第4話 疑い

 霊峰スフィラは、リーレント島の中央にそびえ立つ山だ。

 遙か昔、この島が星の核に接していた時代は、火や溶けた岩を吹き出す火山だったという。そのため山頂付近には一切植物が生えず、茶色い岩だらけの異様を晒している珍しい山だ。

 スフィラの裾野に広がる森の中は、多少薄れたものの霧が入り込み、時折緑の枝葉が見える以外、白く染まって見える。


 エシアは足を止め、木の梢の向う、霧の晴れ間にちらちらと望める青い空と山を眺めた。

 そして尻尾のように結い上げた髪に手をやり、霧で湿った事に少しうんざりしつつ、後ろを振り返って声を掛けた。


「あと少しですよー」


 呼びかけた先、薄くなり始めた霧の向こうからよたよたと現れたのは、聖域府のレジオール達だ。

 聖域府の三人は、泥だらけになった革のブーツを哀しそうにみつめつつ、一歩一歩進んできている。


 それも仕方のない事だ。

 この森はほとんどが海潜樹かいせんじゅで構成されている。海潜樹は、島の岩盤を貫いて霧海へと伸ばした根から水を吸い上げて生きている。しかし余分な水を地上部に露出した上根から排出するので、周囲に湿地帯ができやすい。

 おかげで足が滑るので歩きにくく、泥が跳ねて衣服を汚すのだ。


 当然それを知っていたエシアは、そのことを注意した。

 しかし聖域府の役人三名はここまで水浸しの樹海には入ったことがなかったのだろう。

 革靴に防水処理はしてきたようだが、一張羅を着たまま森へ踏み込んだ結果、濃紺コートの裾を、どこかのご令嬢のように持ち上げて歩くはめになっているのだ。


 エシアは聖域府の人間というのはいつも厳めしくて、監査で村に来る度、村長から下にもおかない扱いをされるものだと思っていた。だから正直その様子がおかしくてたまらない。

 レジオールが、笑いを堪えているエシアに視線を向けてくる。


「君、かなり体力あるんですね」

「肺力? 肺活量のことですか?」

「いや、たぶんそれも……」

「ありがとうございまーす。頑丈なのが取り柄です」


 泥道を歩くのは、案外に体力がいる。

 しかし仕事で毎日往復しているエシアは、当然これぐらいでへばったりしない。


「そう、ところで少し休憩をしたいのですが……」

「ここじゃ座るとこありませんよー? この霧で余計に湿ってますし。なので、ホントにあとちょっと行ったところに、乾いた場所がありますから。そこまで頑張って下さい」


 すげなく意見を却下すると、レジオールはがっくりとうなだれた。

 後ろからついてきている部下はまだ元気な様子で、仕方なさそうに上司の背中を押しながら小声で何か話している。きっとはげましているのだろう。


 三人を連れてエシアは更に先へ進んだ。

 やがて足の下が固い地面にかわり、更に二十歩も進めば森は途切れ、目の前に岩肌を露出した山の全景が広がった。


「これがスフィラですか。前史時代の星の記憶を留めた山」


 隣に立ったレジオールが、疲れを忘れたような明るい表情で山を見上げる。


星振せいしんの波、お聞きになりますか?」


 エシアは腰にくくりつけていた革の物入れから、銀色の細い金属の環を取り出した。

 つり下げる紐を持って宙にかざし、環をつま先で弾く。


 固い音と同時に、最初はぼやけたように反響する音がひびく。

 しかしそれが消えかけたころ、音色が変わっていった。

 少しずつ高音域になっていき、音の高鳴りと共に銀の環はくるくると回り出す。

 すると波のように大きくなっては消えかけるように、うねる高い響きがエシア達の耳を打つ。その音は頭の中にふわりとした酩酊感を与えた。


 星振せいしんとは、星が世界を振動させる音だ。

 全てのものは、星振によって形作られていると言われている。

 どんな人も植物も、普段は聞こえない星振を発しているのだが、それを特殊な金属で増幅する道具が、星叉環せいさかんである。

 なにより、最も強い星振を発しているのは、山だ。

 はるか昔、死病に冒された星の核と大地が分離した時に、星の核が多く含まれたのは山だったからだ。だから山の近くでは、星振がよりはっきりと聞こえる。


「……今日は少し高めかな?」


 エシアは星叉環を掴んで止めると、革の物入れから出したメモ紙と炭筆で音の様子を書き留めておく。案内役はあくまでついでだ。記録を休むわけにはいかない。

 エラシル博士は、星振の音の変化を観察することによって、島の崩壊の前兆をとらえようとしている人だ。

 メモ紙に音階記号を書いていると、それを横から見ていたレジオールが尋ねてきた。


「君、もしかして星音楽せいおんがくを知ってるんだ?」

「じゃないと記録できないです」


 そもそも星音楽は、普通のお祭りで踊る曲や子守歌のようなものとは違う。特殊な波形の記述法を覚えるのは、聖域に属する人や博士のような研究者など、一部の人間だけだ。用がないのでほとんどの人は知らない。


「どこで覚えたんだい?」

「エラシル博士から教わりました」


 耳がいい、と褒めてもらったことをエシアは思い出す。音階を聞き取るのが意外に得意だったエシアは、星振の音階記号の覚えも早かった。


「ふうん。わざわざ星音楽について教えた上で仕事をさせるってことは、博士に随分目をかけられているんだね」


 エシアは首を振って否定した。


「博士は故郷が壊れて無くなったあたしを、可哀相に思ってくれたんだと思います」

「故郷の島が壊れてしまったのか」

「ええ。それでこの島に渡ってきて。博士に仕事を貰えるようになって」


 何で自分はこんなことを話しているのだろう、とエシアは疑問に思った。

 私事をこれ以上話すのはなんだか嫌だと感じた。


「身辺調査ですか?」


 思わず固い声で訊いてしまう。

 博士の研究を認めて視察に来た人々だ。もしかして天涯孤独なエシアを、不審者として警戒しているのだろうか。

 レジオールの後ろにいる部下二人も、黙したまま監視するような目で見ている気がした。


「では、もっと率直に言うべきかな」


 楽しそうにレジオールは笑って告げた。



「聖域の下働きだったエシア・クレイデル。聖女シュナ様をどこへ隠した?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る