その6

 大河内老人はベッドに横になったまま、俺が回したICレコーダーを、天井の一角の更にその上・・・・つまりは空の高いところを見つめるような目つきで聞いていた。

 彼女の話が終わり、俺がスイッチを切ると・・・・・

『間違いない・・・・初代の声じゃ』そういって、ほうっと息を吐いた。

『彼女は、どんなだったね?』

『綺麗でしたよ。昔のままとはいわないが、80代とはとても思えませんでした』

『意外だな、君のような人間でも世辞を言うのか?』

老人は軽く笑った。

『私は探偵ですよ。世辞なんかいいません。見たままを申し上げているだけです。』

老人は目を閉じ、何かの余韻に浸っているような顔をした。

暫くすると、音もなく襖を空け、この間の看護師が入ってきた。

襖を閉め、俺の前に朱塗りの盆を置いた。

そこにはこの間と同じく、

『6』の後ろに5桁の0がついた小切手が1枚載せられていた。

いや、数字は『6』ではなく『8』だった。

『これは?』俺が訊ねると、老人は自ら身体を起こしてベッドに腰かけ、俺の方を見つめ、皺枯れた声で、

『ご苦労さんついでにもう一つ頼まれてくださらんか?なに、そんなに難しいことじゃない』


その映画館は東京郊外のH市にあった。

かつては結構繁盛した小屋だったらしいが、数年前に持ち主が無くなって、閉館になっていたところを老人が買い取り、内装も外観も多少の手を加えただけで、殆どそのままの状態で営業をしている。

いや、

『営業』というのは正確じゃないな。

誰でも彼でも入れるというわけじゃない。いわば老人が経営している、会員制の映画館と言ったところだ。

単に金を払えば誰でもというわけでもなく、老人が『これは』と見込んだ映画ファンだけが観覧できる仕組みになっているそうだ。

そのせいか、会費を取るだけで、入場料は一切無料だ。

『幻燈館』という、いかにもという小屋の名前も、老人が自らつけたのだという。

洋画、邦画などにこだわらず、あちこちの名作をかけているのだ。

フィルムは殆ど老人の個人的趣味で集めたものらしい。

普通ならこんなことはとてもじゃないが許されないのかもしれないが、そこは海千山千の彼のことだ。

どうにかして胡麻化しているんだろう。

その日・・・・良く晴れた日曜の午後の事だった。

『幻燈館』には、

『新日本映画、風見初代主演映画、特別上映会』という看板が出ていた。幾ら戦後、映画産業が娯楽の花形だった一時代を築いたとはいえ、今では余程の映画マニアでなければ、風見初代の名前なんて、誰も知りはしないだろう。

案の定、その日幻燈館には一人の会員も来ていなかった。

俺が正面玄関の前で待っていると、黒塗りの大型リムジンが横付けになり、まずあの看護師が下りてきて、ついでステッキをつきながら、アスコットタイにツイードのスーツ姿の大河内老人が姿を現した。

『待ったかな?』

『いいえ、それより他の会員は?』

『誰も呼んどりゃせんよ。今日は儂らの貸し切りだ。それより、君の方の準備は出来ておるかね?』

『大丈夫です』

俺の答えに満足したように、彼は看護師と運転手に外で待つように言い、先に立って劇場の中に入っていった。

96歳とは思えない足取りの軽さだな。俺は思った。


劇場の中は、まさしく昭和の『映画館』そのものだった。

客席はおよそ200あるかないかといったところだろう。

俺と大河内老人は後ろから二番目の、ブルーのシートが被った席に腰を下ろした。

彼曰く『儂は若い頃から、そして自分で会社を持って映画を撮るようになってからも、ずっとこの席で観てきたんだ』自慢げにそう語った。

間もなく、ブザーが鳴り、最初の一本が上映され始めようとした、その時である。

俺たちが座っている真後ろの扉が開き、誰かが入ってくる気配があった。

藍色に白い花模様を浮かせた訪問着を着ている。

その人物は黙って老人の左隣(俺は右隣に坐っていた)の座席に腰を下ろした。

『お早うございます。先生』

 少しかすれているが、張りのある声だった。

 そこにいたのは、間違いなく、風見初代だった。

『初ちゃんか・・・・』

『久しぶりに外の空気を吸いに参りましたわ』彼女はにっこりとほほ笑んだ。その笑顔は、映画館の暗闇の中でもはっきりと分かるくらい際立っていた。

最初の一本が始まる。

タイトル・ロールとクレジットが流れ、音楽と共に彼女の姿が銀幕に浮かび上がった。

俺は大河内老人にそっと、

『では、私はこれで、後はお二人でごゆっくり』

 と、小声で告げると、ポケットに手を突っ込んで立ち上がった。

 若き日の風見初代の可憐な姿をバックに俺は外へ出た。

 と、後ろを振り返ってみる。

 老人の肩に、かつて

『銀幕の乙女』と言われた彼女が、頭を持たせかけているのが見えた。


                            終わり

*)この小説はフィクションであり、登場人物、場所、その他全て作者の創造の産物であります。

また、作中で取り上げました、

『持続性性喚起症候群(PSAS)』につきましては、自分で調査出来る範囲内での表現にさせて頂きましたが、もしも誤解がありましたら、その点はご容赦頂きたいと思います。






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幻燈館特等席 冷門 風之助  @yamato2673nippon

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