115.尋ね人

 宗谷はシャミルを連れて、中央広場からやや北東寄りにある区画を訪れていた。

 この周辺は中流層から裕福層が住む住宅街で、イルシュタットにおける各ギルドの重鎮の邸宅などもあり、それほど遠くない処にギルド長の会合の為の建築物が存在した。


 本来ならば一介の冒険者が立ち寄る機会はほとんどない。ここに来る冒険者の大半が住家を持つ冒険者ギルドの職員だろう。そして、この辺りで事件が起きる可能性は低く、仮にあったとしても冒険者の管轄にはならない。区画全体が盗賊ギルドの保護下にあるからである。

 盗賊ギルドの制裁の恐ろしさを知っている者ならば、まずここで盗みに手を染める事はしないし、街の外から来た強盗がここで一仕事をしようものなら、すぐさま制裁の対象となる。情報収集専門の多くの盗賊は一般市民を装って生活をしていて、仲間以外に見分けはつかない。あらゆる処に監視の目が置かれていた。

 そして保安の為の衛兵の詰所も近くに置かれ、表と裏の目の監視が行き届いていた。イルシュタットで最も安全な区域と言えるだろう。


マスター、ルイーズ嬢の家もここから近いですよ。エミリーに会っていきますか?」

「いや。今は遠慮しておくよ。僕を目にして、リンゲンでの辛い出来事を思い出すかもしれない」

「そうですか……マスター、貴方の命を賭した行動によって救い出せた事を忘れないで下さい。お礼を言えていない事を気にしていましたから」


 シャミルはそう言ったが、宗谷の表情は冴えないものだった。

 故郷と家族を失った少女にお礼を言わせなくてはいけない状況に暗澹たる気分になった。


「……今は手土産もないし、ルイーズさんの許可なしに家を訪ねるのも考えものだ。僕もエミリーくんに話す事を考えておく」


 尋ねるならば何かしら用意したいと思っていたが、どういったものが良いかはすぐに思いつかなかった。あの場には居なかったがミアに相談してみるべきだろうか。勉強を教えがてら聞いてみても良いかもしれない。


「今度、マスターが伺うと私から伝えておきます。……処で、引退後はこの住宅街に居を構えるのはどうですか」

「……まだ先の話は考えたくないな。それは君の希望か?」

「ええ、私は将来こういう処に住みたいですね。閑静で綺麗な街並みな上、喧噪賑わう中央広場からも、そう離れていない好条件の立地です」


 土地の品定めをするシャミルの物言いが、やけに世俗慣れしているように感じた。


「君は長らく高山暮らしだったはずだが、やはり都会が良いのか?」

使魔ファミリアの立場で言わせて貰えれば当然です。買い出しの指示を受けて何日もかけて移動する事を想像してみて下さい」

「僕は不便すぎる環境は苦手だから、その点は安心してくれ。程々の都会が好きだな。……思えばそういう意味ではイルシュタットは僕好みかもしれない」


 安定した生活という言葉に全く惹かれないわけではない。以前はそういった生活を望んで送っていたのである。先程の王都からのスカウトや、シャミルが住家の確保を促した事で、心が守りに入っているのを感じた。

 だが、この異世界に根を下ろし生活する事に対しては未だ消極的だった。この世界から帰還を果たした後の事も頭の片隅で考え続けている。

 二〇年前、全てが終わった後に唐突に苛まれた、耐えがたい空虚感と抗えない帰巣本能。宗谷は一度目の異世界転移の顛末の事をうっすらと思い返していた。

 

     ◇


 宗谷は足を止めたのは、白を基調とした一軒家の前だった。表札を確認し間違いがない事を確認すると、宗谷は眼鏡を指で押さえた。


「大きいわけではないですが、見映えのある綺麗な家ですね。……マスターの知り合いですか?」

「ああ。来るのは初めてだが」

「私を連れて来た理由は? ……正直、要領が掴めないのですが」

 

 シャミルは一軒家と宗谷を見上げつつ、質問した。


「……正直、苦手な相手でね。とても魅力的ではあるのだが。それで、間違いがあると困るから君を連れてきた」

「……魅力的? ……女性の方ですか?」


 訝しげに見上げるシャミルに対し、一度だけ頷くと、宗谷は羊皮紙に書かれた地図の場所に間違えがない事を確認すると、呼び鈴を鳴らした。


「はーい、どなたですか?」


 色気のある、艶めかしくも心地良い声。

 

「僕だ」


 宗谷が一言呟くと、家の中からガタッと音がして、やがて玄関の扉が開いた。

 姿を表した薄手の白いワンピース姿の女性は、冒険者ギルドの第二受付嬢であるシャーロットだった。リンゲン救出の為、出動していたルイーズに代わって受付嬢として出勤していたはずなので、彼女も久々の休みの筈である。


「あ……ソーヤ様」

「やあ、シャーロットくん」


 宗谷を目にするなり、シャーロットはいきなりハグをした。

 身体を押しつけられ背中に手を回されると、柔らかい胸の感触と共に柑橘類のような甘い香りがした。顔が間近に迫っている。


「……ソーヤ様、とても心配していました。赤角レッドホーンに一人で挑んだって」

「そんな自殺行為はしていない。それに冒険者ギルドで無事は確認出来ていただろう」


 宗谷はシャーロットの身体を離すと、彼女から、わずかに視線を外した。


「すぐ来てくれるとは思いませんでした。……あたしとの秘め事を果たしに?」

「シャーロットくん、魔術を指導するという事で良かったかな。 ……他言無用という意味では秘め事には違いないが」


 確認の為の問いかけにシャーロットは答えず、プラチナブロンドの髪を揺らして妖艶に微笑んだ。


「ソーヤ様は、お疲れでしょうから。今日はあたしに、おもてなしをさせて下さい」


 宗谷は笑顔を浮かべるシャーロットの胸元が気になって仕方が無かった。

 予想はしていたが強敵である。無表情のまま視線を地面に反らすと、呆れともとれる視線を主人に送る、黒猫の姿のシャミルがあった。

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