第6話 ~*~聖女~*~

 彼女は目を開く。

 すると、部屋の中の柱が見えた。

 柱は幹がうねりながら伸びているような木の幹だ。生きている木を使っているのか、小さな枝葉が所どころに生えている。

 柱と柱の間をつなぐのは白い漆喰の壁。所どころに、つり下げられたシャンデリアの光を反射する、透明な石が埋まっていて、星のようにきらめいていた。


 初めて見た時は、シュナもここを綺麗な部屋だと思った。

 緑があるからか空気が清々しくて気持ちいい。もう少し部屋の中を暖めてくれたなら、とても過ごしやすい場所なのだ。


 けれど居住まいを正すために壁に取り付けられている大きな鏡に映るシュナは、しかめ面をしている。

 緩く波打って背に流された茶金の髪もくすんで見え、同じ色に少し赤みが差した瞳も、完全にやぶにらみ状態だ。そして精彩を欠いて青白く見える顔は、柔らかい色のはずの口紅を変に目立たせている。

 体調が良くないのは確かだが、不機嫌さがそれに環をかけていた。


 ここへ来るのは、安らぐためではない。

 新しい星振官や執政官の承認を行うためだけに、この部屋を通過するだけ。

 だが、シュナも承認だけならばこれほどまでに嫌がりはしなかった。所詮自分も、先々代執政官の親族だったから聖女に選ばれたにすぎない、同類なのだから。


(いつから……こんなに嫌気がさすようになったのかしら)


 女子の星振官であればシュナに聖女候補として推薦されようと近づいて来る確率が高い。そして男子の星振官や執政官の親族であれば、聖女の夫候補としてシュナの気持ちを得ようと、自分を売り込みに来る。


 昔はそれも当然だと思っていた。

 シュナもそうするように、と言われて育てられてきたからだ。

 みんな同じように考えているのだと思ったけど……。


(たぶん、体が悪くなってから……)


 シュナの力が衰え始めて、誰かに頼りたい、助けてほしいと思っているのに反して、取り入ろうとする行動が激化してからだ。 


 聖女は強い星振をあやつり続ける代償のため、体が病み、そして力も衰えていく。

 だから代替わりをする。


 力を受け渡すのではない。候補者に試練を課し、聖女に値する力を得た者をその座に据えるのだ。


(だから、聖女候補になったからって、聖女になれるわけではないのに)


 今はそれを理解しているからこそ、聖女になろうとする女性達の気が知れない、と思ってしまう。


 そして前の代の聖女は『聖女だった』という価値を持つ、病身の女へと変わるのだ。妻にすることで栄誉とし、地位を高める道具になる。しかも婚姻を結んで数年我慢すれば亡くなるのだ。こんな楽な相手もいないだろう。


(こっちは、尊敬の念すらないのだとわかったせいで、見ているだけで嫌になってしまった)


 シュナは男性達も、聖女への崇敬があるからこそ妻に望むのだと教えられてきたのだ。だけど聖女になって、ようやくそれが飾られた言葉でしかないと気づいた。

 自分は、高価な壺となんら変わりがない。

 劣化したら捨てるだけの道具。


 こういった変化を劇化させたのは、先日の島の崩落の件だった。


 上手く力を使えなかったため、シュナが崩壊を止めるまでにかなりの時間がかかった。

 そして多くの人が死んだ。


 シュナが力不足だったからだ。

 そのことで批難されるのならば、シュナは甘んじて受けただろう。


 けれど聖域の人間は違う。死んだ人間の数を、代替わりの決定を下す天秤の分銅として考えている。

 自分達の立場を有利にしてくれる聖女を押し立てるため、早くシュナが聖女の座から降りることを望んでいるのだ。


 みんな、私が早く死ねばいいと言っているに違いない。

 シュナがそんな考えに取り憑かれても、仕方ないだろう。


 暗い物思いに沈むシュナの元に、灰色の髪の女性がやってきた。五十代には届いているだろう年齢の、白い石英を思わせる印象の女性だ。


 白い絹を重ねた服の上から、藍色に金の縁取りのガウンを着ている。

 それは星振を使うのが主な仕事の、星振官の服だ。肩から斜めに掛けた銀の帯は、彼女の地位を示している。


「お時間でございます」


 星振官長フィナリアの言葉に促され、シュナは立ち上がる。

 そして静かに深呼吸をし、気持ちを切り替えようと試みた。


『ようやく、会えるのだから……』


 待ち望んだ人との再会。そのためにシュナは儀式へ望むのだ。

 相手が喜んでくれているかどうかはわからないが、せめてシュナの方が重苦しい表情をしないように勤めなければ。


 シュナは細く短い廊下を出て、広く青白い光の降り注ぐ場所へと着いた。

 青白い光は、鳥でなければ届かないだろうという、高い天井にはめ込まれた色硝子を通して降り注ぐ陽光だ。


 広間は石で作られていて、さきほどいた部屋よりもひんやりとした空気に包まれている。

 シャンデリアの代わりのように輝くのは、壁に掲げられた燭台。そして広間の奥にある大きな樹の一部――星樹だ。

 白っぽい木肌に藍と緑の葉が混在している不思議な樹は、葉の先から朝露を落とすように光をこぼす。光の雫は床で跳ね、さらに輝いた。


 星樹は、唯一星の核に根を下ろし、霧海を越えて伸びる樹だ。

 一見したところでは広間の奥に飾られた彫刻作品のようにも見えるが、れっきとした生きている樹である。


 一般の人間は、聖域を支えながら霧海を貫いて伸びる星樹の根を見たことはあるだろう。

 けれど聖域に上陸できる者は限られるため、枝葉を見られる者は限られる。

 儀式を行う聖堂に出入りできる者だけが、その幻想的な姿を観賞できるのだ。


 シュナは星樹に向かって歩いていく。

 星樹のある場所は少し高い壇のようになっており、そこには二人の人物がいる。

 一人は白く短い髭のある壮年の男性。もう一人は、黒い服の上から白と藍色を組み合わせた詰め襟の裾の長い上着を着て、さらに濃緑のマントを羽織ったレジオールだ。


 レジオールはシュナに微笑んでくれた。

 シュナは彼の笑顔に、少しほっとする。

 二人のいる場所へ上がったシュナは、中央で踵を返した。

 長方形の広間の中、壇から敷かれた藍色の絨毯を挟むように、沢山の星振官達が並んでいるのが見える。その先に、大扉があった。


 ゆっくりと開いた扉から、外の光を伴って現れたのはリグリアスだ。

 彼もレジオールと同じ装束を着ている。濃緑のマントが、背の高い彼の肩から流線型を描いて靡いていた。

 彼の目は、あのルヴェイエ島崩落の時と同じだった。

 幼なじみを追って霧海へ飛び込もうとした時と違わぬ、まっすぐな眼差しを、星樹とその前に立つシュナに向けている。


 視線を合わせたシュナは、思わず目を伏せてしまった。

 思わず引き込まれそうになり、動揺したのだ。ささやかな動きだから他の人間は気付かなかったと思う。けれどそんな自分の反応がとても恥ずかしかった。

 迷わず人を救おうという姿に、シュナが力を託したからこそ彼はこの承認の場へ呼ばれたのだ。こんな浮ついた感情を人に知られたなら、一時の気の迷いであっても、リグリアスへの非難が強まってしまう。


 密やかに深い呼吸を繰り返す。

 シュナがそうしている間に、リグリアスはゆっくりと星樹とシュナがいる壇の側まで来ていた。彼はそこで膝をついて頭を垂れる。


「第二の聖女の騎士、リグリアス・ライセの承認を」


 檀上にいた白髭の男の言葉が、広間の中に朗々と響き渡った。

 聖女の騎士とは、聖女が力を分け与え、聖女に直接仕え、守る者だ。

 決められた儀式を行うために、シュナの足が一歩一歩リグリアスへ近づくために動く。


 三つある段を降りながら、シュナは動悸がして息苦しかった。

 崩れた島から落ちていった、彼の知り合いらしい娘。彼女はこの腕に抱き留められて、一体どのように感じたのだろう。

 そんな想像をしてしまう自分を叱咤しながら、シュナは儀式を進める。


 横から進み出てきた星振官から、捧げ持っていた銀杯の中にある、握り拳ほどの大きさの星の核を取り上げた。

 シュナが目線の上にそれを掲げると、星振官達が一斉に星叉環を鳴らした。

 高く低く、何重にも重なる音の波に、シュナは酔ったような気持ちになり、心の底が震える感覚に襲われる。

 同時にリグリアスが立ち上がる。彼は真剣な眼差しでシュナを見た。

 胸が更に高鳴るシュナの様子に気付かず、淡々と、星の核を持つシュナの手を、その右手で握り込んだ。


 すこしひんやりとした手の感触に、シュナは涙ぐみそうになる。

 その気持ちもなにもかもを込めるように、星の核へと周囲に渦巻く星振をあやつり、流していく。

 向かい合うリグリアスとシュナの間で、星の核は目映く輝く。

 その輝きが人の頭ほどの大きさになったかと思うと、リグリアスの背丈の二倍・三倍と泡のようにふくらみ、銀色の大きな鳥へと姿を変えた。

 銀の鳥は広間の壁から壁へ届きそなほどの翼を広げ、リグリアスの後ろへ降り立つ。

 聖女との契約により、騎士に星振で作られた鳥『星振鳥』が与えられたのだ。

 その様子を横目で確認したリグリアスは、その場に膝をついた。


「リグリアス・ライセは聖女を守護し、聖女と共に星振によって成る世界を守ることを誓います」


 そして彼女の長衣の裾の端を掴み、口づける。

 さらりとゆれた衣が、足首を微かに撫でていく。その感覚に、息が詰まるような切なさがこみ上げた。


『わたしは、やっぱり……』


 一介の警護官に力を与えたのは、シュナが彼に惹かれたからだと噂された。

 婉曲に、それについて問われたこともある。それを全て否定し、自分でも『彼が真に人を思いやる姿に感銘を受けたのだ』と思い込もうとした。

 けれどそれが間違いだったことを、シュナは認めざるをえなかった。

 泣きたくなって、目の回りに集まる熱を散らすように、何度も瞬きして、決して口外できない自分の思いを飲み込む。


 偽りの言葉を翻すわけにはいかない。

 高位者や執政官達がシュナの気持ちに気づいてしまったなら、後ろ盾のない彼は殺されてしまうかもしれない。弱っていく体を抱えたシュナでは、彼を守りきれないだろう。

 けれど心の隅で『もし』と想像してしまう。



『もし私が、聖女ではなかったなら……』

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