98.廃墟と化した街で

 宗谷とシャミルの二人は、崖を滑り降りながら、リンゲンの街に降り立った。 

 禍々しい赤い角の悪魔が去り、廃墟となった街は、不気味な瘴気が漂っている。大雨の影響で泥濘ぬかるんだ地面に、至る処で人が斃れているのが視界に映った。


「生存者を探そう。厳しい状況だが、上手く難を逃れた住民もいるかもしれない」

 

「わかりました。……ねえマスター。あの赤角レッドホーンは、どうするのでしょうか」


 恐慌状態に陥りかけていたシャミルは、今は落ち着きを取り戻していたが、街の惨状も影響しているのだろう──以前のような快活な様子は無かった。

 

「打ち果たすには組織の力がいる。だが、これまでも、どうにもならなかったのだろう。──移動と殺戮を繰り返す、神出鬼没の悪魔か。想像以上に厄介だな。これではまるで天災だ」


 強大な力を持っていても、果敢に挑んでくるような猪武者や、迷宮ダンジョン最奥で鎮座し動かない領主ロード気取りなら、攻略方法が思いつかないわけでは無い。

 徹底的に分析して対策メタを張れば良い。かつて白銀のレイという少年は、そういった事を滅法得意とし、仲間からも、えげつなさに引かれる事も度々あった。

 だが、今回の相手は果実をもぎ取った後に、狡猾に行方をくらませる。彷徨い歩く怪物ワンダリング・モンスター相手に、万全の態勢を整える事は困難と言わざるを得なかった。

 

 そして、重大な懸念があった。魔王化エレクトラムの兆候。時が経てば、いずれ歯が立たなくなる可能性が高い。やがてイルシュタットのような大都市が生贄に選ばれて、陥落した時は、いよいよ世界の危機となるかもしれない。


(──女神の言う世界の危機か。この事態ならそうとも取れるが。きっと、他にあるのだろうな)


 あの女神の関わる事は、いつだって想像の範疇を軽く超えてくる。

 白銀の魔将シルバーデーモンを相打ちで撃破した際、三十点の辛口レビューをされた事を思い出し、宗谷は目を細め、溜め息をついた。


     ◇


「まだ残党が残っているとは。捨て駒でしょうか」 

 

そう呟きながら、血塗られたダガーを拭うシャミルの目の前では、心臓を一突きされた青銅の魔兵ブロンズデーモンが立ったまま絶命していた。

 探索の最中、一体の青銅の魔兵ブロンズデーモンが彷徨い歩くのを発見し、宗谷とシャミルの連係攻撃で仕留めたものである。

 赤角レッドホーンにより恐慌状態に陥り、精神的な影響が心配だったが、シャミルの動きは相変わらず冴え渡っている。青銅の魔兵ブロンズデーモン一体であれば、刃が鈍ることも無さそうだった。

 問題の赤黒い剣も、シャミルの炎精霊送還アンサモン・フレイムにより、無事、炎精霊を解放し事なきを得ている。道中の予行練習リハーサルが活きた結果となった。

 

「あの巨体だ。群れれば存在を気取られる。もし置き去りにされたなら、まだ街に悪魔が潜んでるかもしれない」


「要警戒ですね。救援で司祭プリーストが来てくれるとありがたいです。放置しておくと、遺体が死者アンデッドに転じる可能性がありそうだ」


 シャミルが先程の戦闘で手の甲をかすめたらしく、血を舐めていた。

 かすり傷のようだが、いずれどちらかが軽くない怪我した場合は、癒し手の力が必要になる。

 神官クレリックであるミアを連れてくる選択肢もあったが、連れてこなくて良かったとはっきり断言できた。心の強い気丈な少女だが、今回はあまりにも質が違う。

 特にあの赤角レッドホーンの捕食の光景は刺激が強すぎた。猫妖精ケットシーのシャミルでさえ、恐慌状態に陥るくらいである。


「タットくんが、救援を呼んできてくれる事を祈ろう」


 宗谷は降りしきる雷雨の中を駆けた、勇気ある草妖精グラスウォーカーの少年の顔を思い出した。無事到達しててくれれば、数時間後には、この街まで辿り着いてくれるかもしれない。


     ◇


 夕暮れまで探索を続けたが、生存者を見つける事は出来なかった。

 まだ半分以上の区画を捜索出来ていないが、日が傾き視界も悪くなりつつある。小休止が必要な局面かもしれない。

 

破滅神ラグナスの文様か。……やはり、リンゲンの住人を生贄に使っているな」


 代わりに推理の裏付けとなる証拠のようなものが、リンゲンの街のそこら中から見つかっている。黒眼鏡の翻訳トランスレイトの機能により、破滅神ラグナスの暗黒文字の断片が街中で発見する事が出来た。  


「何を目的に、生け贄をしたのでしょう」


異界門アビスゲートだ。破滅神ラグナスの信奉者が得意とする暗黒術。通常は小悪魔インプ、せいぜい青銅の魔兵ブロンズデーモンが潜り抜ける強度が限界だが」


 宗谷は以前に古砦で、破滅神ラグナス闇司祭ダークプリーストが勇者ランディと自らの命を代償に、白銀の魔将シルバーデーモンを召喚した時の事を思い出していた。

 異界門アビスゲートの強度は、破滅神ラグナスに捧げた生贄の魂の質と量に比例し、白銀の魔将シルバーデーモンを引き寄せる為の門の強度を保つには、多大な生け贄が必要となる。


「リンゲンの住人、それに加えて何を生け贄にしたかはわからないが。全ては白銀の魔将シルバーデーモンを──」


マスター、声がします! 女の子だ」


 突然シャミルが宗谷の言葉を大声で遮った。猫耳がぴくりと動いている。

 そして、明後日の方向──探索を終えていない区画に向けて全力で走り始めた。宗谷も身を翻してそれを追う。

 すぐさまシャミルから使い魔ファミリアによる聴覚共有を受けると、宗谷にもはっきりと声が聞こえた。


『……助けて。足が……うう……痛い……怖い』

 

 それは危機的状況を伝える、少女の声。怪我をしているのは間違いない。

 だが、それだけでは無い様子だった。嫌な予感がする。


「シャミル、よくやった」


「今まで聞こえてなかったのですが、女の子が一度だけ大声を出したので。……ただ、これはまずい状況かもしれない」


 やがて二人は、足を怪我して倒れている少女を視界に捉えた。

 そして同時に映る異質なもの。少女は、赤黒い剣で武装する青銅の魔兵ブロンズデーモンに取り囲まれていた。その数は五体。


「ああ……まだ、こんなに潜んでいたのか」


 シャミルが急ブレーキをかけ、顔を引きつらせながら、立ちすくんでいた。

 最下級の青銅の魔兵ブロンズデーモンとはいえ、常人より遙か高みにある存在であり、その『色付き』五体を同時に対処しつつ、爆破を起こす剣を処理しながら、怪我をした少女を守るという任務ミッションを強いられていた。


(次から次へと困難が多すぎる。女神よ、一体どうしてくれようか)


 立ちすくむシャミルを横目に、宗谷は詠唱を始めていた。

 やがて白銀のレイと呼ばれる英雄の少年を、異世界へと導いた始まりの魔術。宗谷は手をかざす。


「――目に映りし、万物を我が手に。『物質転移アポート』」

 

 悪魔の群れの中にいる少女の姿はかき消え、宗谷の手元まで移動した。

   

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