第8話 出発の決定
「あの、これ治るの?」
エシアの言葉に、アクストが渋い茶を飲んだような顔をする。そしてエシアではなく、リグリアスに答えた。
「おいリグ。こればっかりは婆さんに見せるしかない」
「アクストのお祖母さん?」
どうやらリグリアスはアクストの祖母を知っているようだ。唸りながら反論した。
「しかしフィナリアは聖域にいる。行くのは難しい。ただでさえエシアは追われてるんだ」
「だからって放置して、エシアが死んだらどうする気だ?」
リグリアスは黙り込む。
そしてエシアは、はっきりと「自分が死ぬ」という言葉を聞いて、呆然としていた。
死んでもおかしくない、だけならばまだ理解できる。そうはならなかったのだから、エシアは死ななかったのだ。だから後は、治るために休養するだけなのかと思った。
けれどこのままでは死んでしまうというのは、どういうことだろう。
しかしリグリアスが聖域行きを渋るのもわかる。あそこはレジオール達の本拠地だ。
見つかれば即、治療どころではなくなってしまうだろう。
「わたし……死ぬの?」
思わずそう呟いていた。
今までに、死を意識したことはある。故郷の島が崩壊した時は、リグリアスに助けられる寸前までエシアはもう死ぬのだと諦めていたのだ。
けれど急な状況で死ぬのとは違う。刻一刻、ゆっくりと今も死に向かっているという今、助かる手立てを使えないまま、これからどうしたらいいのかわからない。迫ってくる死を裏付けるかのように、熱っぽい体もエシアの不安をかき立てた。
目覚めの時のように、瞼が熱くなる。
泣きそうになって唇を噛みしめた。
どうしようもない状況だ。泣けば、故郷を失って以来ずっと自分を支えてくれていた二人が、きっと苦しむだろう。迷惑をかけたいわけではない。苦しんで欲しいわけではない。
そうして涙を堪えていると、リグリアスがエシアの枕元に手をついた。
「よく聞けエシア」
視線を向ければ、彼は何かを決意したような表情をしている。
「お前は聖女を殺したと疑われている」
確かにレジオールもそう言っていたが。
「わたし、本当に聖域にいたの?」
エシアには覚えがないのだ。だがレジオールだけではなく、リグリアスまでその話を切り出したのだ。何かの理由で覚えていないだけなのだろうか。
「そうだ。一時期聖域で暮らしていたのは本当だ。その後で事故にあって、お前は記憶を失ったんだ」
「じゃあ聖女様を殺したとかいうのも……」
「それはない」
リグリアスは否定した。
では自分は犯罪者ではないのだ。そう思ったエシアだったが、けれど安心することはできなかった。リグリアスが、否定したわりには苦しそうな表情をしていたからだ。
ただの冤罪ならば、そんな顔をする必要などない。
「でもレジオールが言ってたわ。あたしが聖女様を連れて逃げたって。その後、あたしが血まみれでいたのを目撃されてるって。それは事実なんでしょう?」
レジオールは、エシアから供述を引き出すために島を壊そうとするような酷い人だった。けれど聖女について、彼が嘘を言っているとは思えない。単なる村娘でしかないエシアを捕まえても、レジオールに益などないのだ。
リグリアスは唇を引き結ぶ。
そんな辛そうな顔をさせているのが自分だと思うと、エシアは辛い。けれど知りたいのだ。自分の嫌疑は本当のことなのか。
しかしようやく口を開いたリグリアスから告げられたのは、曖昧な言葉だった。
「俺も……その場に居合わせたわけじゃない。何があったのか知らないんだ」
一度言葉を切り、今度は彼も確信があるのか、まっすぐにエシアの目を見て話した。
「けれどお前に聖女様が殺せるわけはないんだ。相手は島一つ修復することもできるような、星振の使い手だ。刃を向けても、自殺を望まない限り刺さりもしないだろう」
「それは……確かに」
レジオールの星振の効果や、おぼろげながらに覚えて居るリグリアスとの戦いを思い出しても、それ以上のことができるだろう聖女が、エシアにやすやすと殺されるわけがない。
「じゃあなんであたし、そんな重要なことを忘れてるの?」
覚えていれば、レジオールに自分が無罪であることも主張できたかもしれないのだ。そして彼が望むように、聖女シュナがどうなったのかも教えることができただろう。
けれどリグリアスにも理由はわからないらしい。
エシアが嫌疑を掛けられたので、聖域から連れ出してくれたようだが、途中で気を失った後、エシアは聖域での出来事を忘れてしまっていたのだという。
気の毒に思ったリグリアスは、エシアに聖域でのことを思い出させようとはしなかった。そして聖域で三ヶ月過ごしていたのだが、エシアにはそれを伝えず。崩壊した直後から昏睡状態だったと言い聞かせ、回復したのでリーレント島へ連れてきた、と信じ込ませていたのだという。
「でも記憶を戻せるかどうかは分からないしなぁ。俺でも無理だったし、変に混乱させるよりはってことで俺も同意したんだよ」
全て説明されていたアクストは、そう言い添えた。
「あれ、そういえば聖女様の遺体が見つかっていないって言ってたけど、どうして死んだってわかるの?」
素朴な疑問に、リグリアスが答えてくれた。
「聖女には手足となって動く直属の騎士がいる。聖女の力を分け与えられた、青銀の鳥を操る騎士が。けれど聖女が死ぬと、下賜された鳥も消えてなくなる。聖女の力で星振を編んで作られた物だからな。あのレジオールは聖女の騎士だったんだ。自分の鳥が現れなくなったから、聖女が死んだとわかったんだろう」
それより、とリグリアスが上着の内ポケットから粉の入った瓶を取り出す。近くの卓にあった水の入ったカップを持って、再びエシアの側に戻ってきた彼は、淡々と告げた。
「まずはこれを飲め」
「え、だってこれって……何?」
紫の粉に、緑の粉が混ざり合っているように見える。あまり飲みたくない色だ。毒というよりも、飲んだとたんに呪われそうだ。
「薬だ」
簡潔明瞭なリグリアスの答えに、エシアは顔をしかめる。
「で、でも、あたしのこの状態って、星の核のせいなんでしょ? なら薬は……」
「多少緩和できるはずだ」
そしてリグリアスはアクストにカップを一時預け、開いた右手でエシアの顎に手を添える。
顔に触れられたことで、エシアは別な意味で緊張した。
「聖域の薬学師に貰った薬だ。その薬学師は、強大な星振を扱うと体調を崩しやすかった聖女のために様々な薬を研究していてな。星振の影響を緩和させる薬を俺にくれていた」
静かに話すリグリアスに恐怖し、でも触れてくる手に心臓が暴れそうなほど拍動していたエシアは、硬直したまま動けなかった。それでも口だけは動いたのでリグリアスに尋ねる。
「ど、どうしてそんな薬持ってるの?」
「安全性確認のために実験台として飲めと言われてな。しかしあまりに怪しかったので、飲まずにとっておいたんだ」
「そそそ、そんな怪しい薬をなんであたしに!」
殺す気かと怯えるエシアに、リグリアスはうっすらと微笑んだ。
「大丈夫だ。これを飲んだ人も回復こそすれ、死ぬことはなかった」
そして顎をがっしりと掴まれ、口が閉じないよう親指をつっこまれ、
「ぅうー!!」
粉を口の中に入れられた。
かといって、片想い相手の前で粉薬を口から吹き出すという暴挙などできず、エシアは涙目になる。しかも味が筆舌に尽くしがたかった。
酸味のある果物に鉄の粉を混ぜた上で緑物のえぐみを足したようなひどさだった。
思わずのたうちまわりそうになったエシアは、とにかくこの味から解放されたくて、リグリアスに支えられるまま上体を起こし、差し出された水を一気のみする。
ようやく口中からえぐみを一掃し、息をつくエシアを見て、アクストが一言呟く。
「哀れな……」
一方、薬を飲ませたリグリアスは満足したようだ。
「もう少し休め。少し状態が落ち着いたらここを出る」
「出るって、どこへ?」
目に涙を浮べながら尋ねたエシアに、リグリアスが何でもないことのように告げた。
「聖域だ。お前を直してくれる人間の所へ連れて行く」
「でも、聖域は危険じゃ!」
リグリアス一人でも難しいだろうに、ろくに動けないエシアを抱えてでは、殺されに行くようなものだ。そもそも聖域にたどりつけるかどうか。
「なんとかする」
「そんな! そこまでするぐらいならあたし別に……」
言いつのろうとしたエシアは、不意に額を押され、寝台に横たわる。
子供を世話する母親のように、首元まで掛布を引き上げたリグリアスは、足早に部屋を出て行った。
「リグ!」
エシアの声に応えたのは、扉が閉まる音だけだ。
ややあってアクストがため息を漏らす。
「故郷が崩壊した時も、助けたのはリグリアスなんだろ? しかも同じ村の人間で、生き残ったのはお前だけだって聞いてる」
「うん……」
「お前も故郷の人間が一人も居なくなる辛さを感じてるはずだ。リグリアスの気持ちに甘えてやれよ」
できるならそうしたい。命を賭ける必要のないことなら、一時は好意に甘えて、そして治った後に恩を返せばいい。けれど今回のは違いすぎる。
エシアは病気で、しかも犯罪者として追われているのだ。とてもそんな状況で聖域を目指すなど、正気の沙汰ではない。
「どうせここにいても仕方ないだろ。最初にリグが逃げたのが村と反対方向だったから目くらましになったようだが、いずれどこにもいないとなれば、この村に隠れているかもしれないとあぶり出しに来るだろう」
エシアは唇を噛みしめた。
たとえ動かずにいても、ここにいれば今度は村の人々に迷惑をかけるのだ。
「どうせ死ぬ覚悟があるなら、リグの好きにさせてやれよ」
アクストの一言は強烈だった。
このままでも死ぬ。逃げても捕まって死ぬ可能性は高い。ならばリグリアスのために自分が何をできるか、が問題なのだとエシアは気付いた。
そしてリグリアスの気持ちを優先したいなら、エシアに必要なのは覚悟なのだ。
彼を犠牲にする覚悟ではない。もう後がない状況になった時に、リグリアスが罪に問われないようにして、エシアが死ぬ覚悟だ。
噛む力が強すぎて、唇に血が滲む。
やがてエシアはアクストに言った。
「アクスト、今までありがとう。もしかしたら二度と会えないかも知れないから、先に言っておくわ」
それで、エシアの気持ちをアクストは察してくれたようだ。
「お前と一緒に居て、結構俺は楽しかったよ。俺もお前の事を頼むために、別な経路で聖地には行く。だからかならずたどり着け。そしてもう一度会おう」
そう言われて、エシアは微笑んだ。
そして扉の外に出たアクストは、すぐそこに立っていたリグリアスを見て、ふっと息をつく。
「エシア、ちゃんとお前の言う通り聖域に行くってよ」
リグリアスは小さくうなずいた。
その顔は、心細そうな幼い子供のように、アクストには見えた。
「で、こうなってもエシアの記憶は、あのままでいいのか? 本当に、星振で取り戻せるか試してみなくていいのか?」
アクストの問いにリグリアスは首を横に振る。
「記憶が戻ってもエシアが傷つき直すだけだ」
そしてリグリアスは息を吐くように告げた。
「それにシュナ様は、俺が殺したようなものだ」
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