再び支店
支店の店長は相変わらずだった。
朝の釣り銭を入れる時になって、ああ、またこの生活が始まるのか。。。と思った。
まともな釣り銭が入ってるのは稀だった。
たまに店長あてに電話が来ると、留守だと言ってくれと言う時があって、須藤さんによると、どうやら携帯で競馬をやっていて、借金とりからの電話らしいと言う事だった。
以前黒ずくめの男の人達に車で連れて行かれた事があって、店長が連れて行かれた。どうしようと心配してたら、無事に帰って来た事があったとか。。
次連れて行かれたらもう無理かも。。。
須藤さんは何だかんだ言いながらも店長の事を心配していた。
店長がお風呂に入らず半年ほど経った頃には、店は私が見てるからお風呂に行って来て。と無理矢理行かせてもいた。が、身体は綺麗になっても服は洗濯してないから、やっぱり臭さは取れなかった
そんなある日、店長が珍しく
「1万円札あるか?」と聞いてきた。
私は両替しに行ってくれるんだ。珍しい事もあるもんだと思って、
「あります。両替ですか?よろしくお願いします」と言って3万円渡したら、
「ああ、行ってくる」と行って店を出ていった。
その後帰る時間になってもお金は戻って来なかったけど、まぁ、店長だし、あとで入れておいてくれるだろうと、一応点検を取ってから家に帰った。しばらくすると、須藤さんから電話がかかってきた。
神崎さん。あのね。3万円どうしたか知ってる?」
「3万円、店長に渡しましたけど、店長いないんですか?店長は何と言ってます?」
「わかった。神崎さん。大丈夫だから。とにかく1回切るね。後で話すから」
私は何が何だかわからず、しかも今回はお金の事。他の事は我慢出来てもお金の事は我慢出来ない。落ち着かない状況の中で、私はひたすら須藤さんからの連絡を待った。
その頃、店ではとんでもない事になっていた。店長の横領が見つかり、本店の店長らが嗅ぎつけてやって来たのだ。
その時に今日のレジの売り上げも見ていて、3万円が無いことを追求され、そこで私の名前が出たらしい。神崎さんが知っているから聞いてくれと。。
でもそこに須藤さんもいたので、
「神崎さんはそんな事しない!」と私をかばってくれたらしい。
その日から店長がいなくなり、しばらくして新店長がやってきた。
今度の店長は2週間に1度、半日の休みが貰えるようだった。その時だけ代わりに本店から夜間店長が来る様になった。
半日の休みってどうなんだ、と思ったけど前の店長の事を思えばずっとマシなのか。。
それからは以前の様に怒鳴り声が響く事もなく、ようやく穏やかな毎日を過ごせる様になった。と思っていたのだが、そう長くも続かなかった。
店長がいきなり辞める事になったのだ。
他にやりたい事が見つかったらしい。
まぁ、ここの店長をずっとやっていく事を思えば、もっと休みもちゃんと貰える仕事を探した方がずっといいだろう。
本店からは、近いうちにまた店長になる人を連れて来るから、それまで須藤さんに店長の代わりをやってほしいと言われていた。しかし、支店の店長をやってもいいと言う人はなかなか現れず、そこから徐々に私達が追い込まれていく事になった。
須藤さんは今までの様に1週間に1度の休みが貰えず、2週間に1度、それも半日の休みしかもらえなくなった。それでも須藤さんは「神崎さんの休みだけはちゃんと確保するから」と、私達パートの休みだけは入れてくれた。しかも本店の様に勝手にシフトを組むのではなく、なるべく希望を聞いてくれて、1週間に1度でも、出来るだけ休みたい日に休めるようにするから。とまで言ってくれた。
自分だって休みが欲しいだろうに、その事についての愚痴は言った事がなかった。
今でもその事には感謝の気持ちでいっぱいだ。
その時の仕事の時間、本来なら9時から17時のところ、朝は7時半には出勤し、帰りは夕方須藤さんが本店に翌日の分のお肉を取りに行かなければいけないので、須藤さんが帰って来るまで店で留守番で、遅い時は19時を回る時もあった。差額は全てサービス残業でお金は入って来ない。
その全ての時間をお給料に換算するといくらになる事か。。。
初めの頃はいた青果担当の人も途中でいなくなり、最終的に店には須藤さんと私の二人になった。スーパーを二人だけでなんてやっていける訳がない。
須藤さんがたまに、以前務めていた人を手伝いで頼んだりしてくれて、そんな時は助かったがそれでも仕事はてんてこまいだった。
特に売り出しのタイムサービスがある時大変だ。
例えば12時と午後3時にタイムサービスがあるとすると、まず午前中須藤さんが商品を本店に取りに行く。その間私はレジと電話対応。出来る時は賞味期限切れチェック、温度チェックなどもしていた。
須藤さんが帰って来ると急いで売り場に商品を並べる。そしてタイムサービスの時間。商品によっては混む時もあるが、売り出しの時は本店の方は混んで、支店はガラガラと言う時もよくあった。それでも次のタイムサービスの時間が近づくと、また商品を取りに行かなければならない。たまにお客様から欲しい物がないと言われたりした時は、須藤さんに電話をして、本店に行ったついでに持って来てもらう事もあった。本来仕事中に携帯電話を持つのは良くないが、須藤さんが配達などでいない時が多く、向こうから連絡が来る事もあるので、常に身につけていた。
そして須藤さんが次のタイムサービスの商品を運んで来ると、また2人で急いで並べる。
必死になって並べ終わって、さぁタイムサービスと言う時にお客がいないと、はぁ。私達は何をやっているんだろう。。と言う空気になる。それでもまた夕方になると、須藤さんはまた本店に肉を取りに行かなければならないのだった。
そしてこのスーパーではもうひとつ、通常のスーパーの業務の他にクリーニングの受付も委託されていた。たまに3点で980円と言うセールをやっていて、その時はかなりのお客様が利用してくれていた。
でも1人の時にレジにもクリーニングにもお客様が。。。と言う時はかなりバタバタだったと思う。
そしてこの時よりもう少し早い時期だった気もするが、衝撃的な出来事が起こった。
以前の店長が自宅で亡くなっているのが見つかったのだ。
聞いていた話では電気やガスなどのライフラインを止められていて、その為ほとんど店で暮らしている状態だったと言っていたが、お酒もたくさん飲んでいたし、身体の状態も良くなかったのかもしれない。
思えば人生のほとんどをこのスーパーに捧げて、なんて可哀想な人生だったのだろう。
唯一、競馬だけが彼にとっての娯楽だった。
横領は確かに悪い事だけど、本来ならもらえる休みを年にたったの1日しかもらえず。
頑張っていても本店から毎回怒鳴られ、家族からも見放され、そんな状況の中でも希望を持って頑張れる人がどれほどいるだろう
このスーパーには定年が無い。
もう年だし、身体がしんどくなってきたから辞めたいと言ったら、死ぬ時はこのスーパーで死ねとまで言われた人もいる。
店長は、きっと真面目な人だったのだろう
もっと良い職場で働けてたら、全然性格も変わっていたかもしれない。最初の頃働いていた新人さんが一度店長に、「仕事って本来楽しいものじゃないんですか?」って聞いた時、「仕事なんて楽しいものじゃない。辛いだけだ」と答えていたと聞いた事がある。
その言葉を改めて思い出し、ただ、ただ切ない気持ちになった。
それからしばらく経った頃、夜の高校生のバイトの子が奇妙な事を言うようになった。
仕事をしていると、耳元で声が聞こえると言うのだ。
よく聞いてみるとその声は年配の男の人の声で、いつも怒っていると言う。
このバイトの子は前の店長の事はいっさい知らない。
なので作り話とは思えないし、多分店長がまだ未練があってこの店にいるのだろうと須藤さんと結論づけた。
何とか店長に成仏してもらおうと、やり方がよくわからないながらも入り口に盛り塩を置いて、店長の好きだったお酒もお供えして須藤さんと一緒に祈った。
それを何日か続けてたのが良かったのかはわからないが、バイトの子がその話をする事はなくなった。
もしかしたら言わなかっただけかもしれないけど、せっかく自由になったのだから、仕事の事は忘れて成仏してほしいと心から思う。
もうひとつ、大変だったのは、このスーパーでは無料で配達もしていた事に加えて、近所にお年寄りが多い事から電話での注文も受け付けていて、言われた商品を箱に詰めて配達をしなければいけなかったこと。
1人でいる時にこの電話が来ると、他の事が出来ない上に相手がお年寄りだから、マイペースで長々言って来る事もあり、レジに人が並んでないかも注意しながらなので落ち着かない。一度レジに人が並んでいても話が長くて、一度切らせて頂いてかけ直しても良いか訪ねたら凄くキレられた。
しかもみんなそれぞれこだわりが多い。
ポイントカードを預かっていて、その人の注文の時にはそのカードを通さないといけなかったり(これも一度忙しくて通し忘れたら後からクレームになった)
箱じゃなくて袋で配達の人がいたり。
でもその中でも一番気を使ったお年寄りが1人いた。
いつも注文する物はだいたい決まっている
水が数本、おかず、お菓子、青いジュース
だいたいいつもこの注文。
おかずはこちらで3点ほど選ぶのだが、気に入らないものだと後で言われるし、毎回同じと言う訳にもいかないので、気を使った。
筑前煮が好きらしく、たまに具体的な注文で筑前煮と言われる事もあったが、その時はセンターから来た物ではなく、店で作ってる方の筑前煮じゃないといけないので、無い時は須藤さんに本店まで取りに行ってもらった。
お菓子と言うのは菓子パンの事で、これもこっちで適当に選ぶのだが、たまに変わったパンを入れてあげると喜ぶ時もあるが、あれはもう次からはいらないとかも言われるので、結局無難ないつものパンが多かった。
青いジュースと言うのはジョージアエメラルドマウンテンの事で、最初何の事だかわからず聞きまくりだった。
このお客様は配達の時にもこだわりがあった
お水は持って行ったら蓋を1回全部あけて締めなおさないといけないらしい。
外にあるカゴの中のカラのペットボトルをよけてそれを入れる(この辺は詳しくは覚えていない)とか、細かいルールがあって配達が大変だと言っていた。
配達は量が多いので本店からも応援の人が来てくれていたが、その人がこのお客様の要望を無視して、何もしないで帰って来たとかで、お客様からお怒りの電話が来た時があった。その事を配達の人に言うとその人はその人で
「客は他にもいっぱいいて忙しいのに、そんな事いちいち聞いてられるか!」
と言っていたが、クレームの相手をするのはこっちなので、そこを何とかやってほしいと須藤さんからお願いして、聞き入れてもらった。それでもそのお客様はちょっとした事でもすぐ電話して来るので、その度に聞くのは大変だった。なんせ話が長くて切ろうとしてもなかなか切れない。あまりに長くて疲れるので途中で受話器を須藤さんと交代しながら聞いていた事もある
冬になるともうひとつ、重労働の仕事が増える。雪かきだ。大雪の時は1日数回、駐車場の雪かきをした。大きな店なら業者に委託も出来たのだろうけど、小さい店なので駐車場もそれほど大きくはないのに、お金もかけられなかったのだろう。
大きい氷柱が下がって来ると、危ないので取り除かないといけない。落とした後の氷柱がまた重いので運ぶのが大変だった。
店内は長靴の裏の雪が溶けて滑りやすくなるので、モップで拭く作業も多くなる。
猛吹雪の中でも本店へ何度も商品を取りに行かなければならなかった須藤さんは本当に大変だったと思う
月に1回の棚卸しも大変だった。店内の商品全部を数えないといけない。二人じゃとても無理なので、須藤さんが友達や前のバイトの子に頼んだりして人員を確保してくれた。
新しい店長が来るまでの我慢だと頑張ったが、新しい店長はいつまで経っても決まらなかった。
店が暇な日に、須藤さんとぼんやり外を眺めていた時、須藤さんがポツリと言った。
「こうしてると、刑務所の中から外を眺めてるみたいだよね。ずっと出られない刑務所だよね」私はまだ朝7時半から夜は遅くても7時ぐらいには帰れる。閉店までの時は遅い時間から出勤出来たが、店長代理の須藤さんは、毎日朝から閉店まで。しかも休みは半日しかもらえない。それがどれだけ辛い事だったか。。
そしてある時、限界がきた私達は一緒に辞める事を決めた。
どちらが先に言い出したのか記憶は定かではないけど、そう決めた時、晴れ晴れした気持ちになったのは覚えている。
そこのスーパーは辞める時には辞表を出さなければいけなかったので、2人で書き、本店に届けるメール便の中に一緒に入れた。
あともう少しで解放されるんだと思うと、仕事も頑張れたし、ことある毎に須藤さんは「神崎さん。あともう少しだよ」と笑顔で言った。
辞表を見た本店の店長が来たのはその数日後だった。
この少し前に、新しい店長が来ない代わりか本店から1人、レジの手伝いに回されて来てた人がいて、その人が来てからそれほど経っていないのにこの状況で申し訳なかったが、無理なら本店に戻してもらうから大丈夫。1人でやることはないからと言ってくれて、もう私達の決意はすっかり固まっていた。
最初に須藤さんが事務所に呼ばれた。
どのくらいの時間だったかわからないが、凄く長い時間の様に感じた。
そして、次は私の番。
店長が言いそうな事はわかっていたが、やはり思っていた通り、もう少し長く日にちを伸ばせないか、せめて日曜日だけでも出られないかと言う事だった。もう少しだけ考えてほしいとも言っていた。でももう限界が来ての結論なので、1日も伸ばす事は出来ないし、日曜日も無理。この考えは絶対に変わらないと伝えた。普通ならここまで言われたらそのまま諦めるのが当たり前の感覚だと思う。
ところがこの後、流石ブラックな会社だなと言う行動に出てくるのだった。
次の日、職場に行くと、須藤さんと本店から来ていた布川さんが、2人で私の所へ来て
「神崎さん、辞めずに日曜日だけ来る事になったって本当?」と言ってきた。
「は?そんな訳ないじゃないですか。誰が言ってたんですか?」と聞くと布川さんが、
「このままこの支店に残ってくれたら、日曜日だけは神崎さんが来てくれる事になったから頼むって言われたんだけど。。。それで私もそれならいいですよ。って返事したんだけど。。。」
「いえいえ。。。日曜日だけって、そんな事ひと言も言ってないし、有り得ない。なんでまたそんなすぐ解る嘘をつくんだ!私、今日の帰りに店長の所に行って来ます」
心底腹が立っていた私は、仕事が終わった後、店長に嘘をつくな!と言う為に本店へ向かった
「店長はどこにいますか?」
本店の事務所に入ってすぐ、事務所の人に聞くと、もう帰ったと言う事だった。
支店の店長は朝から晩まで休みなく働かせて、自分は早く帰るってどうなんだ。
店長の癖に休みがほしいとは何事だ!とか人には言ってる癖に、自分はしっかり休みも取ってるんだよね
そう思ったら益々腹が立ってきた
「すみません。紙とペンを貸してもらえますか?」
このままじゃ帰れないので、手紙を残しておく事にした。
私は紙とペンを受け取るとなるべく目立つように大きな字で、文章を書いた。
【日曜日に私が行く様になったとか、どうしてそんな嘘をつくんですか
どれだけ嘘をついたら気が済むんですか
私は辞めると言ったら辞めます
もういい加減にして下さい 神崎】
そして店長の机の上に、通る人みんなが見える様に広げて置いた
本人が居なかったのは残念だったけど、この行動でちょっとだけ気が晴れた
次の日の昼過ぎに事務所の人が来たので、店長があの手紙を読んでたかどうかを聞いたら、朝、あの手紙を見た店長はそれをそのまま側にいた社長に渡し、2人でそれを見ながら呆然としていたようだった。
これでようやくわかったのだろう。。
それからは全く何も言って来なくなった
私と須藤さんは、毎日、あと何日あと何日と数えながら日々を過ごした
この時は気持ちも明るく、今までで一番楽しく仕事を出来ていたと思う
そんな中で、私達が居なくなった後この店をどうするのかが、少しづつわかってきた。
本店の夜間店長にこの店をまかせる事になったらしい。しかも店は夕方6時で閉店。毎週1日定休日にすると言っていて、これには須藤さんも私も怒り心頭。
6時で閉店とか、定休日とかあったらどれだけ楽だったか。。。私達が居なくなってからそうするってどういう事?!
ただ、後で聞いてみると、夜間店長は6時で支店のお店を閉めた後はいつも通り本店の夜間店長の仕事をやるみたいだから、結局長時間労働に変わりはなかった。
でも冷静にお客様の立場になったら、夕飯の用意で必要になった物を買いに来るのに、6時閉店は早すぎだろう。。
須藤さんがお客様の為に、たまには変わったお惣菜を持って行ってあげようと選んでいたら、文句を行ってくるくらいだから、支店のお客様の事なんて全く考えていないのだろう
結果的に私達が居なくなった後は、やはりそんなに長くは経営が続かず、この支店は閉める事になったが、その時も普通ならかなり早めに閉店のお知らせをするものだと思うけど、半月ぐらい前にいきなり閉めますと言って、バタバタ閉めていた
可哀想なのはお客様だった
お客様に対しては、本当に申し訳なく思う
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます