52.宴の終わった後で

 酔いどれエルフのメリルゥは、椅子の上で胡坐あぐらを組み、うとうととしながら、まどろんでいた。顔は真っ赤になり、頭はうつむきかけ、目は半分閉じている。この様子だと普段のような快活さを取り戻すには、もう少しクールダウンが必要だろう。


「下戸では無さそうだが、ペースが速すぎたのだろう。これを飲むといい」


 宗谷はメリルゥに、ウェイトレスが運んできた、オレンジジュースを手渡した。彼は既に配膳されたハーブ焼きの若鶏と、ポテトサラダを食べ終え、胡桃くるみを肴に、ショットグラスでウィスキーを楽しんでいた。ウィスキーはあまり熟成していない年数の若い物で、まろやかさが足りず質が良いとは言えなかったが、今回の宴はメリルゥの奢りなので、宗谷はあえて安物を注文した。上質な物を頼むのであれば、個人的に楽しむ機会にするべきだろう。


「……メリルゥさん、もし体調が優れないようならば、解毒キュアポイズンしましょう」

「……いや。いい。この酔いこそが、宴の醍醐味さ。……絶対に使わないでくれよ。酔いと一緒に興まで醒めてしまうぜ」


 メリルゥは首を振り、両手を広げ、心配そうなミアの提案を断ると、大きく深呼吸をして、それからコップに入ったオレンジジュースを一気に飲み干した。ミアに対して、もっともらしい事を言っていたが、彼女なりの意地があったのかもしれない。


「ふぅ……二人とも悪いな。気を使わせて」


 メリルゥは空になったコップをテーブルに置くと、両手を組んで背伸びした後、大きな欠伸あくびをした。


「気にする事は無い。今の君の様子ならば、解毒キュアポイズンは無くても大丈夫そうだね」


 酒癖の悪い上司を相手にする事もあった宗谷にとって、この程度ならば、見慣れた物だった。不意に抱きつかれたミアと、宗谷を訪ねてきて悪態をつかれた、セランという黒いロングコートの青年が、多少の被害者ではあったが、店や客に迷惑をかけた訳でもないので、許容範囲内と言っていいだろう。

 ゆっくりと食事をしていたミアも、ようやく配膳されたハーブ焼きの若鶏とポテトサラダを食べ終えた処だった。メリルゥの方はもう体調が回復したのか、残りの三皿目の若鶏を平らげ始めている。その旺盛な食欲に宗谷は感心した。森妖精ウッドエルフの食が細いというのは、やはり迷信なのかもしれない。



 配膳された全ての料理を食べ終えた後、二時間程歓談して宴はお開きとなり、三人は冒険者の酒場を出た。少し早めの夕飯代わりの宴だったが、既に日は沈み、夜の闇が景観を黒に染め始めているが、冒険者が集中するこの通りには、まだ人の往来が途切れていなかった。

 程良く酒が回った宗谷は、やや冷たい夜風に心地良さを感じながら、ミアとメリルゥが何やら会話をするのを眺めていた。

 冒険者の宿は酒場のすぐ隣にある。少し早いが、ほろ酔い気分のまま、早めに眠りにつくのも悪い選択ではないだろう。


「ソウヤさん。しばらくの間、メリルゥさんと、ルームシェアをする事にしました。宿代も少し安くなるので」

「それは良いね。二人一緒なら、お互い安心出来るだろう」


 彼女たちのルームシェアの話は、メリルゥの酔態に危うさを感じて出た話だったが、案外悪く無い話のように思えた。

 生活費の節約に加え、何よりお互いの安全性が高まる点が大きい。冒険者の宿は、イルシュタットの宿泊施設の中では優良なのは間違いないが、それでも盗難等の犯罪リスクは完全には無くせない。一人よりは二人の方が確実に安全と言えるだろう。それとミアが少し精神的に不安定だった事もあり、メリルゥが一緒に居てくれるなら心強い。

 勿論、共同生活なのだから、二人の相性という物が重要だろうが、その点は、今まで二人のコミュニケーションを目にした感じでは、問題無さそうに思えた。


「なあ、ソーヤ。話してて気づかないか?」

「……いえ。何の事ですか?」

「ルームシェアだよ。三人部屋ならば、さらに宿代は浮くし、お互いの保安にもなる。ソーヤも一緒にやろうぜ」


 メリルゥは、まだ酒が残っているのか、宗谷の腕を取り、にやけた笑いを浮かべながら、上目遣いで誘いをかけてきた。


「……メリルゥくん、まだ酔っているのですかね」


 宗谷は、腕に絡んできたメリルゥを、邪険にするような、冷やかな目で見下ろした。


「わたしは合理的な話をしているんだ。なあ、ミアはどうだ? ソーヤが一緒でもいいだろ?」

「えっ……と」


 ミアは唐突にメリルゥに話題を振られ、困ったような表情を浮かべ、考え込むような仕草をした。


「……良いか駄目かで言えば、良いと思います。ソウヤさんが居れば心強いですね……ああ、でも、色々と問題があるような気が」

「ミアくん、酔っ払いの冗談を真に受けてはいけないよ。メリルゥくん、それについては、はっきりと断わっておこう」


 宗谷からすれば、魔将殺しデーモンスレイヤーの称号を笠に着て、若い女二人を連れ込んでいる等の噂を立てられては、たまった物では無かった。二回目の異世界転移という事で、紳士的な振舞いに務めてきた宗谷という人格キャラクターが、台無しになってしまいかねない。


「……何だよ、ルームシェアについては賛成してただろ」

「それは君とミアくんの話だ。僕がそこに入る事まで想定していないよ。まあ、今後、そうせざるを得ない状況になったら考えよう」

「……ソーヤ、なんだ。そうせざるを得ない状況っていうのは?」


 メリルゥが宗谷を睨みつけ、不満そうに言った。宗谷は食いついて来るとは思わなかったので、適当に考えたフリをした。


「例えば君たち二人に、身の危険がある状況ならば、僕が居た方がいいだろう」

「……ふん、妙なところで気を使いやがって。つれないヤツめ。……まあいいさ、わたしは、ミアと仲良くするからな」


 メリルゥは悪態をつくと、宗谷の腕を離し、代わりにミアの腕を掴んだ。残ったアルコールの影響もあるだろうが、あっさりとした死生観を持つ彼女に、ここまで人懐っこい一面があるのは意外だった。一人故郷の生命樹の森ユグドラシル・フォレストを離れて、最近までスレイルの森に引き籠って居た彼女の事だ。友人と呼んでいた幽霊の少年も成仏し、何だかんだで寂しい思いをしているのかもしれない。


(やれやれ、随分な言われようだ……おや?)


 その時、宗谷は誰かの視線に勘付いた。ミアでも、メリルゥでも無い、他の誰か。宗谷はその事を、誰にも悟られないように、自然体のまま、今までの会話を継続した。


「さて、今日は二人とも、宿でゆっくり休んで下さい。僕は用事がありますので」


 宗谷はミアとメリルゥの二人に対し、部屋に引き上げる様に促した。


「用事……こんな夜にか? ……ソーヤ、お前、この街の事はあまり知らないと言ってなかったか」

「イルシュタットには久々に来て、街の情勢を良く知らないと言っただけです。それに、夜ならではの要件なので」

「……夜ならでは? ……ははあ……なるほどな。……それで、わたしの提案を拒んだのか」


 メリルゥは何やら悟ったような口振りだった。そして、にやけ笑いをしながら、ミアの手を取った。


「ミア、今日はもう休もうぜ。大人の楽しみの邪魔をしちゃ悪いからな」

「大人の楽しみ……? メリルゥさんは、ソウヤさんが行く場所を知ってるんですか?」


 メリルゥがミアの耳元で囁くと、ミアは赤面し、複雑そうな表情を浮かべた後、宗谷から目を反らした。

 何やらメリルゥが吹き込んだようだが、今はそれを確認したり、弁解する場では無さそうだ。先程から宗谷に対する何者かの視線が途切れていない。


「じゃあな、ソーヤ。夜遊びは程々にしておけよ。危ないトコも多いからな」

「ええ。程々にしておきます。おやすみ。ミアくん、メリルゥくん」


 やはり誤解されているようだが、幸い会話そのものは自然になったので、今はそれに乗っかるのが良いだろう。


(――さて。先程から僕を監視をしているのは誰だろうか。ここは一つ、誘導に乗ってくれるか、試してみるとしよう)


 宗谷はミアとメリルゥに別れを告げた後、外套マント異次元箱ディメンジョンボックスから取り出して羽織ると、夜道を足早に歩き出した。

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