76.雨雲と冒険者達

「……おい、どうした。何かあったのか?」


 荷馬車の先頭を歩いていたメリルゥがやってきて、心配そうに声をかけた。

 彼女はすぐに座り込んで呼吸を整えているアイシャに気付いて、停止の理由に納得したのか、それ以上は何も言わなかった。


「メリルゥくん、時間に余裕があるので、僕がペリトンさんに小休止を提案しました。山小屋まではあと一時間もかからないそうなので、日没までには間に合うでしょう」

「そうか……まあ、出発が早かったしな。……ただ、あまり天気が良くなさそうだぜ」


 メリルゥが空を見上げてつぶやいた。

 先程から夕陽に染まる茜色の空に、黒い雨雲が混ざっている。風も少し強まり、いつ雨が降り出してもおかしくなさそうな雰囲気だった。


「アイシャさん、大丈夫ですか? ……もし良かったら飲んで下さい」


 ミアが心配そうに、座り込んだアイシャに声をかけ、ハーブを浸した水筒の水をコップに注ぐと、アイシャに手渡した。


「ミア、ありがと……平気。なんとか。……ペリトンさん。迷惑かけて本当に申し訳ありません」


 アイシャは受け取ったコップの水を飲み干すと、申し訳無さそうに力無く項垂うなだれた。


「……山道の斜面がきつくなりましたからな。……ただ、明日もそれなりに険しい山道を通ります。眼鏡のお嬢さん、大丈夫ですかね? ……それと天候が心配ですな」


 ぺリトンはアイシャを気遣う様子を見せつつ、雨雲を見上げて顔をしかめていた。

 依頼による冒険者の拘束日数は往復で四日。何らかの理由で延長する場合、日割り計算で追加報酬が必要になる。依頼人の立場を考えると、多少の雨なら、荷馬車が移動不可能で無い限り、強行軍になる可能性が高いだろう。


「ふむ。タットくんはどうかね?」


 宗谷は、木に寄り掛かって林檎をかじっているタットに声をかけた。

 彼は草妖精グラスウォーカーであり、歩く事には慣れている筈なので、一応声をかけたものの、特に心配はしてなかった。少なくともアイシャのようにはならないだろう。


「オイラは平気だよ。でも足の裏がちょっと痛いな……この靴じゃ、石ころの多い山道には合わないみたいだ」


 タットは薄い茶色の革靴を履いていた。草原では歩きやすそうだが、砂利混じりの山道ではあまり具合が良くないのかもしれない。


「今度山に来る時は、山歩き用の靴を買おうっと。……ソウヤ兄さんは、その黒い革靴で大丈夫なの?」

「正直言うと、この靴は見栄え重視で、靴としての本来の機能を考慮していない。何処を歩いても、硬くて履き心地は良くないよ。まあ、強い魔力の籠った品物だから手放せないのだがね」


 宗谷はビジネスシューズを見て、苦笑いを浮かべた。

 どう考えても冒険に向かない靴であるが、文句は言えなかった。女神エリスが魔力付与した、ビジネススーツやビジネスシューズよりも上質な装備は、この世界を探し回っても見つからない可能性が高いのだから。


 ◇


「……アイシャくん。調子はどうだろうか?」


 小休止から十分程経った頃、宗谷は座っているアイシャに声をかけた。

 イルシュタットの出発が二十分早かった事を考えると、もう少し時間に余裕はあるが、次第に悪くなる雲行きを考えると、早めの出発を考えた方が良さそうだった。


「大丈夫です。……迷惑かけました。……あたしは冒険者失格ですね」

「君はギルドに認められた青銅級ブロンズの冒険者だ。ここで必要以上に弱気になるべきではないな。……今後の対応だが、見た処、荷物が負担になってるようだ。異次元箱ディメンジョンボックスに、まだ空き容量がある。アイシャくんの荷物を少し預かる事が出来るが、どうだろうか?」


 この提案は、彼女が信用して預けてくれるかどうかになるが、この案以外、宗谷には考えつかなかった。

 ラムスが運転する荷馬車の荷台は空だったが、ぺリトンが荷馬に負担をかけまいと、自ら荷物を背負って歩いている以上、荷物を載せて欲しいとは言い出し辛い。もし頼むのであれば、荷馬にかかる負担分の金銭的な解決が必要になるだろう。

 それに帰り道は葡萄酒ワインが大量に積まれ、荷台に空きが無くなるので、行き道限定のその場しのぎにしかならない。


「……わかりました」


 宗谷の心配をよそにアイシャは頷くと、立ち上がってかたわらに置いてある革製の肩掛け鞄を手に取り、宗谷に手渡した。


「……この鞄には羊皮紙の本が何冊か入っています。ソウヤさん、どうかよろしくお願いします」


 アイシャが懇願するように頭を下げた。

 この世界における本はとても高価で、宗谷が道具屋で手に入れた空白のノートですら、それなりに値が張った。それを数冊預かるとなると責任重大である。

 そしてアイシャに手渡された革鞄は、かなり重みがあった。他の冒険必需品を含めると、この革鞄の荷重は彼女にとって、結構な負担だったと想像出来た。


(……本を冒険に持ち歩かなくてはいけない。という事は、イルシュタットに住み家がある訳ではないのだろうな)


 保管場所無くして、本の蒐集しゅうしゅうは困難であり、本を冒険の場に持ち込めば、汚損したり紛失する可能性がある。もし肌身離さず持ち歩くのであれば、宗谷のように保管に適した魔術が使える事が望ましい。

 保管の魔術が使えないのであれば、内容を頭に留め、本を手放すべきだと思ったが、それについてはアイシャに言わなかった。所有の是非までとやかく言うのは流石に出過ぎた真似だろう。


「ペリトンさん、そろそろ出発した方が良さそうですね。この雲の様子だと、いい加減雨が降ってきてもおかしくなさそうだ」


 宗谷の言葉にぺリトンはうなずくと、荷馬車の運転席にいるラムスに合図を出した。


「……ソウヤさん、荷物の御礼はどうすれば?」

「礼は不要……と言いたい処だが、山小屋で本を貸して貰えると嬉しい。どんな本があるのかは興味がある」


 宗谷は異次元箱ディメンジョンボックスにアイシャの手提げ鞄を収め、代わりに雨避けの外套マントを取り出した。

 いよいよ雨雲から零れ落ちた、小さな水滴が鼻頭をかすめたからである。

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