その4
室内は彼女の性格そのもので、きちんと掃除が行き届き、どこもかしこも整理整頓がなされていた。
『今日は家政婦さんがお休みなんですの。片付いていなくてごめんなさい』
彼女はそういって、俺を大きな卓子のある六畳ほどの和室に通してくれた。
『今、お茶を淹れてきますから』
間もなく、彼女は丸い盆に載せたお茶を運んできてくれ、俺の前に置き、自分はその向かい側に坐った。
何気なく部屋を見渡してみる。
和で統一された、実に見事な部屋だ。
ラジオは30年ほど前の随分クラシックなものが一台、電話も黒電話ではないにせよ、お世辞にも最新式と言うわけでもない。
テレビも置いていない。
ただ、妙に目を引くのは妙に大きな本棚、それも並んでいるのは医学書ばかりである。
『貴方がお出でになった訳は分かります。』
風見初代・・・・いや、本名は小出ハツという・・・・は、テーブルの前の湯飲みを手元に引き付けて一口飲んでから話し始めた。
『何も告げずに引退した訳をどうしても知りたいから聞いてきて欲しいって、大河内さん。社長に依頼されたんでしょう?』
『その通りです』
俺は傍らのバッグからICレコーダーを取り出すと、卓子の上に置いた。
『PASSって、御存知?』
80過ぎの老婦人の口から、いきなり横文字が飛び出したので、俺はいささか面食らい、口をあんぐりさせた。
『どこかで聞いたような気がしますが・・・・』
『persistent sexual arousal syndrome、日本語で言えば「持続性性喚起症候群」ともいうの、最近では・・・・ちょっと下品になって「イクイク病」ともいうんですってね』
俺はぽかんと口を開けたまま、数秒間何も言えなかった。
『これでも勉強したんですのよ。女優を止した後、通信教育で高校を卒業し、そして大学も出たんですの。』
『思い出しました。確か自分では意識せずに、勝手に絶頂感が起こる病気だとか』
『そうですわ。病気のことが分かるようになったのは、それほど昔じゃありません。確か二十一世紀に入ってから、だから未だに原因も治療法も分からないんですのよ』
『で、それが貴方と何の関係があるんです?』
俺の問いに、彼女は再び湯呑を取って茶を飲み、頭を上げた。
『私がその病気だったと申し上げたら、貴方どうお思いになる?』
慌てた俺は、口に含んだ茶を、思わず吹き出しそうになった。
『最初に気づいたのは、映画界に入ってしばらくのことでした』
そう前置きして、彼女はぽつぽつと昔語りを話し始めた。
デヴュー作がクランク・アップする直前のこと、丁度クライマックスのシーン、相手役の男優と抱き合って、別れを惜しむというところで、監督の『ヨーイ。スタート!』という掛け声がかかると同時に、彼女は脳天に突き抜けるような衝撃を受けた。
まだ処女であった彼女は、それが一体何だか見当もつかなかった。
しかし、撮影が終わって楽屋に帰ってみると、着物の下に付けていた下着(勿論今のような洋風のものではなく腰巻であったが)が、じっとりと湿っていたのである。
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