61.セランという名の青年
「なんじゃ、レ……ソーヤ、この小僧と知り合いだったのか?」
ドーガは宗谷の本名をうっかり言いかけたが、寸での処で止め、言い直した。
宗谷はその事に安堵すると、質問に対し、ゆっくりと頷いた。
「ええ。とは言っても、セランくんとは昨夜、簡単な挨拶を交わしただけです。僕も仲間と宴の最中でしたので」
ここで彼と再び会う事になったのは予想外だったが、
冒険者の酒場で行われた宴の最中に、突然来訪した彼との会話の記憶を辿りつつ、宗谷は黒いロングコートを纏ったセランを見た。
彼は初めて見かけた時と変わらない無表情で、
「……小僧、すまんが、ソーヤは古い友人でな。それに酒が入っとる。すまんが、今日は仕事は出来んぞ」
ドーガが棒立ちのセランに対し、仕事に対しての断りを入れた。
仮に酒が入っていても、酩酊する事の無い
まだ昼夜といった時刻で、もし来訪の理由がドーガに対する仕事の依頼であったなら、彼には若干申し訳無い事をしたかもしれない。
「――わかった。出直す事にするよ」
セランは特に気にした様子も無く、静かに答えると、麻袋からウィスキーの
それは、宗谷が先程、冒険者の酒場で購入した銘柄と全く同じ物だった。
「ドーガ爺さんに手土産だ。だが、既に同じ物がテーブルにあるな。その
ウィスキーの銘柄被りに気づいたのか、セランは
もし宗谷の後に購入したのであれば、同じ銘柄が売れた事を、酒場の
「おおっ! 気が利くではないか。ははは……なに、何本あっても困るわけではないじゃろ。それに、どうせこの席で空になる」
ドーガは笑うと、セランから受け取ったウィスキーの瓶のラベルを見てニヤついていた。根っからの酒好きである。もっとも
その様子を見ていた宗谷は、血の気が引くのを感じた。まさかセランが持ち込んだ二本目の
「時間はあるのか? 小僧も飲んでいけ。……
ドーガがセランに何やら頼み事をしながら、酒の席に誘った。
セランは誘いに対し迷った素振りを見せたが、ドーガの頼みを断れないと思ったのか、瞳を閉じ、大きな溜息を付いた。
「時間はある。――わかった。ソーヤさんとも、話したい事があったしな」
セランは背負った
ウィスキーが注がれたショットグラスをセランは手に取り口にした。
ドーガは席を外し、台所に居るようだ。酒の肴になる物でも探しているのかもしれない。テーブルには宗谷とセラン、二人だけになった。
宗谷は初対面に近いセランに対する話題の切り出し方に迷い、しばし沈黙が続いたが、やがてセランが口を開いた。
「――ソウヤさん。昨日は済まなかったな」
セランは宗谷に謝罪した。昨夜の宴の席での来訪と質問の事だろう。
その事を宗谷は全く気にしていなかったし、情報料あるいは迷惑料として、彼から一枚の金貨を受け取ってしまい、かえって悪いくらいであった。
「いえ、お気にせずに。メリルゥくんは若干不機嫌でしたが、昨夜の彼女は随分と酔っていました。そのせいでしょう」
宗谷は、酔っぱらったメリルゥを思い出しつつ、先程まで目の前に座っていたドーガと比較して、苦笑いを浮かべた。
再会祝いとして宗谷が持ち込んだウィスキーの
「そうか。メリルゥは何か言ってたか?」
セランの質問に対し、宗谷はメリルゥの言葉を思い出すと、思わず口を
確か彼女は悪口を言っていたが、二人は仲が悪いのだろうか? 宗谷はセランの表情を
「――どうせ悪口を言ってたのだろう。ソーヤさん、遠慮無く言ってくれ」
セランは無表情のまま、淡々とした様子で宗谷に呟いた。
宗谷は困惑の表情を浮かべ、言うまいか迷ったが、本人が遠慮無くという事で、メリルゥの言葉を、一句間違いなく、セランに告げる事にした。
「『陰気なスカし野郎』と……いえ、決して彼女の本心では無いと思いますが」
遠慮がちに伝えた宗谷の言葉に、セランは一瞬真顔になったが、その発言が面白かったのか、息を吹き出し、薄い笑みを浮かべた。
「なるほど。――まあ、そう言われても、仕方無いかもしれないな」
その時、丁度ドーガが台所から戻って来て、テーブルに塩漬けの肉や、
それと用途不明の金属製の容器。その中には水が張ってあるようだった。
飲料水なら、既にテーブルに
「坊主、
ドーガは水の張った金属製の容器をセランの前に置き、元の席に着いた。
セランはドーガの言葉に頷き、席を立つと、ロングコートの内ポケットから、白い
「――
セランが詠唱を始めると、白い
そして、部屋中に冷凍庫を開けた時のような、ひんやりとした冷気の流れを宗谷は感じた。
「おや……セランくんは、
宗谷が思わず感嘆の声をあげた。人間で精霊術を行使出来る者は極端に少ない。極めて理論的な要素で構成される魔術と違い、精霊術は感覚的な要素が非常に強かった。使いこなすには先天的な
宗谷も二十年前、冒険仲間の一人であった、
そしてドーガが先程言っていた、
確かに、この世界では手軽に調達出来るものでは無いだろう。魔術的な手法でも氷を造り出す事は不可能では無いが、ここまでスマートにはいかない。
「この小僧が作った氷に、ウィスキーを注ぐと美味いんじゃ。ソーヤも一つ飲んでみるかね?」
ドーガの問いかけに対し宗谷は頷いた。それは間違いないだろう。
新たに用意したグラスに、小型のピックで割った氷を入れ、上からウィスキーを注ぎ、ステアする。
宗谷はグラスを傾けて液体を口にすると、ウィスキーの刺激と共に感じる、ひんやりした冷たさに、懐かしさを覚えた。
「なるほど、これは美味しい。セランくんに感謝ですかね。氷が安定して供給出来れば、
「そうじゃろう。まあ、その氷の調達が難しいんじゃがのう。……ソーヤ、そういえば知っとるか? この小僧も
ドーガは作品の自慢を交えつつ、セランが
それについては既に酒場の噂で耳にしていたが、彼の背負う剣がドーガの作品で、
「ええ。その
昨夜セランが訪れた理由と、その時の態度に、気掛かりな事があったのを思い出した。その事について彼に理由を聞いておくべきだろうと、宗谷は思った。
「ソーヤさん。貴方が聞きたいのは、もしかして、赤い角の事だろうか?」
セランは宗谷が訊ねたかった事を察したようだった。普段静かな口調で淡々と話す彼に、少しばかり強い語気が混じっていた。
彼は宗谷たちが討伐した
「……小僧。
白髭を撫でながら呟くドーガの声は重々しく、そして少しばかり深刻そうな表情を浮かべていた。
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