欠けたもの
第7話 飲み込んだ物
まぶたが熱かった。
泣きそうな時と似ていて、そして胸が張り裂けそうに痛んでいた。
でもなぜ自分は泣きそうになっているのだろう。胸が痛む理由さえわからない。
何か夢をみていた気がする。かすかに頭の中に残ったその内容を、一つ一つ思い浮かべて忘れないようにしているうちに、意識が浮上する。
目を開き、エシアはそのまま呆然とした。
「え……」
一瞬、自分がどこにいるのか把握できなかった。
眠る前まで見ていたのは、霧の晴れ間から見える空と赤茶けた山肌だった。けれど今目の前に見えるのはなじみ深い木の天井だ。
あれは全て夢なのか。
そう思いかけたが、いつもと違う音にはっと息を飲む。
ささやかに。でも部屋の中を満たしている振動と音。
操る者によって変わる
歌の主を捜して、エシアは起き上がろうとした。
「おっと、まだ起きない方がいい」
言われるより先に、腹に力を入れても頭を持ち上げるのが精一杯だったエシアは、
吐く息が自分でも熱い気がする。風邪を引いて熱の出た時の目覚めによく似た感覚に似ていた。けれど相手が近づいてくれたので、その顔が見えるようになる。
「アクスト?」
枯葉色の髪と金の瞳をした彼の顔が、なんだか懐かしく感じた。
アクストが手に持っていた星叉環の回転を止める。
そういえば彼は星振を使える人だった。その力はわずかだったため星振官になれず、人の体を治療する時に薬の助けとして使っているのだ。
「気分はどうだい?」
「なんか、体が重い……」
「痛みは?」
エシアはちょっと考える。感覚が熱に浮かされた時のように鈍い。それでもどこか痛むようなことはないと確認し、うなずいてみせた。
「何? あたし風邪でも引いてるの?」
この島に移り住んでから一度、風邪で寝込んだエシアをアクストが看病してくれたことがあった。が、一体誰が頼んでくれたのだろう、とエシアは考える。
そもそもここは自分の家ではない。内装に覚えがあるので、アクストの家だとは分かる。
でも、いつ自分はアクストの家へ来たのか。いつ村へ帰ったのだろう。
そこでエシアが思い出したのは、あのレジオールという聖域の役人達を連れて、霊峰スフィラへ向かった事だ。
けれどあれはきっと夢に違いない、とエシアは結論づけようとした。でなければ、こんなにゆっくりと横になっていられるわけがないからだ。
しかしそんなエシアの思いを打ち壊したのは、おもむろに部屋に入ってきたリグリアスだった。
「様子はどうだ?」
エシアが眠っていると思ったのだろう。静かな声でアクストに尋ねたリグリアスは、どこかから走ってきたのか、髪があちこち跳ねている。
アクストがエシアを指さすと、ようやく目覚めていることに気付いたようだ。
「大丈夫か?」
リグリアスがエシアの傍らに手をつき、覗き込んでくる。久しぶりに見た幼なじみが急に接近したことで、エシアは恥ずかしくて落ち着かない気持ちになる。
そんなに顔を近づけないでほしいな、と。
つい恥ずかしさに視線をそらせたエシアは、深緑のコートの下に着た、黒いジャケットや白いシャツに見覚えがある、と思った。何より腰に下げた剣。鞘から抜きはなった剣を持つ姿を、見たような……。
「エシア、レジオールに何をされた?」
はっきりと記憶を呼び覚ましたのは、リグリアスのその一言だった。
レジオール。
霊峰スフィラへ案内した、聖域府の役人。
そしてエシアが聖女を殺したと言った。遺体をどこにやったのか教えないのならと、島を壊そうとして。無我夢中で星の核をもぎとって、飲み込んで……。
「島! リグリアス、島は! 無事なの!?」
まさか既に壊れた後で、エシアはまたリグリアスに助けられて別な島にいるのか。
焦って飛び起きたエシアは、そのとたんにめまいがして吐き気がこみ上げる。
「落ち着け」
そのままあっさりと彼に肩を押され、リグリアスに寝かされた。
けれど確認しておかなければ安心できない。エシアはリグリアスの手を掴み、尋ねた。
「島は無事なの? あの人島を壊すって。星の核だっていう赤っぽい石を使おうとして」
「島を?」
エシアは気持ちの悪さをこらえながらうなずいた。
「だから必死で星の核を奪って。だけど取り上げられそうになったから飲み込んで」
リグリアスは目を大きく見開いて、つぶやいた。
「だからこんな……」
「あの後どうなったの? ここはリーレント? また島が壊れて、別な島にきてるんじゃ」
教えて。
そう訴えたエシアに、リグリアスは一度きつく目を閉じてからようやく答えてくれた。
「安心していい。ここはリーレントだ」
「本当? 良かった」
ほっと息をつく。
飲み込んだのが良かったのか、助けに来てくれたリグリアスが何とかしてくれたのか。どちらにせよ、島が無事ならば良い。
周囲の人が死に、故郷を失うのなんて、一度だけで十分だ。
ようやく安心できたエシアとは反対に、リグリアスは目に見えて悔しそうな表情をする。
「俺が離れたりしなければ……。あいつに気づいたのに」
「仕方ないリグリアス。それを言ったら、俺が奴の顔を知っていたらこんなことにはならなかったんだ」
アクストにはリグリアスが悔しがる理由が分かっているようだ。リグリアスを宥める。
「しかし飲み込んだとはな。エシアがこの状態じゃなければ不味いことになってただろう。感謝していいのかどうか」
「でもこのままじゃ、レジオール達に気づかれる。それにエシアの体が保つかどうか……」
「何? 何なの?」
二人の深刻そうな会話にエシアは首を傾げる。
熱があるせいか、上手くものが考えられない。だから彼ら二人が何の話をしているのか、推測するのも億劫だった。
リグリアスはエシアを見て、辛そうな表情をしたまま黙り込む。
代わりに教えてくれたのはアクストだった。
「エシア、お前さんが飲み込んだ星の核の欠片は、それ自体が星振を発しているんだ。術の道具として使うだけならまだしも、飲み込めば体を形作っている星振に直接影響してしまう。お前の体をこわしかねない代物なんだよ」
「えっと、つまり……」
アクストが簡潔な言葉で要約してくれる。
「死んでもおかしくなかった。命があるだけ僥倖だと思っとけ」
言われて、ようやくエシアは自分が危機的状況だったことを知り、青くなった。
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