60.再会の酒宴と回想

 二十年ぶりに知人である地妖精ドワーフの鍛冶師ドーガと再会した宗谷は、工房の応接間にある石造りのテーブルに案内された。

 再会祝いに持ち込んだ二十年物のウィスキーを開栓すると、二個のショットグラスにストレートで注ぎ、静かに乾杯を交わした。

 

 宗谷は既に変化ポリモルフの魔術を解き、高校生だった頃の姿である銀髪の少年レイから、普段通りである課長の姿に戻っていた。

 変化を解く前に、若い姿を一度手鏡で確認してみようかと悩んだが、結局止めた。きっと、恥ずかしさで死にたくなるに違いない。楽しい気分で飲む事が出来なくなるだろう。


「レイ……それにしても、久しぶりじゃな。まさか生きておったとは」

「今は宗谷と名乗っています。ドーガさんにも、そう言って貰いたいですね。零は死んだと思ってください。少なくとも、僕の中ではそうです」


 宗谷は白銀の魔将シルバーデーモンに殺され、女神エリスと庭園で再会した時も、その名で呼ばれた事を思い出した。そして今後も古い知人に会う度に、レイと呼ばれ、昔の記憶を掘り返されそうな事に気づき、少しばかり表情を翳らせた。これも昔の報いと言って良いのかもしれない。

 二十年の歳月は、『宗谷 零』という人間を大きく変えた。昔の自分を装うのは、先程玄関でドーガに対して行った、レイのふりが限界だった。


「ではソーヤと呼ぶ事にするが。なんじゃ、その固めた黒髪は。喋り方もおかしいのう。それにドーガさんとは……急に真面目ぶりおって。まさか本当に魔術師から商人にでもなったのかね?」


 ドーガは気味悪そうに宗谷を見ながら、ショットグラスのウィスキーを一気に呷ると、ボトルから二杯目を注いだ。

 このペースだと、宗谷が持ち込んだ、銀貨六〇枚する高級ウィスキーの瓶は、数時間持たずに空になるだろう。


「……ええ、商人ですかね。十年と少し、商売上の礼儀や作法といった類の物を、徹底的に叩き込まれました。不向きなりには物にしたつもりです」


 宗谷は薄く笑うと、ドーガに倣い、ショットグラスのウィスキーを呷った。

 昨夜、メリルゥの奢りによる宴で飲んだばかりではあったが、程々に抑えてあったので、幸い二日酔いといった事態には至っていない。

 今日は地妖精ドワーフとの飲みである。大酒飲みうわばみである彼に付き合うのであれば、それなりの覚悟をしておかなくてはいけないだろう。


「それで、ソーヤとして、青銅級ブロンズからやり直しているのか? 持ってた白金級プラチナの冒険者証はどうしたんじゃ。面倒な事を」

「紛失しました。まあ必要も無かったので。二十年音沙汰無く、ギルドの会費も未払いなので、白金級プラチナの冒険者レイは除名されているでしょう」


 宗谷は、昔の冒険の功績に一切の未練が無い事を、ドーガに伝えた。

 これも女神エリスに指摘された事だった。二周目を楽しむと言ったゲーム的な感覚は、この世界では培われないのかもしれない。


「変わった奴じゃのう……まあ、お主らの仲間は皆そうか。勇者と聖女と色物たち、といった風情であったからな」

「色物たち……ドーガさんはそんな認識だったのですかね」


 宗谷は苦笑しながら、旧友たちの顔を思い出し、昔の冒険の旅に思いを馳せた。

 爽やかなアンセルムの血を引く勇者と、強く優しい至高神ルミナスの聖女。一行の顔であった、美男美女の二人をまず思い浮かべた。

 

 続けて、刺々しい性格をしたピンク髪の森妖精ウッドエルフの少女、無口な黒甲冑の闇騎士ダークナイトの青年、口の悪い知識神エスターの司教の少年、そして、自分である異世界の魔術師マジシャンの少年。色物集団と言っても差支えの無い、勇者と聖女を支える一癖ある四人の従者たち。


(勇者と聖女と色物たち……か。違いない)


 宗谷は妙に納得したように頷いた。そして気になっていた事を、ドーガに聞いてみる事にした。


「勇者と聖女と言えば、二人は結婚しましたか? 婚約はしてたと思いますが」

「うむ。お主が行方知れずになってから、そんな経たずにな。仲間内で挙式に参加しなかったのは、お主とブラドだけじゃよ」

「ははは、僕一人だけ欠席じゃなくて良かった。……まあ、ブラドは出ないでしょうね」


 宗谷は、黒甲冑の青年を思い浮かべながら呟いた。

 闇騎士ダークナイトブラド。かつての仲間の一人である彼は、混沌神セラエン闇司祭ダークプリーストの地位にありながら、超一流の戦士であった。

 冒険の旅を共にした仲間ではあったが、聖女とは本来相容れない立場であり、衝突を多々目の当たりにしている。宗谷は彼と比較的相性が良かった為、折衝役バランサーを務める事が多かった。


「……ところでソーヤよ。ワシの工房に来たという事は、武器が必要なのだな?」

「ええ、そのつもりで伺いました。ただ、費用的な問題で、あまり高い注文は出来そうに無いですが」


 来訪の目的を尋ねたドーガに対し、宗谷は頷いた。

 白銀の魔将シルバーデーモンを討伐した事で、想定外の臨時収入があったものの、まだ冒険を二つ終わらせたばかりである。

 世界でも五本の指に入るであろう、鍛冶師ドーガの傑作を買うだけの費用は無い。今後の冒険に耐えうる、それなりの業物が手に入ればと、宗谷は思っていた。


「決戦用に打った、ワシの最高傑作の一つ、悪魔特攻デモンベイン魔銀ミスリル短剣ショートソードはどうしたんじゃ? あれさえあれば、他に何もいらんと思うが」

「あれは、ロザリンドに餞別にくれてやりました。僕は武器の必要ない、安全な地域で暮らしていたので」


 宗谷は旧友であり、冒険仲間の一人である、ピンク色の髪をした森妖精ウッドエルフの少女の名前をあげた。

 自分が異世界の人間である事は伏せたが、安全な地域という点においては嘘偽りが無かった。宗谷が暮らしていた国では、武器を携帯する事も許されていなかった。


「……まあ、お主は魔術や格闘でどうにでもなるのだろうが。……そういえば、ロザリンドには会ったのか? 数年前、この工房に訪ねて来てな。お主を探していたようじゃったが……」


 ドーガの発言を聞いた宗谷は、途端に申し訳無い気分になった。

 ろくに説明もせず別れを告げ、二十年間、この世界の記憶の一切を封印して過ごしていた。

 そして、本気で捜索した訳では無いと思うが、彼女が探していたというのであれば、それは無駄足としか言いようが無かった。

 

「いえ、会ってません。僕は二十年ぶりに冒険を再開したばかりでね。旧知の者で再会したのは、ドーガさんが初めてです」

「そうか。ワシは、お主とロザリンドが結婚する物とばかり思ってたんじゃがのう……まあ、仲が良いのか悪いのか、正直わからんかったが。やはり異種族間の文化の違いかね?」

「……元々そんな仲では無いですよ。貴方も喧嘩ばかりしていたのを知っているでしょう。それで、ロザリンドは今はどうしてますか?」


 宗谷の質問に、ドーガは呆れたような表情を浮かべつつ、不思議そうに髭を撫でた。


「お主がどんな環境に居たのか、逆に気になるわい。……冒険者ギルドの頂点の一人。魔銀級ミスリルの冒険者、薔薇のロザリンドといえば、おそらく世界一有名な冒険者じゃよ。王都と生命樹の森イグドラシル・フォレストを拠点としてる筈だが。……会いに行かないのかね?」


 ドーガの質問に対し、宗谷は即答が出来ず、沈黙した。

 そこには若干の迷いがあった。イルシュタットから王都までは一週間もかからない距離だ。もし会いに行こうと思えば、ロザリンドに会える可能性は低くないだろう。

 だが、今や彼女は世界一有名な魔銀級ミスリルの冒険者らしい。きっと多忙を極めているだろう。それに会いに行ったとして、何かを話せる自信も無い。

 宗谷は首を振り、沈黙を破るように口を開いた。


「……別に無理して会うつもりは。それに、今の僕を見たら、きっと失望する事でしょう」


 宗谷は自信無さげに呟くと、空になったショットグラスにウィスキーを注ぎ、二杯目を飲み始めた。

 ドーガの方は既に四杯目であるが、地妖精ドワーフという種族は毒性に対する抵抗力が並外れて高く、いくら酒が入ろうと、酩酊するという事がまず有り得なかった。同じようなペースで飲みに付き合うのは危険だろう。


「レイとあろう者が、随分と臆病になったものだ。ソーヤよ、昔の無敵な感じは何処へ行ったんじゃ?」

「それは、若さゆえの根拠無き自信です。慢心とも言いますが。もう僕にそこまでの覇気も度胸も無い。貴方だってそうなのでは? 仕事に対し、随分と守りに入っているようだ」


 宗谷は、ドーガが仕事の制限をしている事を指摘した。

 それは自分に対する言い訳のような物だったが、ドーガも今の仕事に思う事があったのか、この話題には、それ以上食いついてこなかった。


「ふん。……そういえば、魔将殺しデーモンスレイヤーを成し遂げた新星ルーキーと紹介状にあったが」

「一応、本当です。運が良かっただけですが。角を持参して来ました」

「腕までは錆びてないようで何よりじゃよ。魔将殺しデーモンスレイヤーと言えば、イルシュタットにもう一人…」


 二人の話題が、魔将殺しデーモンスレイヤーに変わった時、工房の入り口から、呼び鈴の音が聞こえた。


「――ドーガ爺さんは居るか? 居るなら上がらせて貰うぞ」


 続けて、青年の声。

 その澄んだ声に、宗谷は聞き覚えがあった。


「ふむ。噂をすれば、か。ソーヤ、すまんが知り合いの小僧が来たようじゃ。……ワシは応接間におるぞ! こっちに来るがいい!」


 ドーガは応接間から、訪ねて来た青年に対し、大声で呼びかけを行っている。

 扉の閉まる音。続けて、廊下を響く足音は、応接間の前で途切れた。


「――貴方は――ソウヤさんか?」

「……おや、セランくん。昨夜はどうも。君もドーガさんと知り合いだったのか」


 応接間に姿を現したのは、片手半剣バスタードソードを背負い、黒いロングコートを纏った、魔将殺しデーモンスレイヤー青年、セランだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る