95.崖から覗く絶望

 青銅の魔兵ブロンズデーモンとの遭遇後は特に何事も無く、いよいよリンゲンの街が間近に差し迫っていた。早足で駆け付けた事もあり、まだ夕方少し前といった時刻で、日は高く視界も良好である。


「……煙が立ち昇る様子は無いな。それに、この辺りでも雨は降ったようだ」


 道中の樹々や草花には雨露が滴り、路面も相変わらずぬかるみを見せている。昨晩の豪雨により、リンゲンの街を焼き尽くした炎は、既に消火されている可能性は高かった。


「火は消えているのでしょう。それに赤角レッドホーンとやらの目的が、街を焼き尽くす事であれば、既にリンゲンから去った可能性もあるのでは?」


 シャミルの見解に対し、宗谷は同意するように頷いた。


「以前イルシュタットの討伐隊が駆け付けた時は、赤角レッドホーンは姿を眩ませていたらしい。強者とは徹底的に戦いを避ける、警戒心の強い個体かもしれないな」


(道中の青銅の魔兵ブロンズデーモンは、鳴子のような物かもしれないな。二体倒した事で、明確に近づく意思を示した事になったかもしれない。だとしたら)


 イルシュタットからリンゲンに迫る冒険者が居る事に、既に気づいているだろうと宗谷は考えていた。青銅の魔兵ブロンズデーモンを山道に配置した理由。街道の封鎖及び、封鎖を突破された場合の危険感知。

 山道の封鎖を突破された事に気付く、物理的手段および魔法的手段を、宗谷は二つほど頭に思い浮かべてみた。


 物理的手段。飛行能力のある小悪魔インプを小間使いにし、定時報告させるという原始的な方法。封鎖していた青銅の魔兵ブロンズデーモンからの報告が途絶えれば、山道で異変があった事に気付くだろう。

 魔法的手段。予め指定した物質の方角を探知する物質察知マテリアル・ロケーションという魔術を用いる方法。赤い剣にそれが使われていた場合、消失と共にその探知が途絶え、異変に気付くと言った具合である。

 この二つ以外にも手段はある筈である。既に察知しているという前提で考えた方が良い。


「既に悪魔たちが街から去っていれば、住民の救援活動は捗りそうですね」


 シャミルの言う通り、警戒心が強い個体ならば、リスクを避けて街から撤退している可能性もある。

 そうであって欲しいと宗谷は考えていた。癒し手ヒーラーが居ない現状で、白銀の魔将シルバーデーモンである赤角レッドホーンに挑むのは、極めて分の悪い賭けとなる。それに加えハンスが目撃した青銅の魔兵ブロンズデーモンの集団が一緒に居るようならば、完全にお手上げである。明らかに戦力が足りない。

 

「そうだな。もし赤角レッドホーンが去った後なら、日が落ちる前に、急いで生存者を探す。まだ居るようならば、待ち伏せされている可能性もある。様子を見ながら、イルシュタットの救援を待つしかないな」


「承知しました。残っているのが青銅の魔兵ブロンズデーモンだけなら、私達だけでも何とかなりそうですかね」


青銅の魔兵ブロンズデーモンだけならば、一匹ずつ誘い出して、先程のように二人がかりで始末していくのが理想だ。あの赤い剣を持っていた場合、一体潰すのにも魔力マジックパワーの消耗を強いられるのが厄介だが」


 いずれにしろ、『色付き』と対峙する事になるのであれば、簡単には行かないだろう。宗谷は気を引き締める為、大きく深呼吸をした。



 ◇



「……あの杉か」


 道から反れた百メートル程先に、一本杉の巨木が聳え立っていた。

 宗谷はハンスが書いた羊皮紙の簡易地図を広げ、地図杉の巨木を見比べた。地図によると一本杉の先は、リンゲンを見渡す事の出来る崖になっているらしい。

 

「間違いないかと。私も何度かリンゲンに来た事がありますが、あの辺りから街を一望出来た筈。私が猫の姿で崖まで行きます。マスターは巨木の処で待機を。視覚共有を使うのが得策かと思います」


「シャミル。頼む」


 使魔ファミリアの使役の特徴の一つとして、マスター使魔ファミリアのテレパシーによる会話および五感のいずれかの共有がある。

 極めて微量だが魔力マジックパワーを消費する為、普段から使いっぱなしにするのは得策では無いが、こういった局面では非常に有用であった。


 宗谷は外套マントを纏うと、道から外れた一本杉に向けて、草むらを歩き始めた。シャミルがその後に続く。そして一本杉の元まで到着すると、シャミルは人の姿から黒猫の姿に変化した。人型の時、着用していた燕尾服は、浮かび上がった異次元箱ディメンジョンボックスの中に沈んでいった。器用な物である。


 黒猫に戻ったシャミルが、一本杉の先にある崖まで向かった。宗谷は杉の巨木にもたれ掛かると、視覚をシャミルの物に切り替えて、共有した。


『……これは』


 映ったものは、明るい色彩を失われ、暗灰色の色調に染められたリンゲンの街の姿。

 木々も、草も、花も、畑も、建物も、そして人々や動物も、何もかも徹底的に燃やし尽くされた後だった。


『これは酷い……この有様では、生存者は』


 泥に塗れ、炭化して横たわる、かつて人だったものが、いくつも見える。

 テレパシーによるシャミルの声には、少しばかり動揺の色を感じた。


『……シャミル。中央広場だ』


 宗谷のテレパシーによる返事を受け、シャミルは街の中心部に視線を合わせ、そして驚愕した。


白銀の魔将シルバーデーモン……! だが、これは……マスター、どうするのですか?』


 かつて中央広場だったもの。そこには、体長5メートル程の銀色の怪物が佇んでいた。白銀の肌に、山羊の頭、そして角の色は漆黒。それは宗谷が居ると想定していた、赤角レッドホーンと呼ばれる個体では無かった。

 

『……索敵を続ける。もし察知されたら離脱するしかないな』


 宗谷はシャミルの視界に合わせ、再び索敵を開始し始めた。白銀の魔将シルバーデーモンの居る中央広場には、何か赤い紋様のようなものが描かれているようにも見えたが、泥により、ここ位置からではよく見えなかった。


『……シャミル、あの広場に描かれた紋様は、破滅神ラグナスの物のように見えるな。最近見た事があってね。それに似てる』


『……破滅神ラグナス? 魔族は絶対君主である、白金の主プラチナロードを唯一の信仰として』


 宗谷とシャミルがテレパシーで会話をしている最中さなか、突然、中央広場に、もう一匹の白銀の魔将シルバーデーモンが姿を現し、先程の白銀の魔将シルバーデーモンと並んだ。


 新たに出現した、体長6メートルを超える白銀の魔将シルバーデーモンを、宗谷はシャミルの視覚越しに見た。

 異常に筋肉が発達した上半身。巨大な四枚の翼。額に浮かぶ禍々しい三つ目。黄がかった銀の肌。動物に形容し難い裂けた口と牙。そして燃える様な深紅の角。


 『……あれが、赤角レッドホーンか』


 既にリンゲンから撤退しているだろうという甘い想定は崩れた。

 姿を見せた、二体の白銀の魔将シルバーデーモン。宗谷は次の手を考える為、思考を巡らせ始めた。

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