幻燈館特等席

冷門 風之助 

その1

 座敷は二十畳はたっぷりある。俺は床の間に掲げられた横山大観の富士の掛け軸を眺めながら、さっきから座布団の上で、身体をもぞもぞさせていた。

 日本座敷に慣れていないわけじゃない。

 武道を少なからずやっていたくらいだから、正座だって別に平気である。

 しかし、床の間の前にしつらえた介護用ベッド。そこに横たわった枯れ木のように痩せた老人、傍らに侍っている白衣姿のお抱えナース・・・・こうした雰囲気がなんとも俺を落ち着かない気分にさせるのだ。

それと、俺の目の前に置かれた漆塗りの盆、その上に載せられた小切手・・・・

『6』と書かれた後にゼロが5桁並んでいる。

金額に飲まれたわけじゃない。

しかし、見慣れない数字というのは、やはり目の毒だ。これもまた、俺を動揺させる要因である。

芝白金といえば、昔から金持ちが住む街と相場が決まっているが、ここはその中でも特に際立ってでかい屋敷で、建坪だけで恐らく五百はあろうかというところだ。

『それは前金です・・・・無事に依頼を成し遂げて下されば、更に同じだけの額の小切手をもう一枚進呈しよう』

老人はナースにベッドをギャッジアップさせ、上体を起こした。

確かに痩せてはいるが、決して病的とも思えない。

彼は御年92歳、四国の田舎から裸一貫で上京し、映画のフィルム運びを振り出しに、映画館を幾つも経営。更には独立系の映画会社を興し、個人資産だけでも縦に積めばスカイツリーなど軽く越すほどの札束を持つ大富豪にのし上がった。

 大河内鉄三郎・・・・そういえば今では誰でも知っている。

『一日6万のギャラに必要経費、仮に拳銃のいるような仕事であれば、危険手当としてプラス四万円の割り増し。それだけあれば充分です』

俺は小切手から目を逸らし、努めて平静を装いながら言った。

『お楽に』という老人の言葉を待たずに、座布団の上で胡坐をかく。

『わしの経歴は御存じじゃろう?』

『無論、これでも探偵ですから』

 大河内老人は更に身体を起こし、ベッドの端に腰かけた。

 白衣を着た女が、黙って彼にガウンを着せかける。

『なら話は早いな。』

 彼はそう言って、ナースに合図をした。待つまでもなく、彼女はいつの間にか手箱を老人の前に差し出して蓋を取った。

 中から出てきたのはセピア色の写真・・・・和服姿の女性が籐椅子に坐り、まっすぐこちらを向いて軽く微笑んでいる。

 昨今、すっかり絶滅してしまったと思われる『清楚』という言葉が当てはまる、そんな女性だった。

 山本富士子の鼻を今少し低くして、

地味にしたような・・・・そんな感じがする顔立ちである。

(山本富士子?誰だ。それ)

 今の若い奴ならそういうだろうな。まあ古い映画雑誌でも見かけたらひっくり返してみるがいいさ。

『風見初代・・・・映画女優だ。知っとるかね?』

 老人はそう言って少しせき込んだ。白衣の女が背中を軽くさする。

『いえ、どこかで聞いたことがあるかもしれませんが。』

『知らんのも無理はない。それこそ彗星の如く現れ、彗星の如く消えていった女だからな』

 ようやく映画の製作がGHQによって許可された頃、老人は映画館こやの経営だけでは飽き足らず、既存の映画会社に対抗し、数名の仲間と共に新しい会社を興した。

 当たり前だが、まだテレビなどなかった時代の事である。

 国民にとって映画は、娯楽の第一位といっても良いくらいの存在だった。

 そんな中で、彼らのような独立映画会社が伍してやって行くためには、どうしたって目玉が必要になってくる。

 戦後の荒んだ世の中だ、どうしたって主役は男より女である。

 彼は目玉になる新進女優を探し回った。

 しかし当時は『五社協定』という、引き抜き防止の『鉄の規律』が存在したのだ。

 彼はその眼をかいくぐって、奔走した。

 その結果、ある一人の女優に目を付けた。

 彼女は当時、地方を回って歩く、つまりは『ドサ廻り』の一座にいた。

 とはいっても決して花形女優などではなく、そこでも一言二言セリフをいって、出番はそれでおしまいという、端役中の端役であった。

『確かに目立たなかった。古臭い例えかもしれんが、野辺にひっそりと咲くすみれの花・・・そう、そういう印象がぴったりだった。わしはこの娘に賭けてみよう。そう思ったのでね』

彼女はその一座の座長の末娘だった。

大河内老人は早速父親と母親を口説き、

『一年でお嬢さんを一流の映画女優にしてみせる』といった。

 決してホラではない。

 それだけの自信があったし、彼女にもそれだけの素質があると見抜いたのだ。

 両親は最初訝しげであったが、大河内氏の熱心な懇願に『それなら』と、やっと首を縦に振ってくれた。

『それからわしと、そしてわしの会社の連中は総出で、彼女を磨きに磨いた。時には今なら考えも及ばんほどの辛い目にも遭わせたこともあったが、彼女はそれに十分に応え、見事に立派な女優になってくれた・・・・それが、この風見初代というわけじゃ』

初代のデヴュー作は、なんて事のないメロドラマだったが、しかしこれが予想外の大当たりだった。

その後も半年に一本の割合で撮るシャシン、撮るシャシン、すべてが大入り満員だった。

一躍彼女は銀幕のスターダムに躍り出た。

男だけならともかく、女性のファンまで出来た。

 芝居は決して上手くはないが、努力家で、何よりも彼が見抜いた、

『野辺に咲く一凛の菫の花』・・・

その魅力が大勢の観客をとりこにした。

『しかし、その割には出演本数が少ないようですね』

老人は『お薬の時間です』という、ナースが差し出した盆から薬を口に放り込み、コップの水で喉に流し込み、

『消えたのだ・・・・』

ぼそりと答えた。








 



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