116.秘め事
『……
先程からシャミルのテレパシーが頭に響いてはいたが、宗谷は応答しなかった。
一方、シャーロットは足元の黒猫に気付くと、前屈みになって、シャミルに微笑みかけた。
「あら、黒猫ちゃん。……ソーヤ様の
唐突に声をかけられたシャミルは警戒心を露わにしていたが、エミリーが世話になっているルイーズの名前を耳にすると、警戒心を解いた。
「……いやはやルイーズ嬢の知り合いでしたか。私はシャミルです。
「いえす。あたしは冒険者ギルドの第二受付嬢で、ルイーズさんは同僚であり、あたしの尊敬する先輩ですよ。それにしても……
微笑みながら御世辞を言うシャーロットに、シャミルが乗せられる様子は無かったが、ルイーズの同僚という事で納得したのか、宗谷に対するテレパシーをようやく止めた。
「シャーロットくん……シャミルを家に上げても問題なかったかな。僕の
もしシャーロットに断られたら、共々引き上げるつもりだったが、シャーロットは意に介した様子は全く無かった。
「もちろん問題ないです。あたしは猫大好きですから。……
そう言い終えたシャーロットは笑顔でシャミルを抱きかかえると、家の中に連れ込んだ。
「シャミルちゃん。寝床がなければ、この家を使ってもいいですからね。でも、その時はソーヤ様も連れてきてくれると嬉しいです」
「ええと、
「秘密を共有するいけない関係ですね。ソーヤ様に悪いコトをさせられて汚れてしまいました」
早速シャミルを篭絡しにかかってるのを目の当たりにして、宗谷は真顔になった。
シャーロットはシャミルを廊下にそっと置くと、自由にしていいと言われた通り、シャミルは廊下を走って何処かへ行ってしまった。
「シャーロットくん。……確かに魔石調達というグレーな頼みごとをしたのは僕だ。その点は本当に感謝しているが、変な言い回しでシャミルに誤解を与えないでくれ」
借りを自分から作った負い目があり、邪険にも出来ず、宗谷は少し苦しそうに言った。彼女は何度か接し、その度に相性の悪さを感じるばかりだったが、今回で明白に気づいてしまった。明らかに相手が一枚上手という事である。
「ふふ……ソーヤ様。シャミルちゃんも一緒に、魔術の勉強をさせるつもりだったんですか」
「どうせ教えるなら、二人一緒の方が効率が良いと思ってね。お互い
「……なるほど。納得です。でも、今日は先程言った通り勉強は無しにしましょう。ソーヤ様はお疲れでしょうから。……今日やったとして、ちゃんと普段通りに教えられますか」
旅の疲労が抜け切れてないのは事実ではある。だが、普段通りというのは何処までだろうか。魔術を他人に教えた事がない宗谷はその線引きが分からなかった。
「そう言われると、普段通りとはいかないかもしれないが……そんな調子では、いつまでも魔石を譲って貰った義理が果たせない事になるな」
「ずっと果たされない方がいいですよ。ソーヤ様に気が向いた時に来て貰えるきっかけが残り続けますから。今度こそ教えるつもりが他の事に夢中でお流れになった。……そういうのって嫌ですか」
シャーロットは細い指を宗谷の首元に伸ばすと、一瞬でネクタイをほどいて抜き取った。盗賊としても修練が行き届いた手先の器用さである。
そして蠱惑的な上目遣いの表情に、宗谷はわずかに視線を反らした。
「嫌ではないが。一応、勉強を教えるという
「ソーヤ様、一応……って言いましたね。それは含みですか。建前としてはそうですよね」
シャーロットは
「本音は別でも問題ないと思います。不可抗力ってありますからね。……それと、ここでの出来事は、お互い何をしてもされても秘め事で。それだけ覚えておいて貰えれば」
シャーロットは戦利品とばかりにネクタイに口づけした後、自分の首に手際よく巻き、上機嫌で宗谷の腕を取って廊下を歩いた。揺れ動く手入れの行き届いたプラチナブロンドのボブカットが良く似合っている。
取られた腕には白いワンピース越しに大きな胸が当たり、さらに丁度覗き込めるような立ち位置だが、その事を指摘する訳にもいかず、宗谷は意識を他に向けるように努めた。
何もかもが毒だった。宗谷はいい大人の男性なのである。仕方なしに周りに目をやると廊下や階段には大小調整された魔法の明かりで照らされていて、それは中級の技量を持つ
(──参ったな。魔法の勉強は無し。シャミルはシャーロットくんの抑えに役立たない。……一体これからどうするつもりだ)
この自問自答に答えがあるとすれば、魔石調達の負い目があるとはいえ、真剣にシャーロットを拒絶すればそれで終わる事だろう。
それが出来ないのは、美貌と積極性を併せ持つ彼女にいいようにされるのも悪い気がしないという事だった。彼女はミアやメリルゥと違い明確な大人であり、そういう点でも自制心が上手く働いていない。そして本音を言えば彼女の言いなりになっても全く構わないとすら思っている。
ただ、同時に、このまま手玉に取られっぱなしなのは拙いと言う思いが宗谷の頭の中に渦巻いていた。
いつか会う事になるかもしれない女神にあれこれ言われるのが明白だからである。
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