第5話 罪状

「…………え?」


 エシアがまず最初に思ったのは、博士の関係ではなかったのか? という事だ。

 次に考えたのは、聖域という単語のこと。

 聖女が住まう島のことだ。

 聖女は誰よりも強い星振を持ち、森羅万象を操れるという女性の尊称だ。島が崩壊しても、聖女はその力で島を修復することさえできる。そのため、いつ起こるか分からない島の崩壊に内心怯えている人々は、彼女を女神のように崇めているのだ。

 また、聖女を戴く聖域の騎士や役人達の多くが、星振の使い手である。

 しかしエシアは聖域に居た覚えはないし、聖女の顔も見たことがない。


「なんであたしがそんな疑いを……!?」

「しらを切ろうとしても無駄ですよ。私はあなたと何度も聖域で会っているので、見間違えるわけがありません」

「はぁっ?」


 ますます不可解だった。

 だってエシアはレジオールとは初対面だ。けれど彼は会ったことがあるという。


「あたし聖域にいたことなんてありません! 大体それならどうして村で対面したときに言わなかったんですか!?」


 レジオールはエシアを見下すように、目を細める。


「貴方の反応を見ていたんですよ。さすがに聖域にいる時とは印象が違いましたから。髪を切ったのは、変装のつもりだったんですか?」


 レジオールが手を伸ばしてくる。

 あまりの事に呆然としていたエシアは、やすやすと手首を掴まれた。


「早めに自白して下さいね? 聖女がどこにいるのか、死んでいるならどこに遺体を隠したのか教えて下さらないと、私達聖域の人間は次の行動がとれなくて困っているのですよ。次の聖女の選定もできないですし」

「だからっ、あたしは何も知らないってば!」

「忘れた振りですか? なら、脅せば思い出してくれるかもしれませんね」


 話がかみ合わない。

 そう思っていたら、レジオールは左手で上着の隠しから赤い石を取り出した。

 宝石のように綺麗なものではない。ざらついた表面の路傍の石が赤みを帯びているような感じだ。ただ、小指の爪の先ほどの石は、ところどころ何かの結晶が含まれているのか、小さく煌めいている。


「これが何だかわかりますか? 星の核の欠片なんですよ」

「ほしの、かく?」


 エシアは思わずじっとその石を見つめてしまう。

 星の核といわれて思い出すのは、エシアが島から落ちた時に見た、赤褐色の大地だ。

 だからこんな小さな欠片は初めて見るはずなのに、覚えがある。そのことに気付いてエシアは血の気が引いた。


 自分は星の核の欠片なんて見たことがないはずだ。どうして既視感があるのか。

 崩壊した島から落ちた心理的・身体的な衝撃で、昏睡状態に陥っていたはずだ。聖域になど行けるわけがないのに。


「星の核というのは、なかなかやっかいなものでしてね。この小ささでも星振を共鳴させ、様々な事象を起こすことにも使えるんです。が、一方で一度生まれた響きを消すのは難しい。あげくにどう暴走するかもわからない。だから星の核がある山に近い場所ではね、これを使うのは禁じられています」


 レジオールは赤い石を軽く上に放り、受け止める。


「ここで大地に干渉する法を使えばどうなるか。試してみたくありませんか? 島が真っ二つになるかもしれませんよ」

「なっ……!」


 彼の脅しに、エシアは驚く。

 星振が暴走したら、この島が無事ではいられまい。

 バラバラに崩れてしまったら、島ごと霧海の下にある死の大地に落ちてしまう。島で暮らしている人々皆が、死んでしまう。


「お役人なのに、そんな!」


 役人が星振を利用して人を脅すなど、正気の沙汰ではない。

 けれどエシアの抗議に対し、レジオールは笑みを消すこともなく、すらすらと話続ける。


「聖女が行方不明の今、この島を壊しても誰も修復できないでしょう。博士もろとも霧海に飲み込まれ、死の大地に骸を晒すことになるでしょうね」

「そんな事してただで済むと思ってるの!?」

「もちろん、その罪はあなたの物にさせて頂きますよ。聖女を誘拐した大罪人なら、それぐらいしてもおかしくはありませんからね。全島の人々が私の話を信じるでしょう」


 エシアは絶句した。

 そして冤罪をなすりつけられたなら、自分では晴らすことなど出来ないだろうと痛いほどわかる。誰がとるにたらない村娘の主張を信じてくれるだろう。聖域の役人の言うことを鵜呑みにするに決まっている。


「でも、だって、あたし何も知らない!」

「早く思い出して下さいね? 脅しが本当になってしまいますよ?」


 恐怖に震えるエシアの腕を掴んだまま、レジオールは自分の耳につけていた、耳飾りを弾く。環の形をした耳飾りは、レジオールが人差し指に付けていた金属の指輪に触れ、硝子が触れ合うような高い響きを作り出す。


 あれは星叉環だ。

 エシアが鳴らした物よりごく低音の響きが大気に伝播していく。

 音の波に触れた星の核が、深紅に明滅し始めた。


「やめてっ!」


 叫んだが、レジオールは意に介した様子もない。

 彼の金の瞳が一瞬瞬いた。その瞬間レジオールの作り出した星振の音が強くなる。

 星の核の端が火花を散らすように小さく砕けては、銀の光を放つ。その度に星振の音が更に大きくなった。

 地面がぴりぴりと振え始めた。足から伝わる振動に、エシアは焦る。


「やめてってば! 本当に知らないのに!」


 すぐに思い出せるものなら、とうの昔にそうしている。


「あたしはちょっと前まで、体を壊して昏睡状態だったのよ!」

「百歩譲って貴方が覚えていないとしましょう」


 そこでレジオールが言う。


「けれど昏睡状態なら、自分がどれだけの間眠っていたか自覚できないわけでしょう? 数ヶ月眠ったままだったと? それは誰から聞いたんです? ほら、その記憶の方が偽物っぽいですよね? 分かったら、早く思い出して下さい」

「そんな……」


 でもレジオールの言う通りだ。エシアはリグリアスに言われて、そう信じただけだ。

 呆然としかけたエシアだったが、楽しげなレジオールの言葉を聞いていたかのように、霊峰スフィラの麓で、岩に亀裂が入って崩れるのが見える。

 足下の土に、ひび割れが生じ始める。石が割れて音高く弾けた。


 ――――このままでは本当に島が崩れてしまう。


 エシアは血の気が引いた。

 故郷の島が壊れた時の足下の地面が消失する恐怖を思いだし、エシアは叫んで手を振り回した。


「やめて死んじゃう! 殺さないでっ!」

「おい、この小娘を抑えろ!」


 エシアの手を掴んだだけだったレジオールは、めちゃくちゃに掴みかかってきたり叩いてくるエシアから逃れようとして、部下を呼びつけた。

 しかし恐慌状態に陥ったエシアが、レジオールの右手に噛みつく方が早かった。


「いっ……!」


 手の力が弱まった隙に、エシアは掴まれていなかった手で星の核をもぎ取る。しかし背後から、駆け寄ったレジオールの部下達に取り押さえられた。


「離せっ!」


 部下の一人が、星の核を奪い返そうとした。


「やだ!」


 エシアは取られるくらいならと、自分の手に噛みつく。



 ――――そのまま星の核を飲み込んだ。



「おい!」


 レジオール達は唖然としていた。


「吐けっ、それは毒になるんだ!」


 星の核を飲み込むなど正気の沙汰ではないと、部下の一人がエシアの背を叩いて吐かせようとした。

 が、既に石はエシアの食道を滑り落ちていた。

 胃が熱くなったと感じた瞬間、頭から血の気がひいてエシアは倒れそうになる。

 強すぎるめまいに、足の力が入らなくなっていた。

 数秒はレジオールがそんな彼女の腕を掴んでいたので、つり下げられるように地面に膝をついていたが、手が離されたとたんエシアはその場に倒れ伏す。

 いつの間にか星振の響きも止んでいたが、エシアはそれに気付く余裕すらなかった。

 ただ気持ちの悪さと、妙な胃の熱さに耐えることで精一杯だ。


 これは何だ? とエシアは思った。

 誰かが「毒だ」と言っていたなとエシアは微かに思い出した。毒ということは、自分は死んでしまうのだろうかと考え、泣きたい気持ちになる。

 そんなエシアを見下ろしながら、レジオールが吐き捨てるように言った。


「仕方ありません。所詮は罪人です。聖女のご遺体がどこにあるかは聞き出せませんでしたが。罪人の遺体を持ち帰って聖域府に……」


 ふっとレジオールが言葉を切る。

 見上げた彼の上に、影が落ちた。

 地を穿ちながら剣が突き刺さり、一瞬前にそれを避けたレジオールが驚愕に目を見開く。

 銀のぬらりとした光沢を持つ剣が地面から引き抜かれた。

 深緑のコートを着た黒髪の青年が、持ち上げた剣の切っ先をレジオールに向けながら倒れたエシアを抱える。


「リグリアス……貴様、今までどこに隠れていた!」


 悔しげにレジオールが呻く。

 エシアはその声を聞いて、苦しさを堪えながら頭を動かし、自分を抱える人を見上げた。

 空に愛されたような水色の澄んだ瞳と、闇を切り取ったような髪の色。小さい頃から共に同じ物を見て育ってきた、安心できる人。

 彼はエシアに優しい眼差しを向けてくれる。


「リグ……」

「少しの間、我慢してくれ」


 そう告げて、リグリアスはすぐにレジオールと、彼の脇を固める部下二人に視線を向ける。


「誉れ高き聖女の騎士が何をしている!」


 激昂するレジオールに、リグリアスは静かに言い返す。


「同じく民を守るべき聖女の騎士が、女子供を捕まえて何をする気だ?」

「そいつは聖女を誘拐した罪人だ! しかも私が聖女の力を使えなくなっているということは、聖女は殺されているに違いないのだぞ! なぜそんな奴を連れて逃げた!」

「誰がそれを目撃した?」


 リグリアスの淡々とした問いに、レジオールは憎々しげに吐き捨てる。


「その小娘がシュナ様を連れて逃げた後、そいつ一人が血まみれの姿で聖域の森にいたのを見た者がいる。もし殺害したのではないと言うのなら、犯人の名前や、シュナ様がどこにいるのか言えるだろう! それすらせず、お前が連れて逃げたのだぞ!」

「だとしても、彼女は罪人ではない」


 頑として譲らないリグリアスの様子に、レジオールは話しても無駄だと悟ったのだろう。

 再び星叉環を鳴らしたレジオールは、今度は素早く指先に火を灯す。

 するとリグリアスは何故か剣を鞘に収め、石の礫らしきものをレジオールに投げつけた。

 レジオールは指先の炎を拡げて礫を燃やし尽くそうとする、が、ぶつかったうちの一つが光を放った。


 光は大量の青い羽となって舞い上がり、レジオール達の視界を数秒塞ぐ。

 その間にリグリアスはエシアを抱えて飛び立った

 驚く元気もないエシアだったが、リグリアスの腕にまとわりつく青い翼の幻影に目を見張る。続いて、ぐんぐんと離れていく地上の様子にめまいが耐えきれなくなった。


「エシア!?」


 尋ねるリグリアスの声を聞きながら、エシアは意識を失った。



「幻羽石ですか……」


 それは星振の術を凝らせた道具の一つだ。

 星振をぶつけると、その力が大きいほど鮮やかな幻を生み出す。

 レジオールは自分の星振が生み出した羽を手で払った。霧のようにその姿が溶け、消えていく。

 それからリグリアスを追いかけあぐねていた二人の部下に、レジオールは命じた。


「奴らを探して下さい。聖女はおそらく亡くなっていますから、リグリアスも星振鳥は使えない。どうせ飛翼石を使っているのだろうから、そう離れた所へは飛べません。せいぜい山の向う側か。あちらがわの町を探索するよう連絡をしましょう」


 それからふっと息をついて、忌々しげに付け加える。


「小娘は遺体になってるかもしれませんが、あの男を捕まえれば何か収穫があるでしょう。まさか脅しを真に受けて星の核を飲み込むとは思いませんでしたが、始末できたのだから良しとするべきでしょうね。無事でいられるわけがありませんから……」


 星の核は強い星振を生み出す。

 人が飲み込めば、体を形作る星振が崩れ、内臓から破壊されるのだ。

 エシアもあと数時間で命を失うだろう。

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