その5
似たような現象はその後何度も、特に撮影の度に起こるようになった。無論当時の映画である。別に際どいシーンなどあろうはずはない。
せいぜい相手役の男性と手を握るか、その程度のものであった。
いや、そういうシーンであろうがなかろうが、普通の何でもないカットであろうが、所謂『絶頂感』というものに間段なく襲われるようになったのだそうだ。
生娘である自分には全く何が起こったのか見当もつかなかった。
『勿論、当時はそんな病気、まだ発見されていませんでしたからね。誰にも話すことは出来ませんでした。でも映画の仕事が忙しくなるにつれて、そうした感覚は激しくなってきました』
仕事に差し支えないように、自分で自分を慰める方法を覚えたのも、そんな時だった。
医師に相談もできない。相談したところで分かって貰えるはずもない。
『私は変態にでもなってしまったのだろうか?本当にそう思って夜も眠れない毎日を過ごしました』
このままではいずれ何処かから漏れて、あらぬ噂を立てられてしまう。そう思って、18本目の作品を取り終えて間もなく、引退を決意したのだという。
『で、その後どうなさったんです?』
『映画で蓄えたお金で、何とかこの土地と家を手に入れました。結局、結婚もしませんでした・・・・誰と結婚しようと、誰とお付き合いさせて頂こうと、理解していただけるはずはない。私はずっとこのまま忍ぶしかない。そう思って暮らしてまいりました』
漸く落ち着き始めたのは、閉経をしてからだという。
無論完全に開放されたわけではなかったが、それでも以前のような生活に支障を来すというほどではなくなった。
それからというもの、自分が何故このような身体になったのか、突き止めてみるしかない。頼れるのは結局自分自身だけだ。そう思い、必死に勉強をし、通信制高校を卒業し、そして大学に入って心理学の勉強もした。
そのうちに海外の文献などを読むようになると、自分がこの病気ではないかと思うようになった。
しかしその頃はまだ公に存在が発表されてはいなかったので、医師に相談しても具体的には判別が出来なかった。
それに、である。
こうした心の病というものは、外見が普通の人間と変わらないため、なかなか第三者に理解してもらえることは難しい。
当の医師でさえ、完全には受け入れてくれたかどうか疑問だった。
『病気って、そういうものなんですよね。本当にその病気の辛さや苦しさというのは、分からないものなんですのよ』
俺は何度かICレコーダーのスイッチを切ろうとしたが、彼女に止められた。
『貴方はご自分の仕事をなさるべきですわ』
実にきっぱりとした口調だった。
なるほど、そうかもしれない。
プロを自称している俺が、甚だ情けない話だ。
勿論今ではこの病気に悩まされることも殆どなくなった。それどころかpsasについて知られるようになってから、心療内科で治療も受けられるようになったという。
『でも、やっぱり昔の人間ですのね。自分がかつてそんな病気だったなんて、やっぱり公には出来ませんでした。でも、貴方が社長の御依頼だと聞いて、お世話になった方には知って頂きたかったんですの。それだけです』
『それじゃあ、この録音と報告書を、大河内社長にはお伝えしていいんですな?』
彼女は大きくうなずいた。
『分かりました。私は私の仕事を全うします。』
それでは、といって、俺が立ち上がり、帰ろうとした時、急に彼女の体温と香水の匂いを背後に感じた。
『・・・・いやね。こんなお婆さんなのに、若い殿方が側にいらっしゃっただけで・・・・』彼女は背後から俺を抱きしめ、暫くそのままでいたが、やがて体を細かく痙攣させた。
『何もなさらなくてよろしいのよ。ちょっとの間、このままで・・・・』
俺は黙って立ち尽くすより他に手はなかった。
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