その2

『たったの十九本だよ』

彼は少しせき込んでから、後を続けた。

『彼女の主演作は撮れば何でも大当たりだった。メロドラマ、チャンバラのない時代劇・・・・何をやらせても、あれほどの女優はそうはいまい。このまま順調に行く。そう思った矢先だった。』

老人はほうっと深くため息をついた。

『ある日、突然撮影所の所長から儂に電話がかかってきた。彼女が女優を引退したいと言っている・・・・とな』

『儂もすぐさま撮影所に行き、彼女に訳を聞いた。しかし彼女は「待遇にも不満はありません。女優というお仕事も好きです。でも、これ以上この世界にいては皆さまに大きな迷惑おかけしてしまいます・・・・良くして頂いて大変心苦しいのですが、最初で最後のわがままです。承知してくださいませ」そう答えるばかりだった』

 彼女の意志は固く、誰が説得しても無駄だった。

『十九本目のシャシンを引退作として、彼女は映画界だけじゃなく、芸能界からもすっぱりと身を引いてしまったのだ』

最後の作品は、本格的な時代劇、木曾義仲の愛妾であった巴御前を主人公にしたもので、もう独立主権を回復した後だったから、占領軍の顔色など気にせず撮ることが出来、可憐な彼女が大鎧に薙刀を構えて荒武者相手に大立ち回りを演じるさまは、多くの観客に『新しい時代』の到来・・・・つまりは女性の活躍を印象付けるものになった。

 大河内老人の映画会社は、風見初代あってのものだった。従って彼女がいなくなってしまえば会社として存続するのも難しい。

『何しろちょうどテレビっちゅうもんが出来て、映画も斜陽産業になりかかっておったからな・・・・結局それから10年も持たずに会社は倒産・・・・いや、というより、大手の某社に吸収されたという方が話が早いかな。儂ももう映画製作に対する情熱も未練も無くなっておったから、猶更じゃよ』

映画会社は売却したが、その後もレジャー産業などで地道に業績を伸ばして、今に至るというわけだ。

老人はナースの方を向いて目配せをした。

すると彼女は枕の傍らのサイドテーブルの引き出しから、一冊の古い映画雑誌を取り出してきた。

『今から十年ほど前かな・・・・その雑誌が風見初代の特集を組んだ際に、彼女の消息について、スクープをしてくれたんじゃ』

俺はナースの手からその雑誌を受け取り、付箋が貼ってある頁を繰ってみた。

そこには彼女の主演作品についての論評と共に、引退後彼女が京都の嵐山で暮らしている最新の写真(といっても十年も前の話だが)を添えて書かれてあった。

 記事によれば彼女は現在も一人で生活をしており、結婚歴もないという。

 ただ、インタビューについては『もう過去の話ですから』と、頑なにこれを拒んだという。

 風見初代は、70数年前の面影と、殆ど変わってはいなかった。

 無論、年はとっている。

 しかし色白で可憐な面影は、多少しわが増えたという程度にしかみえない。

『で、私は何をすればいいんです?』

『彼女の元を訪れて、彼女のあの時の真意・・・・何故突然引退したか、それを確認して貰いたいんじゃ。』

『本当に、それだけですか?』

『本当に、それだけじゃ。他意はない。それが分からんければ、儂はこのまま墓に入ることさえ出来ん。そのためなら120万なぞという金、惜しくも何ともない。』

『引き受けましょう』

 俺はそう言って、目の前の盆の上の小切手を手に取り、ポケットに入れた。

 

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