人格消去:死角
『あなたに相談したいって子がいる』
自分の出番が来るとは思わなかった。あれから引きこもっていた所にヒーちゃんが声を掛けてくる。
『分かっタ。じゃあ交たイ』
私はスポットライトに飛び込む。
「交代したヨ。その前に二人の事聞いていイ?私は自己紹介聞いてないかラ」
「そうですね」
「二人共ありがとぉ。じゃあ私から話すねぇ」
こうして三人は自己紹介をもう一度行いそのまま薫の相談を聞く。
「生まれた時から女の心で生きてきたカ…苦労が多そうだネ」
「そうよぉ。着たい服一つ満足に着れなかったのぉ」
「ん?でも女性の格好は凄く似合うと思うんですが」
鈴がためらいがちに言う。薫は顔立ちが中性的で女の子の服も普通に似合うだろう。
「自分は女なのに結果的に女装した男っていうのが少し辛くて、純粋に楽しめないのぉ」
「そっカ。浜田さん何か将来の夢とかあル?」
「夢ってほどじゃないけど趣味はあるわぁ。これまでの流れでなんだけど服を作るのが趣味なのぉ」
「へーいいじゃン」
「自分に合う服を作っておられるんですね」
「そぉ。実際に着るのはあまり楽しめないけどぉ。自分に合いそうなのを作るのはとても楽しいわぁ」
「ならやっぱり薬を飲まない方がいいと思います。もう服作れなくなるんですよ」
「そうネ。やりたいことあるならそれが生きがいになル」
「でも彼は納得するかなぁ?彼は私が生きることに薬の事を知ってからは否定的なのぉ」
「えーずっと一緒に生きてきたの二?」
「彼も羨ましいんだよぉ。私たちは普通の人の半分しか生きてないようなものだからぁ」
そう言うと薫は少し顔を伏せる。やはり体が男なのを引け目に感じているようだ。
「お二人は人格交代権限をお持ちですか?」
「うン」
「同じく持ってるよぉ」
「なら私に任せてください。もう一人の浜田さんの説得ならできる気がします」
鈴が自信あり気に言う。
「本当なノ?松江さン」
「おそらく。彼を呼んでもらっていいですか?」
「うんお願いするわぁ」
そう言うと薫は机に突っ伏した。次に起き上がる時には少し胸を張って腕を組んでいた。
「僕の方に話があるって?」
「ええ。もう一人の浜田さんはまだ生きていたいと思っているそうです。浜田さんは二人で生きていくという選択はないんですか?」
鈴が早口でまくし立てる。薫は少し怪訝そうな表情で答える。
「僕はそれでもいいと思っています。ですが僕から見て彼女が生きていて楽しそうに思えないんですよ。僕と話す時はいつも愚痴ばかりで友達もいませんし外で着もしない服作りしかしない。彼女の服飾に自分の時間の多くを取られているのを僕はよく思っていません」
「それは分かりますよ。私たちもそうですから。そしてあなたがそう思うように彼女も時間については同じことを思っています」
「…でも!」
「…あなたは自分が上だと勘違いしていますね。なら私がそれを正してあげます」
鈴は腕を伸ばし瓶を掴む。ふたを開けそのまま口に入れた。他の二人は何が起こっているのか分からなかった。飲み終えた鈴は一度肩を震わせるとぽかんとした顔をした。
「えっ?何?どうして私が出てきてるの?あの子の仕業?」
困惑した様子の鈴は先ほどの彼女ではなかった。そして掴んでいた瓶を見つめる。
「もう飲んじゃったの?どういうこと?」
鈴がこちらを見渡して説明を求めてきたが何か話す前に彼女に変化が起きた。
「うっ」
一瞬苦しげにした後意識を失ったかのように持っていた瓶を机に投げ出した。私は瓶が落ちない様に慌てて掴む。鈴は体に力が抜けてうつむいたまま座っていた。十秒程経ったか。二人は無言で彼女を見つめる事しかできなかった。すると鈴の肩が震え顔を少し上げる。
「成功ですね」
「…何をしたノ?」
比奈が聞くと鈴は答える。
「薬を飲み終えてからすぐ人格を入れ替えたんです。消えるのは交代した後の人ですのでもう一人の私には消えてもらいました」
「何でお前が人格交代の事を知っている!?」
「どうしてでしょうね」
鈴は薄く笑う。
「お前は自分が何をやったか分かっているのか!」
薫が今までの落ち着いた態度を崩して声を荒げた。比奈の方は鈴が何を言っているのか分からなかった。
「はぁ。さっきの私は私だけが生きたいと言っても聞いてくれませんでした。自分がこの四年間のほとんどを生きていたからと。どちらも譲らないならどちらかが奪うしかないでしょう?」
「お前のやったことは人殺しだ」
「いいや。殺されたのも私です。これは自殺ですよ。そして自殺を責めるなら安来さんや浜田さんには言われたくありません。これから自殺しようとしている人と自殺を促してる人には」
「「…」」
二人は何も言い返せなかった。これから比奈がしようとしていることはあれと同じことなのだ。それを目の当たりにして比奈は自分の中に恐怖があることを自覚した。
「浜田さん。今の貴方には人格交代権限がないそうですね。私がもう一人の貴方に助言してあげてもいいんですよ。『貴方だけが一人の人間になれる良い方法がある』って」
「な!」
薫の顔から血の気が失せていった。青い顔で口を開いたまま何も言えないでいる。
「心配しなくてもそんなことしません。ただ貴方ともう一人の貴方が同価値だと思ってもらうために私は一足先に薬を飲んだんですから。でもこれ以上彼女に自殺を強要させるのはやめて下さい。私を見ているようでかわいそうなんです」
「…分かった。言う通りにする」
薫が震える声で言うとそのまま黙り込んでしまう。
「それは良かった。さて貴女はどうしますか?安来さん。人格交代権限は今は貴女が持っていましたね。貴女は生きたくありませんか?このままだと死を強要されますよ。」
鈴と目が合う。先ほどの行為を忘れさせるほど彼女の目は優しかった。
「…私も死ぬのが怖イ。私はヒーちゃんが暴行されたっていう過去に耐えられなくって生み出されたじんかク。この二年間私はヒーちゃんの精神が回復するために頑張ってきタ。ヒーちゃんのために尽くしてきタ。そして今いらなくなったらから捨てられそうになってル。それは当たり前のことダ。私は必要だったから生まれて必要無くなったら死ぬのだかラ。でも今松江さんの四年間生きてきた人格が死ぬところを見て恐ろしいと思ってしまっタ。自分も今からああなると考えるだけで怖イ」
比奈は溜まっていた感情がなだれ出てくるかのように気持ちを吐露する。
「それは当然ですよ。貴女はよく頑張りました。今度は貴女が報われる番です。自由に生きることを望んでもいいんですよ」
鈴が優しく言ってくれる。私の存在を肯定してくれる。そんなことを言われたのは初めてだった。心が満たされる感覚を初めて知った。普通に生きて行けばいつもこんな気持ちになれるのだろうか。私はそれがたまらなく欲しい。
「私でいいのかナ。ヒーちゃんじゃなくて私デ…」
「貴女は優しいですね。自分を見捨てた人の心配までするなんて。どちらかしか手に入らないものなんて世の中たくさんあります。そして今貴女の前には自分の体を手放すことも手に入れることもできる。選ぶのはヒーちゃんではありません。貴女です」
「私は一人で生きてみたイ。ヒーちゃんのためじゃなくて自分のために生きてみたイ」
私の言葉を聞くと鈴はそれでいいと言うように微笑む。
「そう。なら協力してあげます。浜田さんもいいですか?」
「ああ。僕はまだ死にたくない」
「では浜田さんは彼女に薬を飲まなくていいと話してもらえますか?」
「分かった」
そういうと薫は目を閉じた。それから一分ほどで目を開ける。
「彼女が二人にお礼を言いたいそうです。できればそのまま二人の最後に付き合いたいと」
「もちろんいいですよ。私の方は終わってしまいましたが彼女を混乱させる必要もないので薬を飲んだふりでもしますね」
「お任せします。ではお願いします」
そう言うと机に突っ伏す。数秒後には右手を頬に当てた薫が現れた。
「二人ともありがとぉ。松江さんが説得してくれたのよねぇ。彼もこれからも二人で生きてくれるって言ってくれたわぁ」
「それは良かったです」
「私の方は何もできなかったけどネ」
「いやいやー私の悩みを聞いてくれただけでも嬉しかったからぁ。二人とも人格交代してくれないー?彼女たちにもお礼を直接言いたいのぉ」
「分かったワ」
私は自分の中に集中して光のない方に向かって話し出す。
『ヒーちゃン。浜田さんの悩みが解決したかラ。ヒーちゃんにもお礼言いたいっテ。代わってくれル?』
『分かった』
そのまま光の外に出る。
それから出番まで暗闇で待機していた。
一分も掛からずスポットライトからヒーちゃんの声が届く。
『話してきたわ。それから松江さんがもう薬を飲むそうだけどどうする?一緒に飲む?』
『そうネ。そうしようかナ』
『今まで私の手助けしてくれてありがとうね』
私の心が少し揺らぐ。この二年辛そうなヒーちゃんを私はそばで励ましたり、現実の問題をヒーちゃんの代わりに解決してきた。自分にヒーちゃんへの思い入れがあることは自覚している。それでもヒーちゃんが私を見捨てようとしている事だけは変わらなかった。
『私はそのために生まれてきたもノ』
『そうかもしれないけど感謝はしてるのだから聞きなさい』
『はいはイ。じゃあバイバイ』
『ええ、さようなら』
これが私たち二人の最後だった。
私は両手を机の上に乗せながら自己紹介をしていた。
「じゃあ私から。名前は松江鈴。高校二年生。今から出てくる子は人と関わるのが苦手でいつも一人の時しか出てきません。でも今日は出てくるそうなので替わります」
そう言うと自分の中に入るように意識を潜らせる。次の間には一人で部屋の中にいた。棚に一つある仮面に話しかける。
『他の二人には名前と年齢だけ話した。あーあと言っておくけど薬は机にあるだけだから死にたくないからって割らないでね』
『分かった』
もう一人の私が自分に付けていた仮面と棚にある仮面を入れ替える。
新しい仮面をつけたもう一人の私が部屋から消える様子を私は棚から見守った。
薄暗い部屋の中を見ているとすぐに仮面をつけた私が現れる。
もう一人の私は自分の付けていた仮面を棚に戻すと私の仮面には手を伸ばさずそのまま部屋から消えた。
部屋の棚にはポツンと二つの仮面が揃って置かれていた。
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