62.赤い角の悪魔

 深刻そうな表情を浮かべているドーガは、白い髭を撫でたまま沈黙し、セランに視線を向けていた。彼はどうやらセランの口から赤角レッドホーンの事を話すのを待っているようだった。宗谷もドーガにならい、セランの方に視線を送った。

 二人の視線を受け、セランは目を閉じ、手に持ったロックのウィスキーを一気に呷ると、氷だけになったグラスをテーブルに置き、大きな溜息をいた。

 そして、話す決心がついたのか、セランは宗谷の方に向き直った。


「――ソウヤさん。俺は赤角レッドホーンと呼ばれている、赤い角の白銀の魔将シルバーデーモンを追っている」

「セランくん、その事は想像がつくよ。昨夜、僕達が討伐した白銀の魔将シルバーデーモンの角の色を確認しに来たのだからね」


 宗谷は昨夜の宴の出来事を思い出しながら、セランに返事をした。


「――その事は本当に済まなかった。宴の最中なのだから、後日聞きに行くべきだったが、居ても立ってもいられなくてな。ソウヤさんが討伐したのは、俺が長年追っていた赤角レッドホーンだったのではないかと思った」


 セランの言葉を聞き、宗谷は今までの白銀の魔将シルバーデーモンとの闘いを想起したが、これまで赤い角をした白銀の魔将シルバーデーモンは一度たりとも目撃した事が無かった。

 宗谷は先日、古砦で討伐した四つ腕の白銀の魔将シルバーデーモン以外にも、二十年前の冒険で、当時の仲間と白銀の魔将シルバーデーモンを何体も屠っているが、角の色は大体漆黒から銀色、あるいはその中間の、銀と黒が混ざった色だったと記憶している。

 白銀の魔将シルバーデーモンの個体の数は限られている。上位である黄金の魔王ゴールドデーモンは十三の個体が存在すると言われているが、魔界に存在する白銀の魔将シルバーデーモンも総数で数百体の範囲に留まるだろうと推測されていた。その中でも、赤い角の白銀の魔将シルバーデーモンは、二匹と居ない単一の変異種である可能性が高そうに思えた。


「昨日の事については、構わないと言った筈だよ。しかし赤角レッドホーンを追っていると、セランくんは言うが、一体どういった目的で?」


 宗谷は、セランに赤角レッドホーンを追う目的を単刀直入に聞いてみた。彼の目的が、単純に珍しいと思われる赤い角を戦利品として求めているのか。それとも赤角レッドホーンという個体に対し個人的に因縁があるのか。

 いずれにしても、白銀の魔将シルバーデーモンは個体差による強弱はあるが、いずれも強敵である。彼が目的を果たすのは容易な事では無いだろう。


 宗谷の問いに対し、セランは暫しの間、うつむいたまま沈黙していた。

 言い辛い事なのだろう。宗谷はその反応から何となく彼の目的を察した。


「セランくん。語り辛い事であれば、僕は無理して聞こうとまでは思わないが」


 宗谷は難しそうな表情の彼に対し、両手を広げて見せて止めようとした。

 だが、特に言いたくないわけではなかったのか、セランは宗谷の静止に対し首を振ると、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


「――北方の雪原地帯にある、フェルトームという名の街。それが俺の故郷だ」


 宗谷はセランが呟いた街に訪れた事は無かったが、フェルトームという名前だけは聞き覚えがあった。

 故郷の名を告げた彼は、さらに続けた。


「――八年前、故郷の全てを赤角レッドホーンに焼き尽くされた。奴をこの手で仕留めるまでは、俺は死んでも死にきれない」


 白い髪の青年は静かに、そして碧眼ブルーアイズの瞳に殺意を込めて、目的の理由わけを語った。



 思えばその理由は何となく予測出来た事ではあった。

 目の前にいるセランという青年が、物欲の為に白銀の魔将シルバーデーモンを狩ろうとしているようには見えなかったし、昨日、宴の最中に訪れた際、短い会話の中に、並々ならぬ物を感じたのもあった。

 昨晩、宗谷が取り出した白銀の魔将シルバーデーモンを目にした時に一瞬見せた複雑な表情。彼はおそらく故郷を滅ぼした悪魔という種族を憎悪しているのだろう。 


「……小僧が言うには、赤角レッドホーンとやらは狡猾らしくてのう。これまでも何度か、小規模の街や村が焼かれてるらしいが、中々尻尾が掴めんようでな。討伐隊が到着した頃には、既に行方をくらましてしまうという訳じゃな」


 ドーガが困ったように呟いた。白銀の魔将シルバーデーモンの知能は個体差が激しいが、最低でも人間並み、それを上回る高い知能を有する個体も存在する。

 賢い個体は、こないだの四つ腕のように、高度な魔術を行使する個体も存在した。


「奴はイルシュタット近辺で、二度確認されている。八カ月ほど前、イルシュタットから南西に三日程の場所にある、ルギノと呼ばれる村が焼き尽くされ、逃げおおせた数名を除き、殺害された。それが赤角レッドホーンの最後の目撃情報だ」


 セランが淡々とした口調で、赤角レッドホーンの情報を宗谷に語った。


「セランくんが、今現在イルシュタットに居る理由ですね」

「ああ。勿論、既にこの周辺から離れて居ない可能性もあるが。新たな目撃情報が入るまでは、この街に留まるつもりだ」


 セランとドーガの話から、赤角レッドホーンにまつわる大よその事情はわかったが、宗谷は一つだけ気になった事があった。


「セランくん、一つだけ確認したい。フェルトームの街が焼かれた時、君はその場に居て、赤角レッドホーンを見たのですか?」


 宗谷の質問に対し、セランは目を見開き、身体を少しばかり震わせていた。

 その様子を見て、彼にとって辛い質問だったのかもしれないと宗谷は思った。

 だが、虐殺の現場を目にしたのであれば、その事は共有する情報として価値があるだろう。宗谷は沈黙したまま、セランの返事を待った。

 

「――ああ。俺は赤角レッドホーンの虐殺から逃れられた、数少ない街の生き残りだ。まあ、そのように言えば聞こえはいいが、ようは尻尾を巻いて逃げ出したという事だ」


 セランは自らを卑下するように、自嘲気味に笑った。

 八年前、セランにどれ程の剣術や精霊術の力量があったかは不明だが、白銀の魔将シルバーデーモンである赤角レッドホーンから逃げ出した事は、何ら恥じる事では無いだろう。

 辛い選択ではあると思うが、現実的に言えばむしろ最良の選択の筈である。白銀の魔将シルバーデーモンに対し立ち向かう事の困難さを、宗谷もこないだ身をもって知ったばかりであった。


「――赤角レッドホーンは、炎の精霊術を極めている。街を焼き尽くしたのは、奴の手で召喚された炎魔神イフリートだ。白銀の魔将シルバーデーモンの中でも極めて厄介な個体だと思う。今思うと、俺が屠った事のある白銀の魔将シルバーデーモンとは、まるで感じた印象が違った」


 炎の精霊術を極めた者のみが行使する、上位精霊まで扱うのであれば、それは恐るべき存在の証明であった。

 こないだ宗谷が対峙した、魔術と暗黒術を行使する四つ腕の白銀の魔将シルバーデーモンも強い個体だったが、それよりさらに強敵の可能性もありそうだった。


「――大切な者を失ってしまった。赤角レッドホーンと相対した時、俺は妹と一緒に居た。だが、今こうして、逃げた俺だけが死に損なっている」


 淡々と話すセランの台詞からは、妹を失った事に対する後悔の念が含まれていた。

 肉親の仇。この事が赤角レッドホーンに執着する強い理由なのかもしれない。宗谷はたまれなくなり、眼鏡を手のひらで抑えると、小さなため息をいた。

 

「……この辺でいいじゃろう。小僧、済まなかったのう。じゃが、赤角レッドホーンがイルシュタットに災厄をもたらす可能性も否定出来ん。その事をソーヤに知って貰いたかったのでな。……さ、二人とも飲みなおすとしよう」


 ドーガは、落ち込んだように項垂うなだれるセランを労るように肩を叩くと、空になった氷の入ったグラスにウィスキーを注いだ。

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