二つの仮面

東ノ瀬 秋

人格消去

松江 鈴 side



その部屋は真っ白だった。広さは十畳程。中央には三角形の机と各辺に背の付いた椅子がある。窓一つなく正方形の壁がそれらを囲む。ここにあるものは全て白で統一されていた。


机の上に置かれた三つの茶色い瓶を除いて。


「皆様それぞれ椅子に座ってください」


無機質な声のする方を見ると入ってきた扉の上にスピーカー埋め込まれていた。

部屋には私の他に二人。一人は女の子もう一人は男の子。

三人は黙って従った。


左右を見る。

右の女の子は赤みがかったセミロング。その髪は小柄な体と可愛い顔によく似合っている。

左の男の子は明るい茶髪で少し長い後ろ髪を後ろでまとめている。童顔であるがどこか落ち着いた雰囲気だ。


「皆様は全員が同じ境遇であり、そして同じ目的を持ってここに集まりました」


私はここに理由があってきた。それは…


「解離性同一性障害。それも記憶が人格で分かれる交代人格であることが皆様の共通する問題です。体一つで二人分の人生を歩むのは難しい。それを解決するべく皆様は集まりました。私どもが提供するものはたった一つ。人格を消去する薬です」


…私という人格の消滅。





「私どもは皆様の決断に一切関与致しません。この薬を服用すれば十数秒で人格が消滅致します。薬はいつ飲んでも構いません。ただ今回用意できたのは机にあるものだけなので割らない様ご注意ください。それとこの集まりは自分と同じ境遇の方との交流も目的としていますので、他の方のお話も聞いてあげて下さい。何か質問はありますか?」


この企画はある製薬会社が人格を消す薬を作りその臨床試験として募集された。

私たちは人格を一つにするために自分達の意志で集まっている。


「人格が無くなると共有してない記憶はどうなりますか?」


私は机に手を置いたまま尋ねた。


「残念ながら片方にしかない記憶は人格と共になくなります。この薬の効能はあくまで人格の消失。記憶の統合はしません」

「分かりました。では薬を飲んでからすぐに人格が変わるとどうなりますか?」

「変わった後の人格が消えます」

「それって…」

「はい。自分に殺される可能性がございます」

「…」

「そのための対応ですが…今表にいるお三方はそれぞれ人格交代権限―自分の意志で人格を交代できる権限のない人格です。この場にいる方々が中の人格に話さなければ殺される心配はありません。そこの所十分ご注意下さい」


そういう薬というならしょうがない。口に出さなければいい話だ。


「他には…大丈夫そうですね。私どもは会話をモニターしておりますので用があれば言って下さい」


訪れた静寂を私が破る。


「とりあえず自己紹介しましょう」

「そうですね」

「賛成です」

「じゃあ私から。名前は松江鈴。高校二年生。今から出てくる子は人と関わるのが苦手でいつも一人の時しか出てきません。でも今日は出てくるそうなので替わります」


そう言ってから自分の中に入るように意識を潜らせる。次の間には一人部屋の中にいた。部屋には棚が一つ。そこに一つだけある仮面に話しかける。


『他の二人には名前と年齢だけ話した。あーあと言っておくけど薬は机にあるだけだから死にたくないからって割らないでね』

『分かった』


私は顔につけていた仮面を入れ替える。


そうして私たちは入れ替わる。





安来 比奈 side


左に座る女の子は私より年上らしい。

切れあがった二重の目と肩甲骨まで伸びた黒髪が美人な印象を与えている。

彼女がこの集まりを仕切ってくれた。


「替わります」


彼女がそう言うと体の力を抜く。十数秒して一度肩を揺らす。顔はうつむいたまま前髪に触れていた。先ほどまでの明るい雰囲気は無い。


「…替わりました。はじめまして。私の要望はこの私が消える事です。さっきの私も了承していますので話すのは以上です。失礼します」


最後の方は早口になっていた。

それより私と同じですでにどうするか決めてるのか。もしかしたらここには薬を貰いに来ただけかもしれない。


鈴はまた肩を震わせると背筋を伸ばして両手を机の下へ戻す。


「最初のに戻ったか。替わるの早かったな」

「…ええ。彼女は人見知りだから。私たちはもうどうするか決めてます。ですが他の方も話しやすいよう私の事を少しだけ。私は後天的に生まれました。四年前もう一人の私が別の私がいればいいと願った際に生まれた人格です。人生の半分を暗闇で過ごすのはツラいのでこのような選択になりました。以上です」


松江さんはその言葉を最後に私に目を向ける。私は頷いてから話し始めた。


「私の名前は安来やすぎ比奈ひな。今年で十六です。私は今の松江さんとは逆で私がもう一人作りました。二年前事件に巻き込まれ心的ストレスが掛った時の事です。私自身病院で暮らす程ショックな出来事でしたが、既に普通の生活ができています。でも私は一日に両方の人格を表に出さないと体調不良になります。はっきり言ってもう一人がいると生活に支障が出ます。ですので私だけになりたいと考えています。それはあの子にも納得してもらいました。今替わります」


私はそこまで言ってから自分の中にあるスポットライトから暗闇に向かって話しかける。


『交代お願い』

『しょうがないわネ。早く終わればいいの二』


私は暗闇にいたもう一人の私と場所を入れ替える。


そうして私たちは入れ替わる。





浜田 薫 side


今話している左の少女、背は低いが体つきがいい。

顔立ちは人懐ひとなつっこい感じで少し猫背になっている。ただ話し方のせいか僕には少し根暗な印象を与えた。


「替わります」


安来さんはその言葉を最後に目を瞑る。十数秒後に目を開くと自分の膝の上に乗せていた両手を机の上に持っていき、肘をつきつつ五本の指同士を合わせた。


「はい替わったヨ。二人共初めましテ。私からはあまり言う事はないかナ。あと数時間の命だしネ。まあ私に聞きたいことがあるならヒーちゃんに言っテ。ハイこうたーイ」


急に性格が変化して驚いた。それに同じ声でも少し鼻声だ。普段は自分が驚かれているだろうと思うと少し面白い。

安来さんと松江さん、二人とも後天的に生まれたにしては性格が違う。安来さんは明るい性格を松江さんは暗い性格を生んでいる。

生まれ方が違うのかなどと考えてると比奈の人格が再び元に戻る。


「…あの子が何言ったのかは分からないけど、私も松江さんと同じで自分たちの事は決めてるので大丈夫です。それと一応言わなければならないんですが私達の人格交代権限は時間帯で変わります。具体的には午前と午後です。そして今はあの子が持っています。ですので私が薬を飲んですぐに人格を替えてあの子を殺すことはないとだけ話しておきます。」


ふーん。変わった仕様だなぁ。時計を見ると午前十時を回っていた。

自分の手を膝に戻した比奈が自分の番は終わりとこちらを向く。


「最後に僕ですね。名前は浜田はまだかおる。中学三年生。僕たちはまだどちらの人格を残すか決めてません。無理して消す必要はないとも思ってますけど、折角消すことのできる薬がもらえるって話だから応募してみました。それに僕たちはお二人と事情が少し違うので色々話がしたいと思っています。僕たちは先天的な二重人格です。生まれた時から二人でした。もう一つ言う事がありますが見てもらった方が早いでしょう。では呼んできます」


それだけ言うと自分の中にいる自分に意識を集中させる。次の瞬間には一つだけ窓の付いた明るい部屋にいた。そのまま窓の先の暗い部屋に向かって呼びかける。


『おーい。君の番だ。交代してくれ』

『私の事は何か言ったぁ?』

『まだ何も言ってない』

『そぉ。ならちょっと相談してくるぅ』


僕と彼女は部屋の明かりを入れ替える。


そうして僕たちは入れ替わる。





松江 鈴 side


私は驚いていた。右の彼女は私と同じ後天的と言っていたが、左の彼は先天的なものらしい。


私は四年間だけ。でもこの人は十年以上ずっと二人で生きている。それがどれほど難しいことなのか私には想像もできない。


「では呼んできます」


それだけ言うと、彼は組んでいた腕をほどき机にうつ伏せに寝る。十数秒で起き上がると雰囲気が明らかに変わっていた。右手を頬に当て少し首をかしげつつ口を開く。


「どうも初めましてぇ。私がもう一人の浜田薫ですぅ。ちょっと驚くかもしれないけど私は女なのぉ。ずっと自分は女だと思って生きてきたわぁ」

「「え」」


先ほどとは違った甘ったるい口調に驚く。生まれた時から二人でその上性別すら違うのか。


「まぁ驚くわよねぇ。確かに体は男よぉ。あっちはそれが普通に思ってるけど、私には今でも違和感だわぁ。正直私はこの体じゃ生きにくいのぉ。だからずっと誰かに相談したかったのぉ。私はどうすればいいと思ぉう?この体を受け入れて生きた方がいいかしらぁ?それとも彼のために消えた方がいいかしらぁ?」


いきなりのカミングアウトに動揺したが、それでも頭のスイッチを切り替える。私だってこの病気の事を誰にも相談できなかったはずだ。だから真剣に考える。

私ならどう思うだろう。自分らしくいられない体で生きたいと思うのか…


「確かにあちらにとって貴女は邪魔な存在でしょう。でもそれは私たちにも言える事です。貴女が生きたいと感じるなら薬は飲まない方がいいと思います」

「私も松江さんと同じ意見ですね。それに浜田さんは私たちと違って同時に生まれてきた。なら貴女の意見は彼と同じくらい尊重されるべきでは?」


二人のアドバイスに対して薫は何か考える素振りをする。童顔なので鈴は話していてもあまり違和感がなかった。


「私が生きたいかかぁ…でも彼は体が男だから自分が優位だと思ってるわぁ。それは私もでこのままじゃ恋人一人作れなぁい。そして私自身彼には遠慮があるのぉ。そういう意味でも今のままは少し生きづらいわぁ」


自分の体なのにもう一人の体でもある。それ以前に相手側も二重人格と知ってそれを受け入れてもらう必要がある。普通の恋愛なんてできるはずがない。


「なら中の私と話してみます?これから消える側の気持ちというものも参考になるかもしれません」


鈴がそう提案した。


「確かに聞いてみたぁい」

「では私の方も替わりますね」


そうして二人は目を瞑った。











??? side


二人が目を開けると薫の笑顔があった。


「二人とも相談に乗ってもらってありがとぉ。おかげさまで上手くいったわぁ」

「いえいえ提案した甲斐がありました」

「お礼はあの子に。解決したのはもう一人の私ですから」

「なら四人のおかげねぇ」


二人共同じ境遇の人の問題が解決できたことがうれしそうだった。


「では問題も解決したのでそろそろ薬飲みますか。安来さんもいいですか?」

「そうですね。あの子に聞いてみます」


少しすると比奈は明るい性格の方に交代した。少し時間が掛かったので中で何か話していたようだ。

鈴と比奈の手元にはそれぞれ茶色い瓶が置かれている。見た目はファイト一発でお馴染みの栄養ドリンクと変わらない。ただラベルは英語表記で何が書かれているかは分からず、それだけがこの薬が普通のものでないことを主張していた。


「では飲みましょう」

「そうネ。こういうのは勢いが大事ヨ。パパっと済ませよウ」


比奈が鈴の背を押すように言う。


「二人とも本当にありがとぉ。私が生きていけるのは貴方達のおかげよぉ。いなくなっても絶対に忘れないわぁ」

「もうお礼は聞いたヨ。それ程言うなら私がいなくなっても私の事よろしク」

「私の方もです」

「それはこっちもだからぁ。もう一人の貴方達にはお世話になるわぁ」

「それもそうだナ」

「ですね」


三人で少し笑った後、鈴と比奈の二人が同時に瓶の蓋を取る。そして比奈が間髪入れない様に大声を上げた。


「じゃあカンパーイ」

「乾杯」


最後にもかかわらずそんなことは感じさせない雰囲気で瓶をそれぞれの口元まで持っていき、そのまま瓶の中を飲み干す。鈴は肩を震わせてから顔をうつ向かせる。比奈の方は飲み終えると机に突っ伏した。





鈴は冷めた表情だった。比奈はゆっくり顔を上げて最後に苦し気な顔になる。それはどこか驚きの顔にも見えた。それから十秒意識が無くなったかのように二人とも動かなかった。





鈴が先に起きて椅子に座りなおした。手を膝に置き指を組んで背筋を伸ばす。

一泊置いて比奈が机から起き、机の上に肘を置き両手の五本指を合わせた。


「おはよぉ。気分はどぉ?ちゃんと薬は効いたぁ?」


薫がまくし立てる。

鈴は仮面の部屋に入れなくなっていることを確認した。いつものように自分の中に入ろうとしてもうまくいかない。


「はい。私の方は何の問題なく薬は効いたみたいです。体調も普通です」

「私の方もうまくいっタ」

「それはよかったぁ」

「これで一人になったのでしょうか。少し実感がわきませんね」

「そうネ。でももう一人のためにもこれからは生きてくワ」



三人は揃って期待と寂しさが顔に現れていた。それでも誰も後悔していないのは明らかだった。




白で統一された部屋で、机の上のの茶色い瓶だけが目立っていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る