第4話

「アカリ。お前は何者なんだ?」


 実体のない幽霊ゴーストをも貫く白銀の愛銃が向けられたのは、流麗にたなびく真紅の長髪に陽炎を立ち昇らせる彼女。その身は細身ながらも、立ち昇る炎の姿からは猛々しさを感じる後ろ姿だ。


 だが、彼女は元からそうだったのではない。彼女はあの億劫なアカリが変化した姿なのだ。それも、彼女は触れられないはずの幽霊を素手で掴み、消滅させている。


 しかしブレッドの常識からすれば、それはあり得ない。


幽霊ゴーストは幽霊にしか触れられない。あいつらを昇天させるイかせるには、祓師のやつらが持つ霊力を込めなきゃならない。それをお前はぶん殴って消滅させるどころか……その姿、明らかに幽霊ゴーストに取り憑かれた姿だ。それも、あんな雑魚とは比較にならない強さの。」


 こういう揉め事は嫌と言うほど経験してきたブレッドでも、この程度の相手には足がすくむ。幽霊ゴーストが人に取り憑いたとしても、さっきの男のように半狂乱状態に陥るだけで、姿形まで変化してしまうようなのは、そもそも人間が手に負える相手ではない。


 そんなものを、なぜアカリが体に宿しているのか。


突きつけた銃口は、震えながら焦点を合わせている。


「答えろアカリ……お前は、人間と幽霊ゴースト……どっちだ!?」


ブレッドが叫んだ。引き金に当てた人差し指が、今にもそれを押し込みそうに震える。


しかし、そんな殺意は怯えでしかない。それを嘲笑うかのように、紅玉の長髪がそよ風になびいては輝きを放つ。


「……くだらない。」


「ぁあ!?」


背を向けたまま、彼女は答えた。


「私が幽霊なら、あなたはそれを撃つの?」


「……どういう意味だ?」


「それとも、私が幽霊ゴーストだから撃つの?撃てば弾丸が体を貫いて、彼が死んでしまっても?」


「……お前は誰だ?」


意味深な問いを立て続けにされたブレッドは、それがもうアカリではないことを確信する。


アカリから体を乗っ取った幽霊ゴーストは余りにも冷静で知的だ。それが余計に、ブレッドには驚異に映る。


「……あなたはわかっているはず。その弾丸が私を貫けないことを。あなたじゃ私を止めれない事を。」


「質問に答えろ!!お前は何者だ!?」


じゃきっ、と金属の噛み合う音と共に再び銃口が構え直される。額に汗が滲み、もみあげに玉汗が滴るほど、張り詰めた緊張感が神経を研ぎ澄ましていく。


焦りの募るブレッド。視界の霞む感覚が集中力を奪っていく。


「……私はフィア。誰も知らない、生きた憎悪と復讐の火種。」


フィア、そう少女の幽霊が名乗った瞬間に立ち昇る熱気。いつの間にか赤褐色の炎が辺りを埋め尽くしていた。


「街が……!!」


その瞬間、ブレッドの注意が逸れた。その隙を見逃すはずもなく、フィアは残像と火の粉を残して赤レンガの屋根へと飛び移る。


「待て!!どこにいくつもりだ!?」


ブレッドは構えた銃の引き金を引こうとした。だが引き金に指がかかったその時、金縛りにあったかのように全身が強張り、固まってしまう。


フィアは言っていた。もし弾丸が貫けば、そもそもの本体であるアカリの体もダメージを受けてしまう。当たりどころが悪ければ即死もある。


「……くそっ!!」


安易にフィアを攻撃することはできない。その場に取り残されていた幽霊ゴーストに取り憑かれていた男に駆け寄ると、外傷は見当たらない。


そして気づけば、自分を取り囲んでいたはずの炎が綺麗さっぱり消えている。熱気も無い。それどころか、派手に燃え散らかしたはずなのに焦げ跡すらもない。


「あいつの炎はどういう仕組みなんだ……。」


ブレッドは幽霊ゴーストと対峙したことは幾らでもあるが、フィアほど強力な個体は経験がない。彼女の力は未知数だ。


とにかく、場が荒れていないことが幸いだ。男を若妻に預けて、飛び去ったフィアの背中を追う。


「お前らはさっさと家に帰れ!他の幽霊ゴーストの動きも怪しい。そいつみたいになりたくなけりゃ大人しくしてろ!わかったな!?」


フィアが飛び去った方向から、次々と悲鳴が上がっている。胸騒ぎを抑えつつ、ブレッドは通りを駆け抜ける。


回転する脚、もつれそうになりながらも速度は落とさない。ブレッドには、この街で幽霊たちと戦う理由がある。


祭りで賑わっていた昼下がり。それも戦場と化せば静まり返る。絶えず聞こえる悲鳴、炎は尚も宙を舞う。


「よりにもよって「祈願祭」にこれってのが笑えねぇんだよ……クソッ!!」


焦り、怒り、身を焦がすような烈火の感情が溢れ返って落ち着かない。置物や踏み台を足がかりに、屋根伝いにフィアの後を追う。


これ以上、この祭りを荒らさせるわけにはいかない。特に虚無ファウストの一部である幽霊ゴーストには……。


屋根を登った時、その紅蓮の背が見えた。


「フィア!!」


叫ぶブレッド。フィアは気にも留めていない様子で気づいていない。何をしているのかといえば、何かを左手に持って掲げている。


やがてそれが、口から泡を吹いている若い女だと気づいた。首を手で締め付けられ、苦しそうにもがいている。


「その手を離せ!フィア!!」


白銀の銃を構え、狙いを定めて引き金を引いた。当てるつもりはない、威嚇射撃だ。


弾丸は真っ直ぐに飛び、腕を掲げるフィアの頬を掠めた。


「ん……あぁ、ブレッド……だっけ?」


フィアはまるで怯みもせず、追ってきたブレッドと対峙する。


左腕に握られた女性を離す気配は無い。


「次は当てる。……その人を離せ!」


「……よく見て、幽霊だよ。」


フィアはそう言うと、ぶら下げた女性をブレッドに見せつける。気を失っている女性の背後に、確かに白いモヤのようなものが力なくヘロヘロと笑っている。


どうやらフィアは幽霊を退治しているつもりのようだ。確かにこの場も、炎による焦げ跡はない。


だとしても、それで何もないとはならない。


「だとしても首はダメだ!被害者が死ぬ!」


言われて、確かにそうだ。人は首を絞めれば死んでしまう。幽霊のフィアではそんな事にも気づけなかった。


「それもそうだね。」


納得した様子で、女性がフィアの手から離れようとした。その刹那だった。


ボシュウウウウウウウウッッ!!


突如として噴煙が、女性の顔面を焼き尽くした。胴体は力なく横たわり、辺りに炎が散乱する。


「ッ!!?」


ブレッドの目の前で、火柱は容赦なく女性の顔面を包み込んだ。飛び散った炎の後に隠れて見えないが、誰が見ても死んだとわかる一撃。


抑え込んでいたブレッドの感情が、爆発する。


「フィィィアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」


 叫び声と共に二発、銃声を置き去りにした弾丸はまっすぐフィアの急所を狙って放たれる。だが、


「さっき言った。」


 フィアの正面を炎の盾が覆い、弾丸が当たったかと思えば瞬く間に飲み込まれ溶けていく。赤々と発光したどろどろの鉄は、じゅわりと舗装された道を溶かしてこべりつく。


「そんなもの、効かない。」


 無機質に言ったフィアが炎の盾をしまう。しかしその陰からは、無謀にもブレッドが握り拳を抱いて駆けてくる。


 虚を突かれ、フィアの思考は硬直する。


「ウオオオオオオオオオッ!!」


 左足で踏み込みながら腰をひねり、全身の力が乗った勢いのある右ストレート。怒りや悲しみ、使命感や正義ものせた一撃がフィアの眼前に迫り、


 彼女の鼻緒を捉えた。


 ふわり。


「ッ!!?」


 勢いそのままに振り抜かれた握り拳は、虚しくフィアの顔をすり抜けて、行き場を失った力もそのままにブレッドの体勢が大きく崩れた。


 その無防備な背中に、裏拳が叩きつけられる。


「があぁっ!!」


 バランスを取り戻せなくなった体はそのまま前に倒れようとした。だが直後に下から打ちあがった膝蹴りが、ブレッドの鳩尾を強打する。


 倒れ込んだ勢いと膝蹴りの反動で、前かがみによろめくブレッドの体。そこに、とどめと言わんばかりの鉄拳が、炎を逆噴射した推力を乗せた一撃が、無防備に丸まった腹にねじ込まれた。


「ッ!!…………ッァア!!」


 呼吸を塞ぎこまれたような、喉に溜まった空気を絞り切り出される声とともに、ブレッドは体二つ分吹き飛ばされ、力なくどさりと放り出された。


幽霊ゴーストには触れられない。……あなたが彼に教えたんでしょ?」


「ぅ……るせぇ……っ!!」


 鳩尾を叩かれ、横隔膜が機能しないのでは満足に息もできない。それでも自分を侮っているフィアに、ただ黙っているだけのつもりはない。戦うだけの気力と理由が、ブレッドにはある。


「あなたは私を殺せない。彼……アカリを殺しても私は消えない。あなたには私と戦う理由はない。それなのに、どうして私に銃を向けるの?」


「うるせぇなぁ……お前に無くともあたしにはあんだよ。お前ら幽霊ゴーストに両親を殺され、この街に居場所を奪われ、ずっとお前らを憎んできた!!」


 今ブレッドにあるのは、この街を守るための大義でもなければ大志でもない。自身の大切にしてきたものを全て、彼らに奪われたことへの憎しみ。その怒り。


「お前らはいつもそうだ。こっちが手ぇ出せねぇからって好き勝手しやがりやがって……。」


 戦う理由、その意志が全て込められた銃弾が、失くした父の形見であるこの白銀の銃だ。この銃に誓った、必ず仇を取ると。それに生涯を捧げる、と。


 フィアの顔も見ず、ただ正面に向かって構えられた銃口。


「少しは……人間様の痛みを知れェッ!!」


 力を振り絞り、白煙を拭きながら撃ち抜かれた。


 真っ直ぐ放たれた銃弾は一目散にフィアへと向かって駆け抜け、


 その頬を、掠めて過ぎ去っていった。


「…………。」


 瞬きなどしない。当たらないことはわかっていた。だが膝を折りうなだれてもなお、自分に銃口を向け戦う意思を示す。そんなブレッドを、フィアは目を逸らせないでいた。


 彼女が何を背負い、今日まで戦い、生きてきたのか。


 少し、興味が湧いた。


「……勝手なのは、」


 フィアが呟いた。銃声ののちの静寂を切り裂くような第一声に、ブレッドの耳がピクリと反応する。


「勝手なのは、人間達ジブンタチも同じ。あなた達はなぜ、幽霊ワタシタチ幽霊ワタシタチになったのかを、まるでわかろうともしない。」


 その言葉に、飛びかけていた意識が覚醒した。


「彼に取り込まれて少し冷静になれた。私は知ってる。私がどうして幽霊ゴーストになったのか。私が何をしたのか。私は……。」


 フィアの橙色の澄んだ炎が揺らめきながら、彼女の真紅の瞳が物憂げに、何かを見つめていた。


「どうして……私、こんなになっちゃったんだろう。」


 彼女に見つめられた、ゆらゆらと陽炎が揺れる灼熱の掌に、何かが落ちた。


 きらきらと光っては頬を伝い、玉のような滴が落ちては沈む。紛れもない、彼女の瞳から零れ落ちた涙だった。


「なん……だと……?」


 ブレッドの目に、その涙は確かに映っていた。だがありえない。幽霊が感情を持ち、思考し、涙を流すだなんて聞いたこともない。だが彼女は、確かに自分を幽霊だと認識し、自分を憂いで泣いている。


 もはやブレッドの中にある常識では、彼女の存在は理解し得ないものと化していた。


「どういう意味だ?」


「……時間切れ。そのうちにわかる。わかっても、きっと受け入れられないだろうけど。」


 時間切れ。彼女がそう言った途端に、彼女を包んでいた炎が徐々に熱気を失っていく。やがて水蒸気が上がったような白い煙が彼女を包み込むと、その煙の間を引き裂くように、人の体がばたりの倒れ込んだ。


「あ、アカリ…………ッ。」


 ようやく見覚えのある顔が戻ってきたと安心すると、途端に全身を激痛が襲う。


「くそ……ふざけんな……っ。変なことばっか言いやがって……っ。」


 なす術もなくボコボコにしておいて、好き放題言っておきながら気絶しているアカリに向かって、ブレッドはせめてもの皮肉を贈って、


 そこから先は、二人ともよく憶えていない。

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