聞いて、眠りながら想像してしまったからに違いない。

 ぽつりとリグリアスは答えた。


「俺たちの故郷が壊れた後だ。その時の功績が認められたのと……シュナ様と星振の波長が合いやすいってことで、シュナ様に選ばれた」

「そっか。でもすごいね。最高に名誉な職でしょう」


 聖女に分け与えられた力を振るい、星振鳥を操って天かける騎士。

 聖女一人に対して、通常一人か二人しか選ばれない役職だ。どんなに星振を操ることに長けていても、聖女が選ばなければ決してなれない。

 だから聖女に認められたリグリアスを褒めるための言葉だった。

 なのに、彼は逆に顔をしかめる。


「俺は――――」


 リグリアスの答えは聞くことができなかった。

 鳥の叫びにも似た音が響いて頬を、体の表面を振るわせていく。

 星振だ、と気づいた瞬間にリグリアスがエシアを下ろす。そして彼は剣を抜き、空から舞い降りた灰色の服姿の男達と対峙した。

 詰め襟の灰のジャケットは、聖域府の警護官の制服だ。かつてはリグリアスも着ていた色。

 聖域府の警護官になるのはとても難しい。知識もそうだが、星振を操れない者は採用されないのだ。だからリグリアスも、昔は一生懸命星振を練習していたのをエシアも覚えている。

 彼らは濃緑の外套を着たリグリアスを見て、視線を険しくする。


「元、聖女の騎士リグリアス。聖域府の裁可により、その娘を捕縛する。引き渡せ」


 リグリアスはそれに答えず、無言で腰の剣を抜いた。

 警護官達はそんなリグリアスを鼻で笑う。


「もう聖女の加護はないというのに、一人でどうする気だ」


 エシア達を囲んでいるのは、六人だ。しかもリグリアスはエシアを背後に庇っている。

 圧倒的に不利なのは目に見えていた。

 エシアは唇を噛みしめる。ほんの短い逃亡劇だったけれど、ここで終わりだ。

 後はエシアがリグリアスを騙したのだとそう主張して、警護官達に捕まればいい。聖女を誘拐した悪女だと皆が思っているのなら、幼なじみだった自分をリグリアスが信じ騙されたのだと言えば、彼らも納得するかもしれない。

 震える足を一歩踏み出そうとした。

 リグリアスがそんなエシアを左手で押しとどめる。


「リグ、あたし……」


 言いかけた所で、一斉に警護官達が剣を手に駆け寄ってくるのが見えた。

 リグリアスは青い羽を放ると、空中で漂う羽を剣で一閃する。

 柔らかな物を斬ったはずなのに、響いたのは金属のような固く高い音だった。

 エシアは星振の波を感じた。

 そう思った時にはリグリアスを含め、接近していた六人の警護官も足元が浮き上がる。

 一瞬の油断。

 その隙に、渦を巻く風のように円を描いたリグリアスの剣の軌跡が、最も近づいていた三人を切る。肩や胸を切り裂かれた三人は、鮮血を散らしながら、宙を滑るようにして飛ばされた。


 星振が弱まる。

 警戒した残りの三人へ、地を蹴ったリグリアスが一気に間合いを詰める。

 一人を突き刺した。

 その間に他の二人が横を駆け抜ける。

 リグリアスは振り向きざまに右手の警護官の足を斬り、このままエシアへ向かうのは無理だと判断した残りの一人を、たった三合、剣を打ち合っただけで倒した。


 まるで輪舞のような戦いだった。

 エシアはそれを呆然と見つめるしかなかった。

 故郷で、リグリアスが訓練を積んでいる姿は何度か見ていたし、聖女の騎士ならばそれなりに強いだろうとも思っていた。

 けれどこれは想像を超えていた。

 一体彼は聖域でどんな戦いを経験してきたのか。


 リグリアスがエシアを振り返る。返り血が、彼の頬に赤い線を作っていた。それをぐいと拭った彼は、無造作にエシアの手を引いて引き寄せる。

 肩がぶつかるようにしてリグリアスの傍へ来たエシアは、彼が自分ではない別な物へ厳しい視線を向けている事に気づいた。

 振り返る。

 そして遠くに霞む霊峰スフィラの方向から、青い翼を広げた一隊が空から飛来してくるのを見て、エシアは愕然とした。

 今倒した六人でも多いと思ったのに、ざっと見ても三十人はいる。こんな人数に囲まれては、とても逃げられるとは思えない。


「リグ……」


 もうやめよう、とエシアは言おうとした。

 こんな大人数相手では、リグリアスが戦っているうちにエシアは捕まる。そうなれば、人質をとられたリグリアスは抵抗もできず殺されるかもしれない。

 しかしリグリアスはその提案を拒否するように、エシアに視線すら向けない。


「あの茂みまで走れ。隠れていろ」

「でもリグ」

「邪魔だ!」


 その声の激しさに、エシアは思わず肩を縮める。

 今までこんな風に怒鳴られたことなどなかった。だから怖くて、思わずリグリアスの言葉に従って走った。

 けれど、それで良かったのかもしれない。

 彼一人なら逃げ切れる。

 片手の数の敵をなぎ払い、けれど直上からの風圧に倒れ、剣を突きつけられたリグリアスを見て、エシアはそう思った。

 よろめくように走っていたエシアは、いつの間にか近づいていた警護官達に、両腕を拘束された。そんなエシアの姿を見て、リグリアスに剣を突きつけていたレジオールが笑う。


「不意さえ突かれなければ、私の方がまだ上のようですね、リグリアス」


 レジオールを睨みつけていたリグリアスは、相手の視線の先にいたエシアを見て、表情を無くす。


「逃げて!」


 けれど動かないリグリアスに、エシアは苛立った。


「逃げてくれなきゃ、今すぐ死んでやるわ! どうせあたしは死にかけなんだから!」


 もう最後だから、心を決めて伝える。


「リグが死んだらあたしは後を追うわ! だから!」


 脅した言葉が、その意味が彼にちゃんと伝わったのかはわからない。

 リグリアスは大量の青い羽根を散らし、飛び立った。まだ空に居た数人の警護官を斬り落として、この場を逃れていく。

 エシアはその姿にほっとしながら、寂しさと心細さに泣き出しそうになる。


 ……もう誰も自分を助けられない。誰も守ってくれる人はいない。


 けれど怖くても、リグリアスが死ぬよりはずっとマシだった。


「まだ生きていたとはね」


 レジオールはリグリアスを追うより、エシアを確実に捕まえることを優先したようだ。


「でも状態がよくないから、死ぬまでそうかからないだろう」


 空を見上げるエシアの視界に入り込み、初めて会った時と同じ、友好的だと錯覚しそうな笑みを浮かべて告げた。


「さぁ、昨日の話の続きをしましょうか。聖域に移動しながらね」

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